勾陳さん

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勾陳さん

 事態が動き出したのはその日の夜だった。  楓の店に以前来たことのあるアヤカシのチンピラが手下のような少年を連れてきており、それが浦田美徳のようだというのだ。孔明は、あまり深く探ろうとしなくていいから美徳と連絡を取れるようにだけして欲しいことと、出来れば何かその少年が身につけたもの、例えば髪の毛やハンカチでもいいから手に入れて欲しいとだけ頼んで電話を切った。  青を基調とした薄暗い店内はまだ少し時間が早いせいか客が少なく静かであった。ボックス席にはスーツを着た四、五十代の中年男性が三人。ゴルフ仲間でいずれも社長クラスの人物らしく、この店では馴染みの顔だ。カウンターの端にも一人。髭に眼鏡のお洒落な男性でブティックの経営者らしく、やはり馴染みの客だ。そしてその反対側の端に座っているのがアヤカシのチンピラと、浦田美徳と思われる少年だった。チンピラの方は以前にも一度来たことがあり、自らを沙悟浄と名乗った。もちろんあだ名だろうが、何故か誇らしげに言うのだ。  沙悟浄はその名が示す通り坊主に近い短髪で、三十になるかならないかくらいの歳であるのに頭頂部が薄くなっている。かなりご機嫌で、四角い顔を赤くしてすでに酔っ払っている様子だ。他の客が物静かなタイプなので、少し大きな声がやたら下品に聞こえる。 「おい、ワラシ!先輩のグラスの酒が減ってんだろうが。そんなの後輩が気を利かせて無くなる前に作るんだよ!」 「あ、いいのいいの。そういうのは私の仕事だから。気づかなくてごめんねえ」  二人の前に付いているのはメグミというバイトの女の子だ。大きな胸がさらに強調される胸元の開いたドレスを着ており、前回来たときすでに骨抜きにされていたのは目に見えて分かった。二十六歳、独身ということになっているが本当は三十二歳バツイチで子供もいる。フェロモンが服を着ているような印象のある見た目だが実は頭の良い女の子だということを楓は知っている。そこらのチンピラが太刀打ちできる相手ではない。最近は楓より夜の世界に詳しく、沙悟浄がアヤカシのチンピラだと教えてくれたのもメグミだった。  ワラシと呼ばれた少年は下を向いてグラスのウーロン茶で唇を湿らせた。この少年が美徳であるなら未成年なのは間違いないので酒を注文されてもお茶を出すつもりでいたが、自らお茶を注文し、そのことに対しては沙悟浄も何も言わなかった。安く済んで有り難い、くらいにしか思わなかったのだろう。 「ワラシ!タバコ買って来いよ!」 「タバコならあるわよー。ほとんどの銘柄が置いてあるから」 「おう、ワラシ!何か面白い話しして先輩楽しませろよ!」 「いいじゃん。私と話してるだけじゃ楽しくないのぉ?」  つまりこの少年は沙悟浄が威張るために連れてこられた要員のようだ。ここまで露骨でないにせよこの手の人種は割と頻繁に見る。自分より立場の弱い人間を近くに置いて、その人間を馬鹿にしたり小間使いにしたりして自分が上の立場の人間であることを周りにアピールする。実際はそのことで自分の評価を下げているのだが何故か本人はそのことに気づかない。楓の経験から来る偏見で言えば、高校デビューで不良を少しかじったくらいの小会社社長に多いタイプだ。 「どうもー。ママの楓です。私も何か戴いてよろしいですか?」  前回沙悟浄が来たときはほぼ満席の状態で忙しかったし、あまり長居しなかったので楓と顔を突き合せることはなかった。沙悟浄は一瞬躊躇したがメグミにせこいと思われるわけにもいかず、いいよ、好きなもの飲みなよ、と強がって見せた。きっとその躊躇が見透かされていることにも気づいていないのだろう。二言三言、言葉を交わすと再びメグミとの会話に夢中になった。 「初めてですよね?ずいぶんお若く見えるけどおいくつなんですか?」  ここがチャンスと見て楓はワラシと呼ばれる少年に声を掛けた。 「あ、じゅう……、いや、あの、は、ハタチです」  透き通るような頬をほんのり赤く染め、少年は慌ててお茶に口をつけた。 「ワラシって呼ばれてますよね?