A保育園

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 私が未熟な新人だったから、というのも間違いなくありました。同じ新人でも上手くこなしていた子もいたので、私は中でも出来ない子だったでしょう。  それでも、自分の中で学んできた手遊びを根本から否定され、家に持ち帰ってまで必死に書いた週案や個人記録を最初から書き直させられるのはしんどく、一生懸命書いた子どもの様子を「長すぎる」と消されて「ボール遊びを楽しんでいました」という一文に目の前で書き替えられた時は辛くて仕方ありませんでした。  私は保育士にむいてないのだと自信を一気に喪失し、誰が見ても「鬱になってる……」と疑うほど毎日蒼白だったそうです。  私はもう辞めたいと親に相談しましたが、「今後のためにも1年はやりなさい」と言われました。その時はなんて残酷なことを言うんだ、と思いましたがこの1年は今とても響いているので結果的には親の言うとおりにしてよかったと非常に感謝しています。  けれど若い私はわからず、もう死んでやりたいという気持ちでした。味方なんて誰もいない、という気分でした。園に向かう足取りは重く、もう何もしたくない気持ちでいっぱいでした。  そうして息がしにくい保育士生活3か月目。  同期が一人辞めました。
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