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「さっき時間外受付の窓口に花束が届いたらしいの」
そう言いながら看護師さんは抱えていた花束を桜に渡して病室を出て行ってしまったので、それが誰からのものかは分からない。だけど、微かに花の香りの中に別の香りが混ざっている。
要さん・・・。
きっと、出産を知った要さんがこれを贈ってくれたのだろう。でもその花束にはなんのカードも付いておらず、看護師さんも何も言わなかった。
匿名で贈られた花束。
でも分かってしまった。
オレは桜から花束を受け取ると、その花を抱えた。
「花瓶、借りてきますね」
桜もきっとこのアルファの香りに気づいているだろう。でもなにも言わずにナースステーションに花瓶を借りに行ってくれた。
優しい二人のアルファは、そうやっていつもオレのことを黙って気遣ってくれる。
ありがとう、要さん。
ありがとう、桜くん。
オレは潤んだ涙をそっと拭って花束を置くと、戻って来た桜に向かって手を広げた。すると桜がぎゅっと抱きしめてくれる。
「愛してる、桜くん。オレ、すごく幸せだよ」
桜の温かい腕の中で、オレは心からそう思った。
「僕も幸せです。千歳さん、愛してます」
桜もオレを抱きしめながらそう言うと、そっと唇を重ねてくれる。
それはまるで、誓のキスのようだった。
春の嵐のような一日はこうして終わり、オレたちは晴れてこの日夫夫となり、家族になった。
怒涛のような出産の割には、その後の入院生活は驚くほど順調だった。
この病院は母子別室なので、颯は新生児室にいてお世話は看護師さんがしてくれている。だからオレは授乳以外は簡単な母親講習みたいのを受けただけで、基本自由だった。でもオレは退院してからも困らないようにと、授乳以外にも積極的に颯に関わらせてもらった。
本当は夜中の授乳もしなくていいのだけど、オレはそれもさせてもらい、おむつ替えや沐浴もできるだけやらせてもらった。
他のママさんはどうしているのか、実は男オメガはオレだけだったので、他の人とは基本会えず分からないのだけど、オレはできるだけ入院中に、退院してからも困らないようにとお世話の練習に励んだ。なのにいざ退院して実家に帰ってきたら、颯に関わりたい祖父母と伯父(叔父)の手がすぐに伸びてきてオレより先にやってしまうのだ。
それまで週末にだけ帰ってきていた兄と百瀬も、オレが退院すると毎日実家に帰ってくるようになり、すっかりそのまま実家に出戻ってしまった。なので、ミルクはもちろん沐浴やおむつまで、本来ならオレと桜の役目を家族が我先にと率先して行い、颯に構い倒す始末。しかも父までもが颯のおむつ替えをしては家族を驚かすなど、颯はすっかり我が家のアイドルと化した。
そんな感じなので、オレは却って退院してきてからの方が何もしていなかった。それでも平日の昼間はさすがにみんな仕事に行っているのでもちろんオレが颯を見てるのだけど、颯はとにかくよく寝る子で、ほとんど手がかからない。かと言って夜泣きをするのかと言うとそうでもなく、お腹が空いた時しか泣かないのだ。それもいち早く桜が気がついてミルクをあげてくれるので、結局オレは何もせず・・・。
こんなに楽していいのだろうか・・・。
世の新米ママさん達が聞いたら怒られてしまいそうだけど、本当にオレの子育ては拍子抜けするほど楽だった。
今だって夜中の3時なのに、桜が嬉しそうに颯にミルクをあげている。
「桜くん、オレやるよ?明日も仕事なんだから桜くんは寝てていいんだよ」
母乳はほとんど出ず、颯はミルク1本で育てている。だから桜でも授乳はできるけど、寝ないと身体壊すよ?
そう思って言ったのに、桜はにこにこして首を振る。
「千歳さんこそ寝てて下さい。颯のミルクは僕があげますから」
オレは昼間颯と一緒に寝てるけど、桜は仕事をしているからもちろん寝ているはずもなく、なのに疲れた様子もなくご機嫌だ。元々アルファは身体も丈夫なのだけど、桜はさらに丈夫なようで、完全に子育てを楽しんでいる。
まあ、本人が大丈夫ならいいんだけど。
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