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微妙な幕間 (これまでの登場人物)
「ダイシ様?」
虎ノ門駅から少し離れた場所にある、それなりに高級な焼き鳥店の座敷席でのことであった。
弁護士の南場壮一郎は、依頼者である都議会議員宇留部康の口から出た得体の知れない単語を繰り返した。
繰り返し(リフレクティング)は質問ではなく、相手の話を促すために行われる技術で、弁護士だけではなくよく用いられる。
ただ、今回の場合は、その単語を発した時の都議会議員の忌々しい口調に釣られたといっていい。
それだけの不吉なものが、「ダイシ様」という言葉にはあった。
「そう、ダイシ様」
「なんですか、それは?」
「うちの本家に伝わる御伽噺……というよりも怪談みたいなものですかね」
「怪談ですか……」
理性の下僕たる法律家にとって、怪談やオカルトの類はあまり縁がない。
少なくとも南場はオカルト好きな弁護士などを見たことがなかった。
それだけ現実的な人格が多いということなのだが、だからといって恐怖を感じないわけではない。
とりわけ、彼は理性的で論理的であるがゆえに、逆に未知のものに対するおそれというものを感じやすい性質の持ち主であった。
だから、都議の言葉に言い知れぬ何かを察してしまう。
「南場さんのところに仕事を頼むのは、はっきり言いまして私が本家に関係したくないからなんですわ」
「それはまたどうして?」
「……私が子供の頃のことになりますか。本家が相続でもめた事があります。当時の当主である私の伯母が亡くなって、従姉妹の青子がすべてを相続すると言う話になって」
「ほお」
南場は話を遮らない。
相談事と同じでこういうときは好きな方に喋らせたほうがいいのだ。
現在のところ、都議がなにを言いたいのかがわからない以上、下手な口出しは害にしかならない。
「その時にダイシ様という化け物が現れた。―――結局、あのときは二人死にました。ただし、死体は見つかっていませんので、表向きは失踪ということになっています。でも、真実は殺されたというわけですわ」
「殺された、というのは穏やかではないですね。五十年以上は前の出来事であったとしても」
「そうですな。普通ならね。ただね、うちはちょっと普通ではないんですわ」
「どういう風に」
「宇留部の本家の土地と財産は単純に見ても数十億です。実際はそれ以上かもしれません。なのに、あそこでは財産を巡って争うことがほとんどない」
「……」
「争うとまず人死にがでるからなんですわ。だから、命が惜しいやつは絶対にもめたくない。昔からそんな感じなのです」
「はあ。どうして死ぬのかを聞いてみてもいいですか」
「それがさっき言ったダイシ様の仕業というわけです。―――私らもよくは知りません。本家の中での出来事ですから、あいつらは口が硬いし、内容が内容だけにしゃべることもしない。だから、こっちとしても推測でしかわからない。ただね、おそろしいことがあるということだけは宇留部の血みたいなものが教えてくれるのですわ」
なんとも奇妙な話だ。
この都議は確実に怖がっている。
その……ダイシ様という存在のことを。
「私は選挙に出たときには本家の力を借りましたから悪くは言えませんが、本家のことは恐ろしくて仕方がない。今の当主の従姉妹は気のいい女ですが、それでもできたらかかわり合いになりたくない」
「財産でもめなければいいだけでは?」
思わず口に出してしまった。
それは都議の望む答えではないとわかっていたのに。
これは相談ではない。
南場がしなければならないのは、アドバイス(教示・指導)ではなくて親身になって聞くことだけだ。
しかし、都議は俯くように視線を落とし、
「ダイシ様はね……邪魔するものを殺すのですわ。逃げ出すものもね。それはまるっきり見境なく。片っ端から。さっきは二人と言いましたが、それは私ら分家が把握している数だけで、実際にゃどれだけ死んだかわかりません。死体さえ見つけられないというのが、あの化け物のやり口なんですわ」
南場は都議の話を信じていない。
酒の席の戯言の類いと受け流している。
そう思わないと関係のない彼にまで恐怖が感染しそうになるからだ。
熱燗で温かくなっているハズの体が底冷えしそうだった。
「……うちからは若いのを送りますよ」
「それがいい。南場さんが行くことはない」
自分から仕事を振っておきながら、都議は冷淡に言った。
だが、弁護士を見つけてくれ、頼むと本家に言われて逆らえない彼としてはそれしかないのだ。
「ちなみにどんな人なんです?」
「まだ三十を少し越したばかりで、あまり熱心ではないが、それなりの仕事はしますから大丈夫ですよ」
「勝手なことはしないタイプですか?」
「まずしないでしょう。わりと石橋を叩いて渡るやつです。ただ……」
「ただ、なんですか」
南場は自分の部下の顔を思い浮かべた。
「とてつもなく運がいい」
「……」
「司法試験の合格についても、『運も実力のうちだという人がいますが、私の場合は運が実力だとしか言えません』と豪語するぐらいに、怖いぐらい運だけは強い」
都議は手にした酒を飲み干した。
「そうですな。私でも、東大法学部を主席で出た弁護士より、運だけはとてつもなくいい弁護士を選ぶかもしれませんわ。―――確かに誰よりも運がいい男のほうがいざというときには頼りになる」
この時に南場は何かを予測していた訳ではない。
自分の話に怯える都議を慰めようとしただけかもしれない。
