調査開始

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調査開始

 次の日、孔明は繁華街にいた。今日は一人である。  自転車に乗っていた。大きなかごの付いた、いわゆるママチャリ。まだ不慣れなためよくふらつき周りから不審な目で見られるが本人は得意げである。馬ほどのスピード感はないが自分の力で移動しているという充実感が素晴らしい。そう思っている。  特に何か当てがあって来たわけではない。犯罪者の手がかりを探すなら繁華街、つまりは刑事ドラマ、探偵ドラマから得た知識、影響のみである。  似顔絵を見る限り繁華街を探すより予備校を訪ねて回った方が良さそうな顔つきだが人は見かけによらぬもの。早速コンビニ前でたむろしている若者を見つけたので、彼らに話を聞こう、と思った。  三人いる。一人はカレーのルウみたいな茶髪で、あとの二人はアメリカ人でもイッツゴールド!とビックリしそうなくらい見事な金髪である。三人ともが腕に数珠をつけているので心根は信仰心の厚い立派な若者であろうと思われるが、いかんせん周りを威圧するくらいの大きな声で下品な笑い声を上げている。全員十代だろう。カレーの少年は高校のものらしき制服を着ていた。が、彼は高校生ではないだろう、と孔明は思う。長い人生の中で教師という職業も何度かやったことのある孔明の、勘、のようなものだ。なるほど。せっかく実年齢は十代であるというのに学生をやったことはなかった。探偵の次は学生をやってみるのも良いかもな、などと考えながら歩き出した。  真っ直ぐコンビニへ向かう。少年たちの横を通り過ぎ、気づけば店内である。いかんいかん。そういえば喉が渇いていたのだった。これだけ喉が渇いていたのでは円滑に会話を進めることもできないではないか。そう思い、今日の気温では少し暑い気もするがホットのブラックコーヒーを購入する。そういえば科学や文明の進化にはなかなかついて行けないのに、食文化の進化に対応するのは早いんだなあ、今さらあんな固い強飯などには戻れぬものなあ、現金なもんだよなあ、などと考えながら歩いているとまたしても少年たちの横を通り過ぎ、元いた場所へ。  もちろん彼らに声を掛け、激高されて殴る蹴るの暴行を加えられようと死ぬことはない。あるいは誰かがナイフを所持しておりめった刺しにされたところでやはり死ぬことはない。それは分かっている。でも痛い。孔明はほんの数日前、海に沈められて苦しい思いをした。死にはしないが死に目にあってから一週間くらいは生来のビビり性が露骨に表に出る。しかし一週間を過ぎれば気が緩み、また危険な目に遭う。千年以上生きて変わらないんだから、この先一万年生きても変わることはないだろうと諦めている。 「孔明ちゃん?」 「わっ!!あつっっ!」  驚いて跳ねたコーヒーの滴が手に掛かった。まったく。痛みは死への危険信号ではなかったのか。死にもしないのに信号ばっかり送ってくるなと自分の体に文句をつけたくなる。  大きな声を出したからか、カレーの少年が刺すような視線を送ってきたのが分かった。その少年の視線を遮るように、一人の女が孔明の前に立っていた。 「孔明ちゃんでしょ?久しぶり!」 「ああ、楓(かえで)さん!久しぶり!」  孔明がクラブでボーイの仕事をしていたときのナンバーワンホステス、楓だった。確か本名は奈津子だったはずだがつい当時の源氏名で呼んでしまう。現在は小さいながら自分で店を経営しており、高級店ではないにもかかわらず有名人や社会的地位の高い者もお忍びで訪れるという。 「変わらないね、孔明ちゃん。あ、でも自転車乗ってるじゃない!?すごーい!」 「楓さんこそ!若いままですね!」  お世辞ではなかった。孔明がボーイをしていたのは二十年ほど前であったから、とうに四十は超えているはずである。しかし、この人も不老不死ではないだろうか、と疑いたくなるくらいその美しさは変わっておらず、地味目の私服を着ているのに人目を引きつけてしまう華と色香を持っていた。 「孔明ちゃん、最近どうしてるの?」 「探偵始めたんですよ」 「え?探偵?」  コンタクトの入った真っ黒な瞳が好奇の光でキラキラ光ったのが分かった。  そういえば……。  楓の顔を見て孔明はホステスさんのバックヤードの光景を思い出す。