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都会の街中。季節は五月。
今日はよく晴れている。初夏のような汗ばむ気温、である。
「日中は半袖でのお出かけが良く、日傘の準備など直射日光が気になる方は準備の方をお願いします。」
家を出る前に、テレビで気象予報士がこんな事を言っていたのを思い出す。
最近は男性の日傘というのも流行っているらしい。
男性も化粧をする時代だ。どこまで男性は女性化していくのか。
このままで行くと、華奢で綺麗な、お人形さんみたいな男子ばかりが世の中に溢れて行き、自分のような、太った強面なタイプというのは、遺伝子的に淘汰されていくのではないかな。
そんな事を思いつつ、髭の剃り跡を手触りで確かめながら考えていた。
様々なブランドショップが立ち並ぶ路地を歩いていた。
なぜこんなところに来ているかというと、
推し活
である。
何の推しなのかと言うと、
”ミラーボールマン”
というラッパーとストリートミュージシャンがドッキングした、異色のグループを推している。
メインボーカルのラッパーは女性で、橘唯(たちばなゆい)と言った。
華奢で小柄。やたらとか細い声でハイトーンで歌ったかと思うと、突然強烈なシャウトを連発する、多彩な表現力の持ち主。
また、メンバーそれぞれ個性的な面々の名前が、全員横文字アルファベットなのに対して、一人だけ和名なのが面白かった。
ミラーボールマンというグループ名の由来は、
『ミラーボールとは宇宙の果てから地球を攻略に訪れた侵略者の住む惑星。私たちはその惑星の統治者の手下として地球に派遣されている。』
というやたらとディープな設定なのだ。
最初、ネットでそれを見つけたときに衝撃を受けた。
彼らは何者なのか。気になって仕方がなくなった。
そして、橘唯が完全に直球どストレートど真ん中で、好みのタイプだったのだ。できれば彼氏になりたい。
そして自分は今、路上ライブの会場に向かっている。
途中、地下鉄の駅の中からスーツ姿の女性が階段を上がってきて、くるりと踵を返す。
当然、自分はスーツ姿の女性の後ろを歩く状態になるのだが。
その女性が履いているストッキンが電線しているのだ。
それも結構派手な電線である。
彼女は一体何に巻き込まれたのか。何が起きるとこんな電線をするのか。声をかけて教えるべきか。
でもそれを教えてナンパだとか思われたらどうしよう。
もしそう思われなくても、なんか変な事をされるとか誤解して、叫ばれたり、
警察を呼ばれたらどうしよう。
頭の中が若干パニックになる。
そして自分の目はストッキングの電線に釘付けとなる。
ライブ会場はこの道を道なりに歩いて、数分先にある。
スーツ姿の女性と進行方向が同じなのか、しばらくは女性の後ろを歩き続ける。
ライブ会場に到着する。
他のメンバーはすでに到着している。
ギターやベースなど、メンバーはすでに楽器を担いで音を鳴らし始めていた。
そしてスーツ姿の女性もそこで立ち止まる。
「あ、橘唯だ」
スーツ姿の女性が振り返ったその姿、間違いない。橘唯だ。
橘唯がマイクスタンドとマイクを握り、そして、その数秒後、ライブが始まった。
スーツ姿のままで歌う橘唯。
30分のステージはあっという間に終わった。
数名の観客がまばらに拍手する。
バンドのメンバーはすでに解散モード。
「あ、あの」
勇気を振り絞って、汗だくの姿の橘唯に声をかける。
「なんや?」
え?関西弁・・。
「何驚いとんねん。えーわ。関西弁だからビッビッたんやろ?サイン欲しいなら色紙ちょーだい。金なくて用意できんねん。ごめんな。」
「あ・・・そうではなくて・・唯さんのストッキング、電線してます。」
「あーーーー!」
一瞬顔をあからめてから一言。
「それな!」
「それ??」
「もーな、金なくて買われへんのや。それにな、別に電線しとったって気にならんし。」
「私はとても気になります。」
「なんか、そういう告げ口みたいな言い方、よくない、思います。」
真顔で返す彼女。
「え?」
少しショック。
その反応を見て面白がるかのように言葉を返す彼女。
「ジョーダンや。よくないなと思いながら、今日布団出た時に、みんな洗濯中で、履いてこれるのこれしかなかったん。」
「そうでしたか。」
「なんか、迷惑かけた気します。」
「いや・・ストッキングくらいならプレゼントします。」
予定外の言葉が口を突いて出る。
「ほんまか!!!買うてくれるんか?どこで買うてくれるんや?」
「あの・・あのコンビニでよければ。」
丁度、目と鼻の先にあるコンビニを指差す。
