宇留部家の刀自

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宇留部家の刀自

 舞衣に案内された宇留部家の本邸は、純日本風な家屋であった。  ただし、一般的とは冗談でも言えない。  なぜなら、あまりにも広すぎるからだった。 「大きなお屋敷ですね」  鷹志田は感嘆した。  今まで生きてきた中でこれほど広い個人の家というものにお目にかかったことがない。  庭と奥多摩の自然との境界線が曖昧なため、全景が大きく見えるということもあるのだろうが、実際に目の当たりにした屋敷の広さは目を見張るものがある。  この広さでは、家政婦でも雇わないと掃除だけでも立ちいかないだろう。 「普段は私と祖母と家政婦さんだけしか暮らしていないので、とても大変です」 「それはご苦労様です」  やはり家政婦がいるか。  家政婦という金持ちのマストアイテムの存在を聞いたとしても、嫉妬さえおこらない。  むしろ同情してしまうほどだ。 「どの程度の広さがあるのですか? あ、俗っぽくてごめんなさい」 「ふふ、いいですよ。みなさん、そうおっしゃいますし。……そうですね、正確な広さは覚えていませんが、和風の部屋が三十あるといえばわかりやすいですか」 「三十! それは台所や居間を含めて?」 「除いてですね」 「それはすごい」  さすがに驚いた。  個人の邸宅としては別格すぎる。  しかも、三十といっても鷹志田が暮らしているようなワンルーム六畳間のようなものばかりではあるまい。  場合によってはもっと広い部屋が連なっているはずだ。  金ってあるところにはあるもんだなあ。  貧乏人っぽい感慨を抱きながら、玄関の中に入る。  玄関はまるで高級旅館さながらだった。  隅に置かれている傘立ての瓶でさえ、とても高価な品に見える。  贅沢に電気が使われているせいか、実際には薄暗いはずの屋内が異常なほどに眩しい。  死角を消して、暗闇をなくすためのように。 「靴はそちらに。今、私の親族が揃っておりますので、お間違いのないようにお願いします」 「はい」  客用の靴箱に並べられている靴はざっと十足。  それだけの人数がいるということだ。  当主が亡くなりかけているのだから、相当な人数が集まっているのはわかるが、このぐらいの規模の旧家においては多いのか少ないのかの判断はできない。  所詮、鷹志田は庶民だ。  弁護士という名士と呼ばれる職業についたとしても、セレブだと自惚れる気は更々ない。 「では、お邪魔します」 「先生にはまず祖母にお会いしていただきます。一番に顔だけでも見たいというのが、祖母の願いなので」 「はあ。親族の方々は後回しでいいのですか」 「後回しというか、祖母を優先で」 「そうですね。依頼者に直接話をうかがった上で相談の内容を決めましょうか」  鷹志田がスリッパに履き替えると、 「誰が後回しですって」  刺のある厳しい声がかかった。  振り向くと、玄関のそばにある小部屋から一人の中年女性が現れた。  舞衣にどことなく似た顔つきだったが、雑なパーマをかけた髪型と猜疑心に満ちたような睨み方をするので目つきが悪い印象しか与えない。  少なくとも好感のもてる相手ではなかった。 「琴乃叔母さん」 「その人が弁護士の先生なの?」 「はい、そうです」 「じゃあ、まず居間の方に行ってもらいなさい。親族に紹介します」 「え」    舞衣が息を呑む。  まずはお祖母さんのもとに。  そのことが頭にある彼女にとって、相反する指示はうけつけなかったのだろう。  祖母の言いつけと叔母の命令がぶつかったのだ。 「でも、お祖母ちゃんが……」 「いきなり病人に会わせてどうするつもりなのよ。まずは、私たちの話を聞いてもらった上で遺言の話をするべきでしょ。お母さん、もうお年なんだから」 「先生をすぐにお連れするようにって」 「いいから、早くしなさい。子供じゃないんだから」  姪相手に使用人を扱うかのように命令する叔母は居丈高だった。  それに対して反抗できない舞衣もどうかと思うが……。  ちらりと鷹志田の様子をうかがう。  それでいいか、と聞いているのだ。  彼女の中ではもう祖母の言いつけよりも、琴乃という叔母の命令が上位にいってしまっているのだ。  わからなくはない。  年齢による威圧感だけでなく、琴乃には逆らうと面倒なことになりそうな厄介さがあるからだ。  クレイマーやモンスターペアレント的な意味合いでの。  できることならばかかわり合いになりたくないタイプだった。  少なくとも鷹志田だけだったら、さっさと挨拶だけしてスルーしてしまうに違いない。  だが、舞衣にとっては違うのだろう。そこまで割り切れていないようだ。  仕方ないので助け舟を出した。 