本当はなんてお名前なんですか?」 「あ、いや、その……」 少年はもごもごと口ごもり、チラチラと沙悟浄に視線を送るが沙悟浄はまるで気づかない。 「ねえ、いいじゃないですかあ。下のお名前だけでも。ね?」  そう言って楓はグラスを持っている少年の腕にそっと手のひらを乗せた。楓のボディータッチはどんな組織の拷問より、どんな強力な自白剤より、どんな権力者の脅迫よりも効き目がある。 「ミノリ……、ミノリです……」  消え入りそうなその声を聞いたとき、楓は思わずカウンターの下で拳を握り、ガッツポーズを作った。 「で、そのあとメッセージアプリで連絡を取り合えるところまでこぎつけたと。いや、さすがです」  事務所の中で拍手が響き渡る。孔明、幸太郎、さつき、全員が手を叩き、楓に視線を送った。  美徳が店を訪れた翌日、近くに用事があるからと言って楓が直接事務所へ報告に来た。 「本当は探偵事務所ってのに興味があったみたいだぜ?」  ソファーに座る楓の隣で体を丸め、長光が言った。  おや。楓の心まで読めるのか?と思ったら、「それくらい匂いで分かる」と答えた。ほら、また一方通行のテレパシー!と心の中で言ったが長光は知らん顔で腕をペロペロと舐めて顔を洗った。  さつきがいるのは、ほとんど毎日学校帰りに事務所へ寄るようになったからだ。依頼人として調査の進捗状況を確認しに来ている、と本人は言うが楓同様、好奇心で来ているのは明白で、なおかつ彼女の場合、助手を気取っている節すらある。しかも今日は高校生のさつきではめったに接することの出来ない夜の世界に生きる女性、それもトップクラスの楓と遭遇できたのだから、右目には好の字、左目には奇の文字がはっきり浮かんで見えた。 「一体どんな魔法を使ったんですか?お姉様」  さつきはそう言って楓の隣に座った。長光は女性二人に挟まれ、なおかつずっと楓に頭や背中を撫でられているのでご満悦の様子だ。 「何も特別なことしてないわよ?こうやって丁寧にお話ししただけ」  さつきの小さな手の甲に、楓の細長くしなやかな指が包み込むように重なった。金縛りに遭ったように動きの止まったさつきの頬がみるみる赤く染まる。この手口は老若男女、性別年齢を問わず有効のようだ。 「幸太郎くん、お父様はお元気?」 「あっ、はい!おかげさまで!」  幸太郎の父、松下良雄は楓が以前勤めていた高級クラブの常連客であった。今の店にも何度か顔を出したことがあるらしく、幸太郎自身は全く酒の飲めない下戸であるが父の付き添いで何度か楓と顔を合わせたこともあるらしい。父の姿が脳裏にちらついてしまうためか、直立不動でかしこまったままだ。 「で、どうでした?何か気になること話してませんでしたか?」 「うーん、さすがに犯罪とか組織に関することはねえ……」  孔明の問いに楓は視線を中空に彷徨わせ、昨夜の記憶を捉えようとする。 「ほとんどがカッパのくそつまんない話しばかりでさ」  美しい顔から飛び出る口汚い言葉にさつきが少々面食らった顔をした。 「あ、でもこれは捜査の役には立たないと思うけど、美徳くんはどうもお父さんの借金が原因で組織に加担させられてるみたいよ?」 「お父さん?」  写真からも話しの内容からも父親の存在は感じなかった。借金を残して蒸発したか或いは亡くなったか……。 「いやいや、いい情報、姐さん、さすがっす。ナイス!」 「何それ、馬鹿にしてんの?」  言葉とは裏腹に、楓の顔は笑顔で綻んでいた。クラブで勤めていた頃から孔明は万事この調子で、昔ながらのやりとりを懐かしんでいる風でもある。 「借金のカタに……ってことか。いつの時代になってもその手の話しはなくならないもんだねえ」 「孔明ちゃん、爺くせえ」「孔明ちゃん、爺くせえ」  さつきと楓の声が重なった。顔を合わせて笑い合う二人は親子と言ってもおかしくないほど年が離れているはずだが、楓の見た目が若いせいで仲のよい姉妹に見える。 「で、姐さん、例のものは……」 「ああ。持ってきたよ。こんなもので良かったの?」  バッグから手のひらより少し大きいくらいの、ジップでロックできるビニール袋を取り出し、テーブルの上に置いた。 「え?