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酔っていなかった?
あの時オレは酔っていて、同じように酔ったその人と何かの拍子に知り合って意気投合し、そしてホテルに行ったのだと思っていた。だからお互い酔っていたために避妊することを失念したのだと。なのに、酔っていなかったのなら話は別だ。
「僕はあの時、至って正気でした。だから全てを分かった上で、自分の意志で子供が出来るようにしたんです」
自分の意志で・・・。
その言葉に百瀬が反応した。
「どうして・・・」
オレの方を向いていたその人の肩に手をかけ、百瀬はその人に食いかかる。
「その時初めて会ったんですよね?そんな初めて会ったオメガにどうして・・・」
百瀬にはその人の行動が理解できなかったのだろう。オレだって分からないのだ。だから尚更、アルファの百瀬にはその人の行動が理解できなかったのだと思う。
オメガがするならまだしも、なぜそんなことをアルファがするのか。そんなことをしても、アルファのこの人にはなんのメリットもないのだ。
「相手はお酒に酔っていて正常な判断ができていなかった。なのにそんな相手に、そんなことをするなんて・・・」
それは、場合によっては犯罪にもなりかねない行為。もしオレがあの時警察に駆け込んでいたら、この人は逮捕されていたかもしれない。だけど、オレはこの人に微塵の怒りも恐怖もなかった。ただその状況に驚き、逃げてしまっただけだ。
「なぜそんなことをしたんですか?」
その人の肩を掴む百瀬の手が震えている。
事情を知らずにそれだけを聞いたら、オレはなんの関係もないこの人に人生を狂わされたことになる。
百瀬にとってオレは双子の兄だ。生まれた時からずっとそばにいて、大事にしてきた存在。その大切な兄が何の関係もない言わば通りすがりのアルファにそんなことをされたのだ。百瀬が取り乱すのも無理は無い。
オレはその人の肩を掴む百瀬の手を取り引き寄せると、その震える手を両手で包み込むようにして握る。
「あの時のこと、オレは覚えていないんだ。正直、あなたとどこでどうやって出会ったのかも分からない。気がついたら朝で、あなたが隣で寝ていた」
取り乱す百瀬の手をさすり、オレはそう言った。
感情的な百瀬とは違い、なぜかオレの心は落ち着いていた。もしかしたら、いつも怒らず穏やかな百瀬がこんなにも感情を高ぶらせているのを見て、逆に冷静になったのかもしれない。
それに、こんな状況だというのに、オレの心は未だこの人を求め続けているのだ。
どきどきと高鳴る胸は治まる様子はなく、オレの心はこの人を求めている。
正直、話などどうでもよかった。
早くその腕で抱きしめられ、あの肌に触れたい。そしてその香りに全身を包まれたかった。
オレを、この人だけのものにして欲しい。
だけど、その暴走してしまいそうな本能を、辛うじて理性が押さえつける。
この人は、ただのアルファではない。
ある訳が無い。
いくらオレだって、この人がオレにとって特別な存在であると分かる。
オレの中のさらに奥にある何かが叫ぶんだ。
この人と番えと。
この人に、うなじを噛んでもらえと・・・。
身体の奥底からどうしようもない衝動が湧き上がるのを、オレは必死で堪えて訊いた。
「あなたは・・・オレの何ですか?」
その問いに少し落ち着きを取り戻した百瀬も顔を上げ、その人を見る。するとオレと百瀬の視線の先で、その人は口を開いた。
「運命です」
運命?
言葉の意味を測りかねたオレの横で、百瀬が小さく呟いた。
「運命の番・・・」
その言葉にオレは百瀬を見た。
運命の番?
それはドラマの題材にもなっている都市伝説。
どこか現実離れしていておとぎ話のようなその言葉に、一瞬オレは話をはぐらかされたのかと思った。けれど百瀬の青ざめた顔を見ると、どうやらそうでは無いらしい。
「知ってるの?」
その反応から何かを知っていそうな百瀬にそう訊くと、百瀬は前に担当した病院で聞いた話だと言って教えてくれた。
運命の番は実際に実在するということ。そしてそれは、自分にとってもっとも優秀な遺伝子を残すことが出来る相手のことだと言う。
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