「琴乃さんですか、刀自の娘さんの?」 「ええ、そうです。宇留部琴乃ですわ」 「当職は鷹志田陽法と申します。南場法律事務所から参りました。どうかお見知りおきを」 「ご丁寧にどうも」 「で、親族の皆さんにすぐにもお会いしたいところなのですが、刀自のたっての希望でして、まずご報告したいことがあります。まず、そちらを片付けてからということでお願いできないでしょうか」 「報告したいこと? ―――それは遺産のことについてですか? それだったら、まず私どもの方に」 「いえいえ、それではなく、……都議の宇留部さんについてのことなのです。ご存知ですよね」  都議という言葉を出すと、やや琴乃の威勢がなくなった。  おそらく分家筋にあたるとはいえ、都議という政治家の名前を出されると一瞬思考が停止してしまうのだろう。  政治家というものは一般人の中ではタブー化している面がある。  本来、そこまでの影響力はないのだが、政治家が絡むというだけで気後れしてしまう人間が多いのも事実だ。  それは琴乃についても同じようだった。  仕事柄普段も接しているのならばともかく、庶民と変わらない生活をしている人間には実によく効く。 「そう、宇留部のおじの話なら仕方ないわね。鷹志田先生、先に済ませてください」 「そうします」 「ですけど、相続の話についてはなしでお願いしますよ。私どもも相続人で、いないところで話を進められたら困りますからね」 「ご心配なく」  さっさと奥に戻っていく琴乃を見送りながら、鷹志田は笑顔でつぶやく。   「そうはいかないのだけどね」  聞きとがめたのか、複雑な顔をする舞衣に向けて、 「では、まず刀自のもとに向かうとしますか。舞衣さん、お願いします」 「は、はい」 「ところであの琴乃さんは、刀自の三人の娘さんの中では何番目なのですか?」 「琴乃叔母は、母の上の妹で次女にあたります。その下に菊美叔母さんがいますね」 「へえ。では、子供さんはそれだけ?」 「いえ、琴乃叔母さんの旦那さんの幸吉さんが養子縁組をしています」 「養子も含めて子供は四人と……」  こんなことだったら戸籍請求をしておけばよかったな、と鷹志田は後悔した。  ただ、戸籍を請求するためには相談が前提となるが、今回はその内容すら不明だったので先走って行動できなかったのだ。  それならそうと、仲介した都議の方に直接聞くという手もあったが、接触するためにはボスの許可が必要で、その許可をとるのが面倒くさかったのでやらなかった。  だから、今更、親族関係の調査をする羽目になったという訳だ。  手を抜くとまったくろくなことにならない。 「えっと、先生は都議のおじについて何を報告するのですか?」 「あれは嘘です」 「!」 「琴乃さんを追っ払うための方便ですね。信じないでください」  舞衣の大きな眼が細められた。  いわゆるジト目という奴だ。  息を吐くようにさらりと嘘をついた鷹志田のことを非難しているのだろうか。  根が真面目だということから、簡単に嘘をつく人間について言いたいことがあるのだろう。  それにしては可愛い睨みつけ方だった。  思わず微笑みたくなるほどに。 「なんでお笑いになっているんですか?」  今度はふくれっ面で叱られた。 「いやあ、舞衣さんがお可愛い方なのでついうっかり。……まあ、嘘をついたことについては勘弁してください。弁護士になるということは口から先に産まれたということと同義なんだと思ってもらえれば幸いです」 「あんなにスムーズに嘘を付くというのはよくないことだと思いますけど」 「ごもっとも」 「……でも私が叔母に強くいえないから手助けをしてくれたんですよね。そのことについてはお礼を言わせてください。ありがとうございました」 「どういたしまして」  また、複雑な顔をされた。 「そこで謙虚にならないところが先生の図々しいところなんですね」 「確かに」  二人は少しだけ笑いあった。  鷹志田の対応は悪く取られると口八丁だとされて、誤解を招きやすいものなのだが、どうやら舞衣にとってはさほど気にはならないものらしい。  それは彼女もそれなりに頭の回転が早いタイプだからだろう。  同程度の水準の方が相手を理解しやすいということだ。 「おばあちゃん、弁護士の先生を連れてきたよ」  個人の家にしてはだいぶ歩いた先に、刀自の部屋があった。  他と同じように襖で仕切られている。  舞衣が声をかけても返事はなかった。 「入るね」  すっと襖を開いて、二人は中に入った。  中央に布団が敷いてあり、一人の老女が仰向けで床についている。  目を閉じているので眠っているようだった。 「眠っちゃったのかな。―――おばあちゃん」  舞衣が試しに問いかけてみると、老女のつむっていた両目が開き、頭だけがこちらを向く。  