何それ?」 「孔明ちゃんから頼まれてたもの。もし美徳くん本人だと確認できたら何か身につけていた物か、髪の毛や体液の付着した物が欲しいって。だから頭撫でてあげたとき手に付いた髪の毛と、手を拭いたおしぼり。何?DNA鑑定的なもの?」 「いやいや、まさか。そこまでできないですよ。ちょっと。さつきちゃん。そんな目で私を見ないで。別に変態チックな意味合いで頼んだわけじゃないから」  眉間にシワを寄せて目を細め、口をへの字に曲げたさつきの顔は確かに、不倫がばれて謝罪をする芸能人かセクハラ行為を糾弾されている政治家を見るような目つきで、孔明は居たたまれなくなった。 「ちょっと失礼しますよ……と。幸太郎くん、お姉様方にお茶とお菓子のおかわりをお出しして」 「え?本当に何なの?」  ビニール袋を手にすごすごと奥の部屋へしけ込む孔明を見てさつきは眉間のシワをさらに深めた。 「お守り作りですよ。先生は神主の資格も持ってらしているので」 「あー、そういや昔もそんなこと言ってたね。私も作ってもらったことある。多分探したらまだ家にあるんじゃないかな。でもお守り?なんで?」 「今後その少年を親元に帰すとなれば組織を抜けさせる、ということですからね。少しでも危険が及ばないように、ってことじゃないですかね」  むろん神主の資格を持っているというのは嘘である。しかし孔明にとっては何かと都合のいい嘘なので、昔からよく使っていたのだ。 「そんなちまちましたことするくらいだったら組織ごとぶっ潰せばいいのよ」  さつきは腕を組み、奥の部屋へ繋がるドアを睨みつけて鼻を鳴らす。幸太郎は何故かそんなさつきに向かって笑顔でガッツポーズを見せた。 「式神か?」 「わっ、びっくりした!」  振り返ると長光がいた。足音も気配もないので声を掛けられたことに驚いたが、式神を降ろすとき、或いは何らかの陰陽的行為を行うとき、長光が付いてくるのはいつものことだ。 「全く君も心配性だよね。ここ数百年は何事も起きてないじゃない」  おおごろ様と、孔明の扱う神々とは系統が違う。そもそも山の神は女神であることが多いのだが、おおごろ様に性はない。そのことこそがこの地に住まう他の神々よりおおごろ様の位が高い証明であると長光は鼻息を荒くするが、正直なところ一体化するまで存在すら知らなかった孔明はピンとこない。  神の使いが猫であることも珍しい。このことに関しては長光曰く、元々違う動物が仕えていたが猫の位が上がった折、権力闘争のようなものがあり、これに打ち勝っておおごろ様の側仕えという地位を手に入れたらしい。地位だの権力闘争だの人間のサラリーマンや政治家みたいだよね、なんて言うと引くほど怒るので言わない。  彼が心配しているのは、おおごろ様と一心同体である孔明が十二神将や土着の神を呼び寄せたとき、何か異変が起こるのではないかということだ。事実、一体化した後まだおおごろ様の意識が残っていることを強く感じていた百年、二百年ほどは様々な神を呼ぶたび孔明は体調の異変を訴えたり、軽い地震、強い風雨、などが起こることがあった。むろん長光の一族が孔明の体調を気遣うわけはなく、いくら体調が悪くなってもそれで死に至ることはないので、心配しているのは天災のほうである。それも本当に最初の二百年ほどのことで、おおごろ様の意識を感じなくなってからは頭痛の一つすらしなくなったし、ましてや長光が心配するような神の怒りによる天変地異などは起こったこともない。むしろ本当にまだおおごろ様、中にいるの?死んでんじゃないの?と思うこともあるが、孔明の不老不死は続いているのでそれはないだろうし、そんなことを言うと引くほど怒られるので言わない。 「さて……、と」  寝室として使っている八帖の部屋は無機質なコンクリートのビルに似つかわしくない和室に仕上げてある。コンクリートの床に畳を敷き、桐の箪笥、さすがに囲炉裏や行灯を置くわけにもいかないので代わりというわけではないが真ん中にちゃぶ台を置き、アンテークな間接照明を置いた。  孔明は箪笥の一番上段にある引き出しを開け、中から贈り物用のクッキー入れみたいな丸いカンを取り出した。