客を待っている間、彼女たちはタバコの煙が充満した小部屋でよく噂話をしていた。どこそこの社長が誰それを愛人にしているだとか、何々組の組長は最近羽振りが良いだとか、黒い噂はやはり夜に集まってくるらしく、彼女たちの噂話は大概当たっているんだ、と当時の店長が感心していたのを思い出した。 「楓さん今から少し時間とあったりなかったりします?聞きたいことがあるんだけれども」 「あるある!何?何でも聞いて!?」  日常生活に刺激を加えるスパイスでも嗅ぎつけたのか、楓は女学生のようにはしゃいだ。  三人組が再びこちらを見たが、思春期である彼らのことだから今度は、くびれの目立つ楓の後ろ姿を見ていたのだろう。  楓の店が近くだったこともあり、二人は楓の店で話をすることにした。  小さなビルの一階にあり、看板には洒落た飾り文字で「MilkyWay」とあった。 「ミルキーウェイ、天の川か……。いい名前ですね」  孔明がそう言うと、楓は返事の代わりに菩薩のような柔らかい笑みを返した。  カウンターが六席とボックスが三席。こぢんまりとした普通のスナックに見えたが、カウンター奥の棚に並んでいるボトルは半分くらいが最高級のもので、客層の高さを窺わせる。せっかくだから酒でも、と薦められたが先ほどのコーヒーをまだ持て余していたため断る。 「この少年なんだけれども、最近この辺で見たりしたことないすか?」  似顔絵を楓の前に広げた。 「あら、上手。これ孔明ちゃんが描いたの?そういや漫画家になるのが夢だって言ってたもんね?」 「いやいやいやいや。そっちはすっかり諦めて。これはその時の先輩が描いたものなんですよ」 「そうなの?もったいない。孔明ちゃんの絵も味があって良かったのに」 「そう言ってくれるのは楓さんだけです」  楓は似顔絵を手に取り、じっくり見つめる。 「可愛い顔してるよね。この子がどうしたの?」  孔明は掻い摘まんで事情を話した。話してからそういえば守秘義務ってどうなってるんだっけ、と思い、すぐにまあいいか、と思い直した。 「ふーん、特殊詐欺ねえ。そんなことしそうな顔に見えないけど」  楓が言うからには単にアイドル顔だからというわけではなく、顔立ちから滲み出る根の真面目さみたいなものを感じたのだろう。 「うーん、絹江ちゃんもそう言ってたんですよねー」 しばらく二人とも黙って似顔絵を睨みつけた。なんとか本性を暴こうと念じているようにも思える。 「ちょっとこれコピーとっていい?店の子にも見てもらうから」  孔明がもちろん、と答えると楓は似顔絵を持って奥の事務所に入っていった。 「なんかそういうことしそうな連中知らないですかね?団地ごと被害に遭ってるし単独犯ではないはずなんだよね。団地の近くに受け子を待機させる。リストを見ながら足の付かない電話を使って電話をかける役もいる。それをあの近辺の団地やマンション十数棟1度にやってるみたいだから少なくとも十人以上の組織的犯行じゃないかと」  事務所に届くよう、少し大きな声でそう言った。  楓はその場では答えず、似顔絵を二枚持って店内に戻ってから「いるよ。いるいる」と小声で話し始めた。 「店の子が最近言ってた。アヤカシってチーム名らしいんだけどね?半グレ集団って言うの?うわさじゃ犯罪の多角経営で色んなことやってるらしいの」 「アヤカシ?なんか聞いたことはあるな」  お、さすが探偵、と楓が茶化すように孔明を指さす。 「クスリの売買、ヤミ金、恐喝、何でもやってるみたいだから特殊詐欺くらいやってても不思議じゃないんじゃないの?ウチにも一度、下っ端が来たことあんのよ。帰ったあとで店の子が、今のアヤカシの下っ端ですよって。アンタ早く言いなさいよ!っつって。知ってたら難癖つけて店に入れなかったのに、って」 「アヤカシ……、ねえ?」 「まあ何か分かったら連絡するから。番号教えてちょうだい?」 「あ、じゃあその時はこのビルの屋上で煙りでも上げてもらえれば」 「狼煙!?アンタ何時代の人間よ!?」  生まれは平安時代です。 携帯電話を持っていないことに心底驚く楓に探偵事務所の電話番号と幸太郎のメールアドレスを伝え、孔明は店をあとにした。 「奈津子と会ってきたな?」  事務所に戻ると開口一番、長光が言った。 「え?どうして分かったの?また私の心覗いた?」 