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高能訪問編⑥
高能が鎌倉に来てから一月以上がたっていた。とうとう父の能保から「早急に婚約を成立させよ」との文が届いた。普段の高能なら重圧のあまり焦って、たとえ頼朝に泣きついてでも婚約を成立させようとするが,この一月一幡と関わっていく中で一幡が思っていたより正気であることに気づいた。一幡は義高の死が心の傷となり心が狂ってしまったと聞いていたが、本当は心を病んでいる訳ではなく本心のままに生きている、そんな感じがした。
この日はまたいつものように一幡に誘われた。いつもは幸氏が絶対に傍にいたが、今日は一幡と高能の二人きりであった。
「あれ?小太郎は?」
いつもいる人影がないことに高能はすぐに気がついた。
「今日は席を外してもらったんです。あなたと二人きりでいたくて・・・」
普通なら年頃の女子に「二人きりでいたい」と言われれば胸が高鳴るものだが、それよりも高能は幸氏がいないことにほっとした。幸氏が家臣で物静かな性格であるせいか、幸氏と高能に今のところ会話らしい交流が一度もなかった。いや、むしろ高能は幸氏と関わることがなくて安心しているのである。
(あの者は何を考えているのかさっぱり分からないし、後ろにいると妙に冷たい視線を感じるし、まるで嫁に辛く当たる姑のような・・・)
臆病な高能は他人の視線にとても敏感であった。
「今日は何をするんですか?またお花摘みですか?」
「いいえ。今日は町に行くんです。」
「・・・前から思っていたんですけど、鎌倉殿の姫君がそう気軽に外出して大丈夫なのですか?」
「大丈夫です。鎌倉は京よりも田舎で治安が良いっていうし・・・といっても京に行ったことないけど・・・」
一幡と高能の二人はそのまま二人で並んで町に出た。
「お金は持ってきたんですか?」
「少しだけ。母上にあまり無駄遣いするなと言われていますから」
歩いている間に二人に会話は特にない。まぁ、これはいつものことだった。
「かわいい!」
突然、一幡がそう声をたてた。高能は市に並ぶ商品のなかに何かめぼしいものが見つかったのかと思ったが、一幡はしゃがんで脇道に生えた草花を見ていた。またか…という感じで高能は一幡の傍に寄る。
「姫は本当に草花が好きですね。それは…確か…」
「月草」
間髪入れずに一幡が答えた。一幡はそう言って愛おしそうに月草を眺めた。
「…花は好き。見ていて心が和むから…京ではどんな花が咲いているのですか。」
「さぁ。私は花に興味などないから」
高能がそう答えてもなお一幡は月草を眺め続けていた。一幡は寂しいから花をいつも愛でているのだろうか。満たされないから義高の墓がある裏山を散歩するのだろうか。可哀想な自分と重ね合わせて額田王の歌を詠むのだろうか。もし、そうした行為が「心が狂っている」、「心を病んでいる」と表現するのなら一幡は本心からそういった行為を望んでいるような気がする。高能にはそのように思えた。
「そんなに京に咲いている花が見たいならうちに来ますか。うちの庭は広くて草花もたくさん咲いているからきっと満足しますよ」
高能は思いきってそう言ったが、一幡からの返答が来る前に二人に向かって空から何かが落ちてきた。
「雨か・・・」
二人が空を見上げると空はいつの間にか灰色になって雨も少しずつ力を増してくる。
「ここでは濡れてしまう」
そう言って高能は一幡の頭の上に自分の袖を持っていき、もう片方の手で一幡の肩を抱いてその場を離れた。二人はそのまま急ぎ足で歩いて行き、民家の軒下で雨宿りをした。
「雨・・・やみそうにないですね」
高能が空を見ながら行った。気づけば雨は音を立てるほどになっていた。再び二人の間に沈黙が流れる。聞こえるのは二人の呼吸する音と地面や物を叩く雨音、時折聞こえる人の声であった。沈黙が続くせいで気まずい雰囲気が流れた。
「・・・ねぇ」
沈黙を破ったのは一幡だった。
「先ほど、何か私に言いましたか?」
どうやら雨が降る直前に高能が一幡に告げたことははっきりと一幡の耳に届かなかったようである。
「・・・いや」
高能は思わず目をそらした。
「あなたはお優しい方なのね。あまりご自分の気持ちを口に出さないからそう感じるのかな・・・」
一幡は独り言のような感じでそうつぶやいた。高能がふと一幡を見ると一幡の手足がかすかに震えているように感じた。
「寒いのですか?」
高能が気遣うつもりでそう聞いたが、一幡は黙ったままだった。それまで高能と一幡は袖が触れない距離にいたが、高能は一幡に近寄り、二人の肩が当たった。一幡はすぐに高能の方を見た。
「先ほどの話の続きですが・・・」
一幡の近くにきた高能は先ほどごまかした話を続けた。
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