その缶を開けると中には白い紙でかたどられた人形(ひとがた)が数枚入っており、一枚を手に取る。 「そういやタマちゃんさあ」  長光に強く睨まれ、一瞬先ほど頭の中で考えたおおごろ様のことを覗かれたのかと思ったが、すぐに『タマ』と呼んだことに怒ったのだと思い直した。 「長光どんさあ」  孔明は面倒臭くなったとき、わざと薩摩言葉のように「どん」をつける。ささやかな長光に対する抵抗であり、これなら突っ込まれても「いや、ちゃんと『どの』って言ったよ?」と言い張れるからだ。 「長光どんはさ。おおごろ様と話した記憶ってあるの?いや、もちろん君自身にはないだろうけれど、ご先祖の記憶の中でとかさ」  長光は浮かんだ記憶を捉えるように空中へ視線を飛ばした。 「俺たちはお前らのように具体的な言語を使って話すわけじゃないからな。先代はお前と一体化して薄くなっていくおおごろ様の意識を一方的に読み取っていただけ。きちんと意思の疎通が図れていたのは爺さんの頃だから……。記憶はなんとなくあっても実感は残ってないな」 「わたしさ、たまに考えてみるんだよ」  孔明は箪笥で捜し物をしたまま振り返らず話を続ける。 「おおごろ様の意識が完全に消えたのはいつだっただろうって。何かきっかけがあったんじゃないかって。そう考えると武家社会が始まってすぐだった気もするし、本当はもっと後で、鉄砲が伝来した頃だった気もする……」 「おおごろ様は山の神だ。お前ら人間を誰が牛耳ろうがどれだけ殺し合おうが、それでお隠れになるとは思わない。お前ごときがおおごろ様のお心を測ろうなどとはせず今まで通り一年に一度あの山で祭祀を執り行えばそれでいい」  おおごろ様の山は現在、おのごろ山と呼ばれ、古い伝承とともに残っている。それほど大きい山ではなく、獣道のような山道を歩けば一日で頂上に行ける。頂上の少し開けたところにご神木となる大木があり、その木が屋根を貫くような形で簡易の小屋を建て、一年に一度そこで祭祀を執り行い、山全体に張った結界を維持している。そのためか、おのごろ山は未だ人の手が介入しておらず、開発による伐採、戦火、山火事などにも無縁で、千年前と変わらぬ姿を残していた。それこそがきっと、おおごろ様がお前を取り込んだ理由なのだと長光は言った。おおごろ様はどんどん山がなくなっていく未来を予見なさっていたんだと。 「ふーん、そういうものか……。あ、あった!」  振り返った孔明の手には三センチほどの小さな蛇のアクセサリーがぶら下げられていた。それから部屋の中央にある丸いちゃぶ台の脚をたたみその上にビニールから取り出した美徳の髪とおしぼり、箪笥から出した人形と蛇のアクセサリーを並べて、明かりを間接照明だけに切り替えて薄暗くした。暗くなければならないわけではないが、この方が気分も乗るし、集中できるらしい。  楓たちが来る直前、水風呂にて身を清めておいた。  箪笥から出した白い狩衣を上から羽織ったあと、左手で印を結び、呪(しゅ)を唱えながら右の手のひらで髪とおしぼりを撫で、続けて人形を撫でる。これは一般の神社などで行う厄払いのようなもので、髪、おしぼりから美徳の厄、穢れを人形に移す。  長光はじっとその作業を見ていた。  ―晴明のようにはいかないがー。孔明がよく口にする言葉である。  長光は安倍晴明を知らない。他の者と同様、見世物や伝聞で見聞きした程度のことしか知らず、実際のところどれくらいの実力であったのかは知りようがないのだ。しかしこの世に生まれてから今まで、或いは先祖の記憶の中で数多くの僧、修験者、宮司などを見てきた。その中でも孔明の力は群を抜いている。例えばあれほど簡易な厄払いなら、並みの者なら三十パーセント程度の効力しか得られないだろう。しかし孔明ならば七十パーセント以上の効力をひと月は持続させられる。半年後でもせいぜい五十パーセントに落ちるくらい。それほどの実力がありながらも孔明は幼少期しか知らない弟が歴史的な人物となり、頭の中で肥大したイメージにいつまでも萎縮したままだ。さらに「晴明ほどではない」と口にするたびその言葉の言霊に捕らわれ、泥沼的思考から抜け出せないでいる。  呪の内容が変わった。