サイレントルームで君を思う

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 その年のクリスマスに近い頃、好きなゲーム情報雑誌を買おうと本屋に立ち寄った際、店頭に貼られているポスターに目が釘付けになる。  “ミステリー作家 井澤遼太郎”  マリコ、ではなくあかねちゃんのパパがニヒルな笑みをたたえてこちらを向いていたからだ。  慌てて本屋を出てスマホで「井澤遼太郎」を検索する。最近の記事が出てきたので目で追う。最新作は殺人事件に巻き込まれそうになった女子高生を救う勇敢な青年が主人公のミステリーだ。  その作品を書き上げる途中、自宅を建て替えることになり、受験を控えた高校生の娘と一緒に執筆のため有料自習室を利用した話も書かれていた。年頃の娘と行動を共にするには女性の方が何かと怪しまれないだろうと生まれて初めて女装したエピソードも載っている。  本屋に戻りその最新作を探す。どっしりと厚みのある長編を手に取りあらすじを見て何とも言えない気持ちになった。  主人公のモデルはたぶん僕だ。その青年の名前は「ケイ」。トカゲが苦手な三枚目キャラ。名前の設定に思い当たる節があった。試験に先に受かっていた先輩社員が合格した時に使っていた消しゴムを、縁起が良いからとくれたのを自習室でもずっと使っていた。カバーには先輩のイニシャル「K Y」がデカデカと書かれていたはずだ。「ケイ」と「K Y」まるでアイちゃんを心の中で呼び続けた僕と同じ発想じゃないか。ひとり本屋でニヤけてしまう。誰かが見ていたらきっとヤバい奴だと思ったに違いない。  エレベーター前で一瞬本当の勇者となった僕は、なんてことのない日常の中で今も受からなかった試験勉強に取り組んでいる。  あの日のルーズリーフはまだとってあるだろうか。有名作家直筆の物だぞ。帰ったらなんとしてでも探さなくては。  ふと顔を上げるとポスターのオッサン、僕の中ではオバサンショートヘアのマリコが笑ってる。財布の中身を確認してその本を手にレジへと行った。 【おわり】
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