八十歳を超えているという話だったが、想像以上に若く見えた。  それに若い頃は相当の美人だったのだろう。  歳をとっても当時の面影が垣間見える。  顔立ちと雰囲気は舞衣とよく似ていた。  実の娘だという琴乃と比べてもだ。 「そちらが弁護士の先生かい?」 「……あ、はい。南場法律事務所から参りました。鷹志田と申します。若輩者ですが、よろしくお願いします」 「別に若くたって構いやしないよ。仕事できるんならね」 「できます。ご安心を」 「そうかい。―――じゃあ、そこに机があるのがわかるかい?」  鷹志田が目を凝らすと薄暗い部屋の隅に、品のいいふみ机がある。  敷かれた座布団の上で正座をしながら手紙などを書くにはよさそうな品だった。 「わかります」 「そこに書類がまとめてある。それを参考にして、遺言書を作っておくれ。できたら、今晩中に」 「今夜? それは急ですね」 「明日になると手遅れになるかもしれないからさ」 「―――」  それは彼女が亡くなるということか?  確かに病床のようだが、今日いっぱいももたないようには見えなかった。 「私がって、いうわけじゃないよ。手遅れになるのは別件さ。舞衣、今はどのぐらい集まっている?」 「(たけし)兄さんの奥さん以外はみんな揃っているわ」 「それはいいさ。結局、孫の配偶者じゃ相続人にはなりえなないからね。まあ、邪魔さえしなければ問題ないだろ」 「……邪魔?」  舞衣がこくんと首を傾けた。  祖母の言っていることの意味がわからないのだ。  鷹志田も話の前半部分だけしかわからない。  刀自の言う通りに孫には相続権がくる可能性があるが、養子縁組か特別な寄与でもない限りその配偶者には渡ることはない。  だから、遺産の話をする場合、いてもいなくても変わらないのは事実だ。  もっとも鷹志田としては相談内容が遺言ということで限定されたのはありがたかった。  さらに厄介な問題だとすぐには終わらないからだ。  鷹志田は一礼して机に近寄り、手元を明るくするためにブックライトをつける。  机上には数冊のファイルと民法の本が置かれていた。  興味があって脇にあった小さな本棚を眺める。  幾つかの歴史小説と、相続関係の法律の本が並んでいた。  ふと、彼の手が勝手に動いて、その中の一冊を抜き取ってしまう。  市販されたものではない、随分くたびれた表紙の自費出版のハードカバーだった。 「宇留部の歴史」と表題がある。  どうやら、生い立ちの書といったようなものだろうか。よく、一代で大店を作り上げた経営者などが趣味で作ったりするものの、家系版だろう。  ただ、製本されたのはかなり前のようだった。  製本されてから三十年、いや四十年以上は経っているかもしれない。それで足りればいいというぐらいに古い。  興味が湧き、それこそ勝手な真似はできないとわかっていたのに、なんとなく手にとってしまった。  運がいいことに、一連の動きは祖母と孫娘には見られていないようだった。  鷹志田は民法の本は置いて(その本に載っている程度の内容、当然把握している)、ファイルと自費出版本を片手に二人のもとに戻る。  本はさりげなく隠してある。 「では、お借りします。―――ところで、刀自」 「なんだい?」 「わざわざ私を呼んだということは、きっと刀自自身にこの件に注文をつけたいことがあったんだと思われますが、どうでしょう」 「―――間違ってはいないよ」 「とりあえず、それを早いうちにお聞かせ願えれば幸いです。どうも、貴女以外にもいろいろと口出しをしたがっている面々がおられるみたいなので」  老女は天井を一瞬睨みつける。  喉元まで出かかっている何かを我慢しているようだった。 「できたら、そこにいる舞衣に全財産を譲りたい」 「おばあちゃん!」 「勘違いするでないよ。あんたのことが特に可愛いというのは嘘じゃないけど、それだけというわけでもない」 「何か、理由が?」  自分と暮らしている孫娘にすべてを譲りたいという気持ちはわかる。  だが、それだけではなさそうな何かがあった。  ふと、気がついて老女の視線の先をトレースする。  部屋の天井の隅。暗いだけの空間だった。  それなのに視線をやった瞬間に、ぞくりと感じたことのない怖気が背中に走った。  信じられないことだが、一瞬、肩から腰にかけて皮膚を何者かに撫でられたかのように感じたのだ。  そして、鷹志田は天井の闇の中に何かがいるような気がしてならなくなってしまった。  誰かがこちらを見つめているかのごとく。  そんな鷹志田を放ったままで、 「私が、家の掟を守ることを諦めてしまいそうだからさ」  忌々しげに老女は吐き捨てた……。
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