声にも先ほどより緊張と重々しさが感じられた。あのアクセサリーに式神を降ろしているのだな、と分かる。 「お、おい、孔明!」  しばらくして長光が声を出した。呪を唱えている最中に長光が声を掛けてくることは珍しく、集中して聞こえていないのか孔明は反応しない。 「おい!孔明ってば!」 「キュウキュウ……、もうなあに?長光どん。邪魔しないで……、うわあ!!」  孔明は思わず大きな声を上げた。蛇のアクセサリーを置いていたはずのちゃぶ台に見知らぬ男が腰掛けていたからだ。  男は髭を生やした四十代くらいのちょっと悪そうな男で、ふてぶてしく足を組み、電子タバコを吹かしている。 「だ、だ、誰!?この人!?」  孔明は目を回して倒れんばかりの勢いで男を指さし、長光に尋ねた。 「人?お前には人に見えるのか?俺にはお前と同じくらいの大きさをした大蛇に見えるぞ?」 「まじ!?こわっ。ん?蛇?……あの……、もしかして……、勾(こう)陳(ちん)さん?」 「いやいやいやいや」  男は呆れたように首を振り、タバコを一つ吹かしてから口を開いた。 「俺、君らと会うのもう三度目くらいだよ?前回も百年だか二百年前に出てきて、そんときも君ら今と全くおんなじ反応して、全く同じやりとりしてた。で、そんときも俺言ったの。見え方がそれぞれ違うのはまだ孔明の力が足りないせいだって。長光くんの目に、……君、長光くんだよね?より本来に近い姿で見えるのは長光くんが神に仕える存在だからだろうって」  そう言われて長光も申し訳なさそうに下を向く。厳密に言えば長光本人ではなかった可能性もあるのだがそれは言えない。系統は違っても勾陳は神で、長光は神に仕える立場。会社で言えば派閥や部署が違っても上司であることに変わりがないのと同じで、系統は違っても神に逆らうことはできない。  孔明は単純に忘れていた。ずいぶん昔に式神が直接姿を現したことはなんとなく覚えてはいたが、それがいつ、どのような流れで、どの神が姿を現したのかはすっかり忘れていたのだ。現に今こうして勾陳を目の前にしてもいまいち思い出せない。そんな孔明の心を見透かしたように勾陳は言葉を続ける。。 「そりゃ当時とは見え方も違うだろうけれどもさ。十二神将の一柱がが姿を現すなんて結構大きな出来事なんじゃないの?忘れるかね?普通」  そう言っている間、孔明と長光はチラチラと目を合わせながら小声で何か言っている。耳を澄ませてみると。「君から言ってよ」「何でだ。俺は関係ないだろう。自分で言えよ」などと言い合っている。 「え?何々君たち。ちょっと怖いんだけど」 「あのー、まことに言いにくいことなんですが……」  長光に尻尾ではたかれ、口を開いたのは孔明であった。 「戻ってもらえます?」 「は?」 「いや、こうやって姿を現してくださったのは本当に、ほんとーーに嬉しいし有り難いんですが、今回はちょっと違うかなーって」 「違う?」 「今回の目的は悪の組織に入ってしまったある少年に,その組織を裏切るよう仕向けることなんですね。ほら、裏切りと言ったら勾陳さんじゃないですか」 「あんまり気持ちのいい言い方ではないけれど否定はしないな。闘争を司り、裏切りと不忠不幸を呼ぶ凶将だからな。だったらなおのこと好都合じゃないか」 「いや、戻ってほしいってのはアクセサリーの姿にってことです。その少年にはどういう姿で見えるかは分からないですけど、今日からこの人を連れてくださいなんて知らないおじさんを紹介するわけにはいかないじゃないですか」 「そうかもしんないけど、何か釈然としないなあ」  勾陳は不満げな表情を隠そうとしない。 「まあそう言わずに。ことが落ち着いたら好きなものお供えしますから。それにあのアクセサリー、超かっこいいっすよ?」 「そう?じゃあ何か甘いものな。最近は普通に甘いものが食えるって聞くし。なんだかなー、久しぶりに出てきたってのになあ……」  声とともに姿がフェードアウトしていき、ちゃぶ台の上に蛇のアクセサリーが残った。 「ふう」  孔明は一つ、大きな息を吐く。ため息が露骨すぎだと長光は尻尾で孔明の足を叩き,目で注意をする。 