プロローグ

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プロローグ

 何もかもを捨ててただ一つの目標に向けて努力をすれば、いつか夢が叶うと本気で信じていた。背が小さくても、センスがなくても、アリステル様のような剣士になれる。そう思っていた。  汽車の中に他に乗客はいない。一人で何もせずに、ただぼーっとしているだけの時間は心地よかった。ゆっくりと流れていく景色に目を遣ると、どこを見ても緑、緑、緑。これだけでも、生まれ育った土地を離れたのだということを実感した。  剣士の魂である武具さえも全て売り払って出来た端金で森奥の屋敷を買った。誰も寄り付かない土地だから格安で販売できるとのことだったが、私にはちょうど良い。しばらく誰とも会いたくない。夢に敗れた私のことをみんなが嗤っているように感じる。誰も私のことなんて知らないし、気にしてもいないことなんてわかっている。けれども、見掛け倒しの自尊心が少しずつ削り取られ、自分が価値のない存在だということを認めざるを得ないというのは、耐えられないことだった。誰とも会わず、何も考えずにいれば、傷つくことはない。  今までの所有物をほとんど売り払って街を出たから、荷物は小さなトランクケースに入った一冊の本と数着の着替えしかない。薄汚れてしまうほどに何度も読み返した愛読書は曽祖母アリステル・アーロンズの自伝だ。表紙を一枚開くと『心を懸けて励み続けよ。努力は如何なる時も平等に微笑んでくれる。』と書かれている。私は昔からこの言葉が大好きだった。  千年に一度の天才剣士と呼ばれたアリステル様は、女性軽視が酷い時代だったのにも拘らず、圧倒的な実力で周りを認めさせ、さらには女性初の近衛隊隊長まで上り詰めた強い女性だ。女性の社会進出が認められるようになったのも彼女の力が大きかったという。私が生まれた頃にはもう既に亡くなっていたから会ったことはないし、祖母は養子だったから血の繋がりもない。けれども、体が小さくていじめられてばかりだった私にとって、彼女はヒーローのような存在だった。  両親の反対を押しのけて、騎士になるために修行を積み、全ての時間を強くなるために捧げてきたという自負がある。遊びや恋愛に現を抜かしたことなどなかったし、食事も身体のことを考えて決めていた。大好物のティラミスだって10年以上我慢してきた。アリステル様のような強く逞しい騎士になって、多くの人を守りたい。ただ、その一心でどんなに辛いことにも耐えてきたのに。近衛隊に入ることすら叶わずに、剣士を廃業することになるとは情けない。  窓の外を眺め続けて、早数時間。空の色は青さを失っていた。それは、もうすぐ目的地に到着するという合図でもあった。  消極的な理由で逃げ出してきたとはいえ、新居での生活に対する高揚感もある。そして、これからはようやく安寧の地で静かに暮らせるということによる安心感が大きい。これは俗に言う夢のスローライフというやつなのだろう。騎士を目指さない生活というのが、どのようなものなのか今の私には想像できない上にやりたいことも特にない。それでも、自然の中で暮らすことには憧れがあった。本当にしたいとは思わないが、人がいない土地ならば、外を真っ裸で歩き回ることも可能できる。人の目を気にしなくても良いという開放感を早く感じたい。胸に去来するざわめきの原因に気づかなくても済むように、前向きなことを考えることにした。
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