「それくらい匂いで分かる」 「へえ、さすが!ずいぶん昔に数回会っただけなのにすぐに分かるなんて」  長光は鼻をフンと鳴らして奥の部屋へ入っていった。自分をのけ者にして一人だけ楓にあってきたことが気に入らないらしい。本人は「人間の女なんて」と言って認めないが、女性には興味を引かれるようだ。長光は人間を見るとき、目に見える外見よりも魂の形を優先してみるので、特に年齢や容姿にこだわりはないらしい。むしろ実際の性別すら関係なく、魂の形が女性の形をしていれば、女性として接しているようだが、楓のことは外見に関係なく特に気に入っていた節がある。 「どうしたんですか?」  いつの間にか幸太郎が部屋に入ってきていた。 「いや、別に……。何か買ってきたの?それ」  幸太郎の手にはA四サイズくらいの袋がぶら下がっていた。 「陰陽師のDVDです。小説とか漫画は見たけど映画は見てないなあと思って買ってきたんですよ。一緒に観ませんか?」 「えー?私が?映画の陰陽師?」  はじめから同意など求めていないのだろう。渋る孔明を尻目に幸太郎はDVDを着々とセットする。 「あ、昨日も言いましたが明日依頼人が来ます。確認の電話がありました」 「うん。覚えてるよ。明日ね」 「はい。人捜しっぽいこと言ってましたね。パート終わってからだから十六時は少し過ぎるかもって言ってました」  映画が始まると長光が音もなく部屋に入ってきて机の上に寝転がり、テレビ画面に目をやった。指摘するとまたへそを曲げかねないので言わないが、どうやら映画も好きらしい。  物語は丑の刻参りを境に女が鬼へと変貌していく話だ。当然孔明はこの話を知っている。最近の小説や漫画はもちろん、昔から歌舞伎や浄瑠璃でも晴明の物語は観てきた。創作とはいえこれだけ長い間、時代をまたいで愛され続けている弟がいるということは、やはり孔明にとっても誇りであり、自慢なのだ。ある意味、彼こそが不老不死なのではないかとさえ思う。しかしどれだけ世間が押しつけてくる晴明のイメージが孔明の頭に定着しても、彼の物語を観て思い出すのはやはり共に過ごした幼少期の晴明である。孔明の知る限り、晴明は人ならぬものを見たり、術を使ったりしたところを見たこともなければ聞いたこともない。ただ不思議なところは確かにあって、虫、植物、鼠や馬などの動物、それらと会話するように接していた。そう考えるとやはり当時から自分には見えない精霊のようなものが見えていたのかもしれないとも思う。  画面には晴明宅の縁側が映し出されている。小説などでもよく描かれる風景だ。親友である源博雅と静かに酒を酌み交わし、少ない言葉を交換する。酒などの配膳をしてくれるのは美しい女の姿をした蜜虫と呼ばれる式神である。 「先生もやっぱりこういう式神とか出せるんですか?」  画面から目も離さず、スナック菓子を口に放り込みながら幸太郎が言った。 「まあ晴明も本当にこんなことできたのか?って私なんかは思うけどね?」  そう言って孔明もスナック菓子を放り込む。 「そりゃ私だって式神使うことくらいできるけれどもさ。正直言ってあんなはっきり具現化はめったにできないよね。この千年ちょっとで成功したのは十回もないくらい。この百年くらいはもう挑戦もしてないね。だって見てごらんよ、まるっきり人間じゃないの。私ができるのはせいぜい人形や動物とかに降りてきてもらって、そのままの姿で式神としての役割を果たしてもらうってことかな?」 「と、言いますと?」  幸太郎が一瞬だけ孔明の方を振り返った。 「んー、だから例えばね。この蜜虫さんって小説では藤の式神でしょ?私は藤の花を人間の姿に変えることはできないけれども、藤のイメージに近い十二天将の誰かに降りていただいて、藤の姿のまま式神としてお手伝いいただくことはできる。あ、このイメージってのは私の勝手なイメージでいいの。ここに降りてきてくださいってお願いしやすいように。そうだな。もう単純に、藤は春の花だから六合さんに降りてきてもらおうかなー、とか。で、それを誰かに渡してその人を私の希望する行動に導いてもらう、とか。ざっと言えばそんな感じ」 「へえ」  幸太郎は気のない返事を返す。  映画は中盤、物語の核を描く大事なシーンで、長光も一緒になって画面に集中していた。話の内容を知っているにも関わらず孔明もぐんぐん引き込まれる。