それから勾陳の降りたアクセサリーを小さなお守り袋に入れ、厄の入った人形は後日しかるべき場所で処分するべく、新の人形が入った缶とは別の箱に保管しておく。 「これでうまくいくといいけど。よろしく頼みますよ?」  孔明はアクセサリーに顔を近づけ,小さな声で呟いた。  二人が事務所に戻ると、幸太郎までもがソファーに座り、爆笑で盛り上がっていた。 「あらら、すっかり仲良くなっちゃって。何々?何の話し?」 「いやー、今、楓さんから先生が楓さんのいた店で働いていた頃の話しを聞いていたんですよ。うちの親父が店行ったとき先生のことを『おじちゃん、おじちゃん』て呼ぶもんだからみんな目を丸くしてた、とか」 「そうそう。ほんと不思議なんだよね。良雄ちゃんも孔明ちゃんと接するときは子供みたいになるもん。自分が爺くさいから、からかってそう呼ばれてるだけだって孔明ちゃんは言うけど」  そう言う楓の隣でさつきがうんうんと頷く。 「分かる。わたしもたまにおじいちゃんと接してるような錯覚に陥るときがあるもん」  これには孔明もショックを受けた。  確かに文明、文化の進化になかなかついて行けず若者らしくない言動を取ってしまうことも多いかもしれない。千年を超える人生経験のために、隠しきれない貫禄が滲み出ていることもあるだろうし、あまりに若く見られるとそれはそれで気に入らない。。しかし孔明は孔明なりに流行のスピードに戸惑いつつも現代風の言葉を勉強し、かつそれらを使いこなそうと努力する。或いは自らが使いこなせずともスマートフォーンのことなども、なるべく知っておくようにする。ジーパンだって穿くさ。未だにあのゴワゴワとした履き心地に慣れず、本当なら年中和装で過ごしたいところなんだけれども、我慢して穿く。なのにまだ爺くさいのか。 「孔明ちゃん?褒めてんのよ?これ。若いのに落ち着いてるなって」  とてもそうは思えない。 「ま。そういうことにしておきましょう。で、楓姉さん、美徳くんをまた店に誘うことはできますか?」 「もちろん。いつでも」 「じゃあ次来たとき、適当なこと言ってこれを渡してください」  そう言ってお守り袋を渡す。 「あ、本当にお守りを作ってたんだ?」  受け取ったお守りを訝しげに見ながら楓は目配せで中を見てもいいかと孔明に問う。孔明が頷いたのを見て、楓はお守りの巾着を開け、中から蛇のアクセサリーを取り出した。 「蛇?……これだけ?」  美徳の干支か何かだろうか。と楓は思う。アクセサリーの輪っか部分を摘まみ360度見回してみても別段変わったところのない、どこにでもある安物のアクセサリーであった。 「もしもお守りを身につけることに抵抗があるようなら、そのアクセサリーだけ渡してくれてもいいから。お守り袋にさしたる意味はないし」 「これを渡すだけでいいの?何か聞いておくことはない?」 「ええ。とりあえずは。それが何かしらのきっかけを作ってくれると思うので」  あまり深入りさせると楓に危険が及ぶことにもなりかねない。楓はこれが?という顔でアクセサリーを再び見回しさらに聞く。 「ほんとに何も?ほら、いつもどこに集まってるんだとか、沙悟浄以外にどんな上役がいるんだとか」 「いやいやいや!あんまり焦って警戒されては元も子もありません。姉さんにはまたお願いすることがありますから!」  孔明は慌てて首を振った。こうでも言っておかないと尾行すらしかねない勢いである。 「アジトさえ見つけてくれれば私がパッと行ってパッとやっつけてくるのに」  そう言ったのはさつきだ。彼女の場合、実は自らの格闘術が実戦でどれだけ通用するかを試したくて、事務所に顔を出しているのではないかと思われる節がある。探偵事務所ならばトラブルに巻き込まれるかもしれない、という期待からだ。 「何言ってんの。仮に見つけたところで何人いてどれだけ物騒な武器持ってるかも分かんないんだよ?そんな高校生のお嬢さんがさ……」 「はい出た。女は弱いから大人しくしとけって?孔明ちゃん爺くせえー」  また言われた。  言い返す言葉のない孔明は両手を広げ、天を仰ぐしかなかった。
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