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ただの紙切れ。
そういう見方も出来るだろう。
しかしその紙切れに書く事は"ただの"と言い切るには大きい。
アシはそう思いながらシャーペンで書いていく。
しかし、そう重く受け止める者は少数だった。
進路希望
名前を書いたところで、シャーペンを持つ手は止まる。
「進路希望」と印字された紙を見つめて固まってしまった。
「ん?アシ大丈夫か?」
赤いクラスメイトはアシの顔を覗き込む。
「何がダメなんだよ」
「じゃあ大丈夫か」
大丈夫か大丈夫じゃないかと言われたら大丈夫でもない。
改めて考えてしまった。
今も机に立て掛けた大太刀との出会い。
この学校へ編入した日。
クラスメイト…今も話しかけてきたバラや、連むユリ達に会った時の事。
毎日この教室に座り、授業を受けて任務にも出た。
黒一字という、相棒の大太刀を振るったりもした。
そんな中で、自分は何を手に入れたのだろう。
そして、何を無くしたのだろう。
窓の向こう側で青空を唄う小鳥達を見た。
「アシぃ〜、書いたわよぉ〜」
気怠そうな声に、はっとする。
「早いな」
アシは机に手を突いてきたオンナに黒眼をやる。
いや、その者は男だ。
しかし紫色のポニーテールやけばめのメイクを見ると、そうは感じられないだけだった。
「当たり前でしょ〜。アタシは実家継ぐって決めてんの」
「実家っつっても個人スナックだろ」
バラがツッコむとユリはむっとした顔になる。
「バカにすんなら出禁にするわよ」
そう言われバラは素直にサーセンと頭を下げた。今現在、既にバラはユリの実家のスナックの常連だ。
「そういうバラは何て書いたのよ」
「市役所の何か」
「絶っっ対バレる嘘じゃない」
アシはそんなやりとりに苦笑した。
「アンタこそ実家継ぎなさいよ。バラんち醤油蔵でしょ」
「アニキが継ぐからいいんです〜」
バラはべろ、と舌を出す。舌ピアスが光を反射した。
「俺がすねかじってても何ともねえんだもん。楽して生きるのが賢いんだよ」
「馬鹿らしい意見ね」
ちょっとしたジョークだが真理である。
「お前らは単純でいいなあ」
アシはつい溜息を吐いた。
「優等生さまはまだ書いてねえのか」
「意外ね。もう人生設計出来てそうなのに」
二人に空欄の紙を見られ、唸る。
「俺もそう思ってたんだけど、なんか改めて考えたら見えなくなっちまった」
ふうむ、と二人は声を揃えた。
俺は、どうしたいんだろう。
黒一字に会う前は、ただ良い学校に行き、大企業に就職するのを目標にしてきた。
しかし、そんな夢は今は叶わない。叶えたいとも思わなかった。
結局その時はシャーペンを走らせられず、集められたクラスメイトのプリントを纏めて席を立った。
学級委員長のアシは、紙束を持って職員室に向かう。
所属する教室から目的地は遠かった。
「アシ」
呼び止められ振り返ると、長白髪と赤い眼が印象的な少年がツカツカと寄ってくる。
魔法士科の制服である黒ローブを正しく着ている彼は、アシと同じ様に紙束を持っていた。
「ハク」
アルビノの眼光は鋭いが、それはいつもアシに向けられるものだ。
「なんで同じタイミングで歩いているんだ」
そんなん知るか。と思ったがいちゃもんをつけるのもいつも通りだった。
「進路はどうするんだ」
並んで歩いているとそう訊いてくる。
「まだ決めてねえ」
素直に答えると意外そうに赤眼を丸くした。
「貴様がか?」
「悪いか?」
「悪いね。ああ悪い」
苦虫を噛んだ様な顔をしてくる。アシは事実を言っただけなのに。
「貴様はこの私の好敵手なのだ。少なくとも魔除省幹部になってもらわないといけない」
アシはハクのライバルになった覚えがないのだが、決めつける事しか出来ない魔法士科首席の無茶振りもいつもの事だ。
「いいか。貴様は魔除省へ就職しろ」
ハクは吐き捨てて足を速める。革靴の音を響かせ、先に職員室に入っていった。
オレンジ色に赤いが浮かんでいる。
夕日はみるみるうちに海へと沈もうとしていた。
そんな空を飛ぶカラス達は影よりも黒い。
まるでその色は、自らの腰にぶら下げた大太刀の様だった。
アシは橋の上で夕陽に照らされている。
その場所は通学路から離れていた。
「アシ」
黄昏を見ていたら、しゃがれた声に名を呼ばれる。
振り返ると、黒いマントを着た男が居た。
「師匠」
その者は、アシの力を見出した人間だった。
「何かあったのか」
目深い帽子は顔を隠している。アシは俯いたので、男の表情は何もわからなかった。
「…今後について、悩んでます」
今後…?と顎を持ってから男は、ああ、と納得する。
「そうか。進路希望か」
頷くと、師匠は鼻で笑った。
アシが眉を顰めると、いや、と黒手袋の左手を上げてくる。
「俺の時を思い出してな」
男もアシと同じ様に橋の手摺りに寄り掛かった。
「俺は白紙で出した」
今の自分と同じで、アシは黒い眼を丸くする。
「それで、怒られなかったんですか」
「担任が何か言ってたが忘れたな」
アシが溜息を吐くと、師匠はククと笑った。
「お前は賢いんだ、何だって出来るよ」
「そうですかね」
男の前髪は茶色く、目元を完全に隠している。
長い付き合いだが、その虹色の眼を見たのは数回しかなかった。
「黒一字に訊いたらどうだ?」
黒一字に?とアシは問い返す。
「お前の相棒なんだから、お前の事を良くわかってるよ」
今日はやたら大人しい大太刀を、無意識に触る。
「まあ、それで悩むのも青春さ」
アシが若干嫌悪する言葉を出され、また眉間に皺を寄せてしまった。
男はさよならも言わず歩き始める。アシはその姿が見えなくなるまで、黒い背中を見ていた。
「…お前は、どうなんだ」
呼ばれた事に気付き、黒一字は大太刀から犬霊の形になる。
黒い霧状の体は、肩に乗るとひんやりとしていた。
「…オレは、
その言葉を聞いて、アシは黙る。
そして、頷いた。
「アシ、白紙だったのは意図があるのか?」
担任は問われ、ああ、とアシは今気づいたふりをした。
「書き忘れてました」
そうか、と担任は納得する。
「じゃあ今日中に提出しろよ」
「はい」
担任から新しいプリントを渡され、無くさないように机の中にしまった。
教師が教室から出たのを見て、アシはその紙に向かう。
そして、枠にシャーペンで一言だけ書いた。
自由
また教師は頭を抱えるだろう。
でも、それは胸底にある本心だった。
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