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アイドル声優
鷹志田にあてがわれた部屋は、ちょっとした旅館の一室ぐらいの広さがあった。
布団一式が隅に置かれている他、ちゃぶ台に小さめのポットと急須と茶碗のセットがあるので、余計にそう見えるのだろう。
壁には2012年度のカレンダーが張られていた。地元の土建屋のロゴが印刷されているので試供品だろう。
「えらく長いあいだ使われていないみたいだな」
三月まではめくられているので、そこまでは使われていたようだった。
もっとも鷹志田にはどうでもいい話だ。
さっそく座布団を敷くと、ちゃぶ台に持参したノートパソコンを置く。
出張用の安物だが、必要なソフトやデータは十分に入っているのでこれで足りるはずだ。
足りなければネットで補えばいい。
ノートパソコンを起動させ、その時間に鞄の中から資料を取り出していると、襖が叩かれる音がした。
ノックのつもりだろうか。
返事をすると、「弁護士センセー、ちょっといい?」という若い女性の声がした。
この宇留部邸では若い女性というと、舞衣ともう一人、刀自の三人姉妹の末娘菊美の長女小夜子しかいない。
落ち着いた声ではないので、おそらく小夜子の方だろう。
はっきりとした聞き取りやすい喋り方をする陽気な女の子だった。年齢は二十歳前後、舞衣の従姉妹にあたることもあり、顔立ちはかなり可愛い部類に入る。
黒髪のショートカットと、一見スレンダーだが肉付きがよいこともあって、引き締まったアスリート然としていた。
二重まぶたの和風な顔立ちと愛想の良い笑顔が印象的だ。
「お邪魔しマース」
さっき紹介されたときと同じ縦縞のセーターとジーンズ姿だった。
「どうしました?」
食事でも持ってきてくれたのかと思ったが、時計を見ると午後三時。まだそんな時間ではない。
小夜子は頭をかきかき、
「いやあ、弁護士さんなんて初めて見るからちょっとコネ作っておこうかなあ、と」
非常に打算的な発言をしてきた。
一般人はあまり弁護士というか法曹関係者と知り合いになることはないので、ある意味では良い心がけではあるのだが。
「別に構いませんよ。じゃあ、名刺でも渡しますよ」
「それよりメアドちょうだいよ、メアド。プライベートな方ね」
「なぜ、当職がプライベートもメアドがあると知っているんです?」
「だって、今時そんなの普通だし。それにセンセー、スマホの他にガラケーを持っていたでしょ」
鷹志田は確かにスマホを仕事用にして、私生活用には携帯電話を使用していた。
さっき居間で宇留部一族に紹介されたとき、無意識のうちに弄ってしまっていたのだろう。小夜子はそこを目ざとく見ていたということか。
「ラインやトークでもいいんだけど」
「あれはセキュリティーが怪しいので、うちの事務所では禁止されているのです。守秘義務がありますからね」
「あー、そうなの」
名刺にメアドを書き、そのまま小夜子に渡す。
彼女はその場でスマホに打ち込んだ。
手早いものだった。
だが、メールは送られてこなかった。
代わりに小夜子が自分のスマホの画面を見せつけてきた。
小夜子による自撮り写真だった。
自分が可愛く見える角度というものをわかりきっている構図だったうえ、服装もアニメのキャラクターのようにカラフルなものを着ている。
アイドルのブログにでもあるような写真だった。
「いい出来でしょ」
「アイドルみたいですね」
「うーん、近いねえ」
「近い?」
「あたし、声優目指してんだ。これはあたしのブログにアップしたやつ。可愛いっしょ」
「せいゆー? スーパーにお勤めで?」
小夜子はがっくりと肩を落とした。
「西友じゃなくて声優よ。アニメとか映画の吹き替えをする声の俳優さん。最近はオタじゃないパンピーでも少しは知っているでしょ」
「ああ、声優ね。水樹奈々とかですか」
「また、濃ゆいところを知っているわね」
「情熱大陸とかで特集していましたね」
正直な話、大学時代から司法試験の勉強に没頭していた鷹志田は、芸能界やアニメ・ゲームの類には詳しくない。
同期にいたオタクの友達に布教を受けたことがあるが、あまり興味をそそられなかった。
唯一、彼から貰ったアニメソングだけは、ジャーマンメタル好きの彼の嗜好にあっていたこともありよく聞いている。
その中に、年末の紅白歌合戦にも出演した水樹奈々の曲があったのだ。
「でも、声優ってこんなアイドルみたいなことをするもんなのですか」
「最近は顔出ししてライブしたりもするのよ。アイドルとの垣根もかなり低くなってきているしね。歌なんか出せば下手なアイドルより売れるんだよ」
「ふーん、随分と手広くやってるんですね」
スマホで、宇留部小夜子を検索しようとしたら圏外となっていることに気がついた。
道理でメールを出さないはずだ。
「あれ、ネットが使えないのですか、ここ?」
「うん、そうだよ。ここは電波が通じにくいの。山奥だしね」
「面倒ですね」
そうなると、ワイファイもだめか。
ネットで足りない情報を補うという鷹志田の予定は頓挫したということになる。
予想しておくべき展開だった。
「……小夜子さんはもうアニメの吹き替えとかをしたのですか?」
