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side:テオ
リヒトはかわいい。
「Spargel(アスパラ)」
ジャガイモのポタージュの入った鍋をゆっくりとかき混ぜながら振り返ると、テーブルの上を拭いていたリヒトは手を止めて、「んー」と唸ってからその小さな口を開いた。
「…………Lauch(ネギ)」
眉間にちょっと皺が寄っている。そんな顔もかわいいなぁと思いながら、オレは頭に浮かんだ単語を口にする。
「Honig(はちみつ)」
リヒトの癖のないさらりとした髪の毛は、綺麗な栗色で、光が当たると蜂蜜色に輝いて見える。髪の毛と同じ色をした伏目がちのまつ毛は長くて、肌はアジア人の血が混ざっているとは思えないほど白い。
ここ数日で、心なしか頬がふっくらしてきたような気がする。なんだか嬉しくなってきて、口角が自然と上がってしまう。
出会って一週間。ちょっとずつ、リヒトのことがわかってきた。
五歳年下で、身長もオレよりちょっとだけ低い彼は、すごく涙もろくてすぐに赤くなる。そんでもって、わりと負けず嫌い。素直で、超がつくほど真面目で、それから美味しいものが大好き。
「えーっと……Glas(コップ)。……これは、セーフ?」
どう? と首を傾けるリヒトに、俺は大きく頷きを返す。今日のしりとりのお題は、『食べ物』に関係するものだ。
「セーフセーフ! じゃあね、Schnitzel(カツレツ)」
リヒトは細いわりによく食べる。オレは調子に乗って作り過ぎてしまうという困った癖があったけど、最近はリヒトが余った分を持って帰ってくれるから、とても助かっている。
昨日作ったカツレツも、残った分は全部リヒトのお昼になったらしい。気に入ってくれたみたいでなによりだ。
今日の晩御飯も、気に入ってもらえたら嬉しいなぁ。そう思いながら、ゆっくりとかき混ぜていたポタージュを一口含む。うん、我ながら上出来だ。
「うぅ、またL……? えーっと……、Lachs(サーモン)」
ポタージュには、細切りになったウインナーとベーコンも入れてある。ボリューム満点だ。
「Speck(ベーコン)。リヒト、ほらこっち来て。味見味見!」
おいでと手招きすると、リヒトは戸惑ったように固まった。
「はい。怖くない怖くない」
言いながらオレは横に一歩ずれる。そうすると、湯気とともに立ち上る匂いにつられるように、リヒトは鍋の前にやって来る。
まるで野ネズミみたいに警戒心が強くて、なかなかオレに慣れてくれない。ちょっとでも近寄ると、すぐに逃げてしまうからここは我慢だ。驚かせないように。怖がらせないように。自分にそう言い聞かせながら、にっこりと笑ってみせる。
おずおずとやって来たリヒトは、けん制するようにちらりとオレを見た。あー、早く慣れてくれないかなぁ。
オレが動かないのを確認した後、リヒトはお玉にすくったポタージュをふーふーと冷ましながら、ゆっくりと口に運んだ。喉ぼとけがこくりと上下する。
「どう? 美味しい?」
オレの問いかけに、リヒトは頷いてからちょっと唸った。頬が赤くなって、うっすらと涙目になっている。かわいい。
「うぅ、ちょっと近いです……」
「あー、ごめんごめん! はい! もうこれ以上近寄りません!」
「……テオはいつもそう言う」
恨みがましそうな目を向けるリヒトに謝りながら、オレはまた一歩下がる。
リヒトの顔をちゃんと見たくて、いつの間にか距離を詰め過ぎていたみたいだ。オレはパーソナルスペースが狭すぎるって、よく言われる。自分ではそんなことないと思っているんだけど、どうやら世間とは認識が違うらしい。
でも仕方がない。だって、気になったらそっちに向かってついつい足が動いちゃうし、好きだなって思ったらどんどん詰め寄っちゃう。昔からの行動パターンは、そんな急には変えられない。ただでさえかわいい生き物が隣にいるんだから、近寄るなって言う方が無理がある。
「……でも、美味しいです」
「ほんとに? よかったー!」
「テオの作る料理は、おばあちゃんの味にちょっと似てる気がします。懐かしくて、美味しい」
リヒトの小さな口の端っこがちょこっと上がって、控えめな笑顔になった。
一瞬抱きしめそうになって、とっさにぐっと堪える。
この顔を見ることが、オレにとって一番の幸せと言っても絶対に言い過ぎじゃない。そのくらいリヒトの笑顔はレアだ。見るたびに嬉しくなってむずがゆくなって、今すぐに駆け出しちゃいそうなくらいたまらない気持ちになる。やー、今日も良いものが見れた。
オレが感動に浸っていると、「あ」と閃いたように小さく声を上げたリヒトは、またふわりと微笑んだ。
「Koch(コック)」
あー、もうほんと。何この生き物。ほんと。
「かわいい……」
オレの口からうっかり零れ落ちた言葉を聞いたリヒトは、今度こそ盛大に眉を寄せながら、大きく一歩後ずさった。
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