「いくいく!ちょっと待っててなぁ」
バンドのメンバーと色々と会話をしながら後片付けを済ませ、15分くらい待たされたが解散となり、自分と橘唯の二人だけがその場に残される。
「唯・・さん、とお呼びすれば?」
「本名は大倉千凪(おおくらせんな)。完全に名前負けしとるやろ。まええか。橘唯は芸名。AV女優やってた時の四股名、そのままで活動してる。」
「四股名・・。AV・・ですか?」
またまた衝撃の事実。
「そや。結構いいとこまで行ったんやけどなぁ。21歳までやわ。チヤホヤしてくれたの。22歳になった途端、なんかエライありえないプレイばっかり要求されて、嫌になってやめたんや。」
かなりショックだった。
話を総合して考えると、今は落ちぶれて、電線したストッキングですら自分で買い替えるお金がない状態に見える。
「ストッキングだけでなくて、パンツとかもヨレヨレなんやわぁ・・女として終わってるやろ。もう終わりやわぁ・・。」
何も返す言葉が見つからない。
コンビニでストッキングを2個購入して手渡す。
「大事に使ってくださいね。」
「あんがと。ほんと恩に着るわ。メジャーになったら、恩返しするな?」
小首を傾けて微笑む。上目遣いが可愛い。
この笑顔。やっぱり胸がキュンとしてしまう。
しかし、今日はこのままここで解散の流れ以外に思いつかない。
また、1ファンとアーティストという、見えない壁越しの交流に戻ってしまうのか。
「なぁ、今日、あんたの家、泊めてくれへんかな?」
「え?」
「もうな、漫画喫茶に泊まるの嫌やねん。AV辞めた後無一文になって、住んでた高級マンション追い払われて、行くあてなくなってしもーて、漫画喫茶に転がり込んだまでは良かったんやけど、もう周りのカップルはカップルシートでイチャイチャしはるし、隣で寝てるおっさんのいびきうるさいし、そしてな、明け方の4時にスマホの目覚ましで起きる奴おんねん!ちっともまともに寝られん。」
橘唯と一緒に一晩過ごせる?理性のリミッターがぐらつく。
「大丈夫です。一緒に住むことくらいOKです。」
即決。
そのまま二人で電車に乗って自宅に移動する事になった。
電車に乗る切符代も無いから援助する。
自宅に着くなり、彼女からの熱い接吻。
そして、溜まったものを吐き出すかのように、激しい一晩が過ぎ去った。
昨日は明るいうちから飲んで食べたので、酔い潰れる時間帯が早すぎた。
なので、朝はかなり早い時間帯から目がさめる。
「うち・・いかんなぁ・・。溜まりまくってて、お兄さんを欲望の捌け口みたいにしてしまった。」
彼女はシャワーを浴びると朝ごはんを作ってくれた。作ってくれたと言っても、パンを焼いただけ、のような感じだけど。
散らかった室内。誰かを部屋の中に入れる予定がなかったから、色々と見られたくないようなものも散乱している。
薄暗い室内にて、橘唯のポスターが大きく壁一面に貼ってあることに、彼女が気が付く。
「あ、うちやん♡ 兄さん、うちの事好きなんや。えーで、結婚したっても。」
朝焼けの光が窓のブラインド越しに室内に注ぎ込む。
「なんてな。」
少し神妙な表情をして、自分で言った言葉を自分で打ち消す。
「元AV女優みたいな汚れた女、抱いたかて、男の値打ちなんて何一ついいことない。あんたは、私のこの容姿や美声に惑わされて、なんかおかしくなっていただけ。もう忘れや。こんな女や。」
朝御飯は二人でほとんど無言になりながら食べた。
何も共通の会話が見当たらない。
そもそも彼女が何を考えているか、全くわからない。
ただただ、グラデーションを描くように時間だけが過ぎ去っていく。
「今日も居っても良い?」
唐突に沈黙を破る。
朝の情報番組でコメンテーターと司会者がテレビの中でやり取りを続けていた。
もうこのまま帰ってしまうかと思っていたから驚く。
「え?」
「漫画喫茶から、荷物持ってくるな?決めたわ。ここにしばらく置いてほしい。」
「いい・・ですけど。」
「約束やで、待っててな。」
朝の9時頃に、そう言い残して彼女は部屋を出ていく。
ゴミ箱には電線したストッキングが無造作に捨てられていた。
2時間くらい経過して、彼女が大きなボストンバックを背負って帰ってきた。汗だくである。バッグの大きさは、彼女の身長と同じくらいの丈があるのではなかろうか。
「やっと辿り着いた・・。えらいしんどかった。今日も路上ライブあるから、これがないと仕事にならん」
そして僕らの生活はスタートした。
頑張って推し活やってよかった。
(終わり)
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