「うん、まあね」
「へえ、すごい」
何が凄いのかはさっぱりだが、とりあえず褒めておくのにこしたことはない。
夢を叶えた女の子の自尊心をくすぐっておいて、あとで困ることはあまりないからだ。
「どんな役です?」
「普通にモブだよ。台詞も三つだけ。でも、まだハタチでデビューできただけでも御の字。それにあたし可愛いからアイドル声優志望だし、そっちでのオファーが来るまではまだ時間がかかりそうだけどね」
「そういうの、あるのですか?」
「うん。今は、そっちのほうが売れるんだよ。まあ、うちの事務所、メジャーどころだから結構早くチャンスは掴めそうなんだ。そうなったら、センセーにいろいろと相談にのってもらったりしていいかな?」
「芸能関係って、そんなにトラブルでもあるのですか?」
「わりとね。それに弁護士さんに知り合いがいるってだけでかなり押しが効くと思うんだ。ああいう業界って世間知らずが多いしね」
「まあ、ニッチな業界みたいですけど、仕事があるというのならば引き受けますよ。まだ、駆け出しの私でよければですけど」
両親と比べると、小夜子の方は随分とフレンドリーだった。
さっきの宇留部一族との顔見せにおいて、彼女たちの親世代はあまり友好的とはいえなかった。
刀自が亡くなりそうだというので、遺産目当てに欲の皮が突っ張り始めたからだとは思われるが、特に琴乃・菊美の姉妹間での争いが熾烈だった。
その中に刀自の養子になった琴乃夫の幸吉が絡むことで、面倒くさいことになっているのだ。
刀自の直接の相続人は、琴乃・菊美・幸吉と母親が亡くなったことで代襲相続人になった舞衣の四人である。
夫がすでに亡くなっている刀自の財産は、民法に従えばその四人で四分の一ずつということになる。
問題はその配分だった。
宇留部の土地財産は莫大で、有価証券や株といった財産も多い。それらの配分についてもめるのは当然のことだ。
誰だってできることなら自分にとって使いやすい財産が欲しい。例えば現金などだ。
逆にこんな山奥の土地をもらっても困るだろう。
処分することも難しいからだ。
そのあたりの駆け引きが顕在化していたというわけである。
さらに問題になっていたのは、被相続人であるところの刀自が宇留部の全財産をたった一人、舞衣にだけ継がせたいという意思を明確にしていたからだった。
なぜ、舞衣なのかはわからない。
ただ、かなり昔からその意思は強く表示されていたようである。
「宇留部のすべての財産は舞衣に継がせるべき」
対して当然娘たちは反発した。
今現在、把握できている宇留部家の財産は数十億単位だ。
それが一切手に入らないという事態はありえない。
だから、もめにもめた。
そして長引く揉め事の調停のために、鷹志田は呼ばれたのである。
(ただ、私みたいな若造が引き受けるにはちょっと桁が大きすぎる気がするんだよなあ。南場先生が食いつかないってのも変だし……)
「センセーも大変ですよね、面倒なトラブルに巻き込まれて」
「いや、忘れているようですけど宇留部の家の問題ですからね、それ」
「でもね。あたしも困ってはいるんだよ。正直、あたしたちに回ってくるお金が多くなるのはいいんだけど、どうもそれだけじゃ済まない感じがしてるし」
「そりゃあ、億単位ですから」
「ちょっと違うんだよ。確かにお金のこともありますけど、もっと別のことで」
小夜子の言っていることはよくわからなかった。
金が手に入ることは、手段が違法でなければよいことではないか。
それ以上でも以下でもないはずだ。
「―――うちって、歴史が古いんですよね。いや、本家がかな。とにかく何百年も続いているんだ」
つい鷹志田は机の上に置いた例の自費出版本を見やる。
「歴史があるということは良いことですけど」
「あるだけならいいんだけど……」
また言葉を濁す小夜子。
そこにはなんとも知れない複雑なものが隠れていて、時折顔を覗かせているようだった。
「今まで、うちって遺産でもめたことってないのよね。何百年も……」
「へえ」
明朗会計というべきか、それともしっかりとした一族経営というべきか。
旧家において相続でトラブルが起きないというのはいいことだと鷹志田は感心したのだが、小夜子が言いたいことはそういうものではなかったらしい。
「財産でもめるとマズイってお祖父ちゃんからも、散々言われているのにさ……。ママたちはまったく」
それだけをつぶやくと、小夜子は無理に笑みを浮かべながら部屋から去っていった。
鷹志田はひっかかるものを感じたが、わざわざ追いかけてまで聞こうとはしなかった。
(もめるとマズイって何がだ?)
だが、鷹志田の疑問に答えをくれるものはおらず、ただ時間だけが過ぎていった。
彼がパソコンの画面上で定型文を修正し、遺言のおおよその雛形を完成させた直後、屋敷の奥の方が騒がしくなってきたことに気づいた。
もっとも、何かあったのならばきっと迎えに来るだろうと思っているうちに、鷹志田は船を漕ぎ出してそのまま眠りについてしまう。
そして、彼が目を覚ましたとき。
この家の当主である青子が、八十一歳でその生涯を終えていたのであった……。
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