ただ、これからしばらく後に鷹志田陽法という若手弁護士に襲いかかった恐怖を演出したのは、紛れもなくこの彼の選択であった……。
◇◆◇
忌怨 ―キエン― これまでの登場人物紹介 (○は生存 ●は死亡済)
○鷹志田陽法
南場法律事務所の居候弁護士。三十二歳。ロースクール卒業後に司法試験に合格して、恩師である南場のもとで仕事を始める。
基本的に弁護士業を一職業としか認識していないので、まともな理想はもっていない。
サッカー観戦が趣味だが、体力がないので自分ではやらない。
趣味はまとめサイトめぐり。記事のコメント欄が荒れていると許せない。
ジャーマンメタル系の音楽を好む。
運だけはいい。
○南場壮一郎
鷹志田のボス弁護士。
権威と金に弱いが、かなり優秀。五十代になれば、裁判官に推薦されるかもしれないともっぱらの噂。
●宇留部青子
宇留部の本家の現当主。八十一歳。夫と死別。三人の娘がいる。
旧家の後継らしく、狷介な部分もあるが品のいい老婆。
○宇留部舞衣
青子の長女の娘。二十五歳。奥多摩の屋敷で同居している。
もともとは教師を志望していたが、採用試験に合格しなかったので、塾の講師をしていた経歴がある。
おっとりとした美女。
車はスバルのインプレッサで、かなりのスピード好き。慣れている地元の峠道を攻めたりすることもある。
コバルト文庫を愛読している。百合趣味はないが、「マリア様がみてる」などがお気に入り。
●宇留部喜世子
故人。青子の長女、舞衣の母。
●宇留部琴乃
青子の次女。幸吉の妻、武の母。五十五歳。
専業主婦。大学で知り合ったハンサム(今で言うイケメン)な幸吉にメロメロになり、彼の女癖の悪さに気づかずに交際、結婚。
姉とは折り合いが悪かった。
夫と従姉妹の不倫に気がついている。
●宇留部幸吉
琴乃の夫、武の父。五十五歳。高校教師。
ナイスミドルタイプの見栄えのいい中年男で、女癖が悪い。性格も普段は隠しているが、攻撃的で責任転嫁することが多い。
普段は無口にしているために本質はわかりにくい(琴乃でさえ、つい最近までわかっていなかった。もっとも彼女の場合、見る目がないということもある)。
妻の従姉妹である清美と不倫関係にある。
車はスズキのエブリイ。生活が苦しいので、そんな選択しかなかったが、本人はステップワゴンに乗りたがっている。
清美の推挙などで宇留部家に養子に入る。
○宇留部武
琴乃・幸吉の息子。三十歳、バツイチ。
離婚の原因は彼のDV。子供はいないが、財産のほとんどをやり手弁護士を味方につけた妻に取られ、慰謝料で借金をつくる。
そのせいで、弁護士に対して反感がある(鷹志田のことを嫌っている)。
サラリーマンをしていたが、不倫がバレた際に浮気相手の夫に会社に凸され、酷い醜態を晒したことで懲戒解雇となり退職金さえもでなかったことで貧乏になる。
非常に独善的で攻撃的。ラグビーをしていたので大柄で力強いが、実際には腕っ節に自信がなく卑怯な面が強い。
○古賀菊美
青子の次女、寅彦の妻、小夜子・智の母。五十三歳。
家の近所のカラオケBOXでパートをしている。
琴乃よりは金に執着しないが、あまり清廉というわけではない。
若い頃にイラストレーターをしていた経験から、やや年相応のオタク趣味がある。
●古賀寅彦
菊美の夫。小夜子と智の父。五十三歳。
倉庫で働いている。フォークリフトの免許を持っており、現場の監督もしている。
小心なところもあるが、働き者でつまらないことにこだわらない性格の持ち主。
趣味であるパチスロの題材となっているアニメ作品などはレンタルで借りて見たりする程度には好奇心が強い。
娘が演じた番組は録画してBDに保存して、ことあるごとに観ている。
息子については頭がよく育ってくれたことを仲間に自慢するので、仕事先に来る派遣社員にもウザがられている。
○古賀小夜子
菊美・寅彦の娘、智の姉。二十歳。
大手声優プロに高校生の頃から所属している。アイドル声優志望。事務所の営業に気に入られているので、そろそろオファーがあるものと思われる。
さっぱりとした性格をしているが、打算的でもある。
地元の専門学校に通っているが、そちらはあまり重視していない。国立の本屋でアルバイトをしている。
すでに何作か声優として参加済み。ブログを作って、まめに自分の売り込みをしている。
○古賀智
菊美・寅彦の息子、小夜子の弟。十八歳。
大学生。六大学の偏差値が上の方に入学している。見た目はチャラい。大学デビューっぽいのが自分でもわかっている。
母・姉に比べるとオタク傾向はなく、ファッションや車といった分野に興味がある。
高校時代に彼女がいたが、大学入学後に自然消滅。今は気になっている大学の先輩がいて、彼女が出席するコンパにまめに顔を出している。
●宇留部清美
青子の妹の娘。三姉妹の従姉妹。静磨の母。四十九歳。
十年以上前に離婚、それ以来息子と二人暮らし。
近所の会社の事務として長年働いている。
幸吉の不倫相手。自分で思っているほど、自分を制御できないタイプ。
息子とは以外と仲が良い。
○宇留部静磨
清美の息子。二十七歳。
高校を出て、一時期就職していたが、仕事内容に馴染めず退社し、派遣社員になる。
現在は日雇い状態だが、体力はあるのでしばらくは続ける予定。就職活動はしていない。
ヤンキーっぽいが、それは派遣現場でなめられないようにしているのがそのまま癖になってしまった模様。
普段はそこまでではない。
○大塚さん
宇留部屋敷の隣の家の住人。
まだ登場していない。
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