そして思った。鬼、超怖い。  いやー、昨夜の鬼、まじ怖かったなあ。本当に鬼ってあんな感じなのかなあ。いや、絶対にいるのは分かってんだけど見たことないもんなあ。実際現れたらどうしよう。私の陰陽なんかで戦えるんだろうか。何か必殺技みたいなのでもあみ出しとかなきゃいけないなあ。呪(しゅ)を唱えたら手から炎とか衝撃波が出る、みたいな。でもやがてそれが通じない敵が出てきて、修行しつつ仲間を探す旅に出る、みたいな。そして仲間とともに究極の技を完成させて、力を合わせその鬼を討つ、みたいな。手塚先生あたりに描いていただきたいけど亡くなってるしちょっと手塚テイストの話しじゃないなあ。じゃあ鳥山明か。いっそのこと漫画家じゃなく原作者を目指そうかしら。っつーか、そもそも私の人生そのまま物語の原作になるんじゃないの?って駄目か。わたし、全然強大な敵にも立ち向かっていないし、困難にも立ち向かってないもんなあ。駄目だなあ、わたしは。  その日はさつきの団地へ行った。自転車で行くには少し遠い距離だが、運転技術向上のためにも自転車で行くことにした。他の住民に似顔絵を見せて話を聞いて回る。そりゃ繁華街よりそっちの方が先だろう!と孔明は自分でも思ったが、何でも形から入る方なので、すぐにテレビとかのまねをしたくなる。  しかしさつきの話しの通り皆あまり協力的ではなく、受け取りに来たのはやはりこの少年だった、というのを確認するだけの作業となってしまった。絹江ちゃんのところにも寄ってみたが新しい情報は得られず、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が当たり前なんてすごい時代だよね、なんて話しで盛り上がっただけだった。  事務所に戻るとさつきが来ていた。  来客用のソファーに座って先日幸太郎が持ってきた「陰陽師」を観ている。隣には長光が寝転がっていた。 「あら、いらっしゃい。来てたんだ?」 「おかえり。鬼、超怖いね」 「でしょー。って君、我が家のごとくくつろぎすぎじゃない?」  話しによるとさつきを中に入れたのは幸太郎で、先ほどまでいたのだが仕事が入ったとかで出ていったのだそうだ。留守番失格だよ、まったく、と孔明は文句を言いながら、長光を間に挟んでさつきの隣に座る。 「どう?捜査進んでる?」 「君の言った通り団地の人もあまり協力的でなくてね。有力な情報は仕入れられなかったね。それより今日はこれから客が来る予定なんだ」 「へえ……」 「……」「……」 「客が来る予定なんだ」 「ふうん……」 「……」「……」 「いや、ここにいてもらっちゃ困るんだけどね」 「大丈夫。来たらどけるから」 「そういうことでなくて。君、同席するつもりかい?」 「いいじゃん。面白そう」 「駄目でしょ。守秘義務がどうこうってのもあるし、相手さんだって関係ない人がいたら困るだろうし……」  ブー。その時、玄関のブザーが鳴った。クイズで×を出されたような安っぽい音で、こんなのあったんだ、とさつきは今になって気づく。孔明は玄関に向かいながら何度も振り返り、奥の部屋に行け、とジェスチャーで伝えるが、さつきは見ていないふりをした。  カランコロンカラン。扉を開けると目の前に四十代くらいの女性が立っていた。 「あ、すいません。先日お電話した浦田と申します。少し早すぎるかなと思ったんですが……」  時刻は十五時四十分。十六時を過ぎるかもしれないという話しだったので確かに早いが、千年を生きる孔明にとって二、三十分のズレなど一瞬にも満たない僅かな時間で、何の問題でもない。 「ああ、全然構わないですよ?どうぞ」  孔明が事務所へ案内しようとしたとき、奥からさつきが早足で玄関に来た。依頼人は勢いよく迫ってきた制服の少女に驚いて目を丸くしている。 「あ、わたし、五木さつきです。アルバイトで助手をしてるんです」  あまりに堂々と言い切ったためか、依頼人は特に何も言わず会釈だけして、苦虫を噛み潰した顔の孔明に連れられ、事務所に入った。 「息子が帰ってこないんです」  女は開口一番そう言ってうなだれた。  浦田幸子と名乗ったその女性は名前とは正反対に、世界中の不幸を背負ったような暗い表情だった。痩せているし服装も上等なものではなく、思わず同情したくなるが息子を心配しすぎてこうなった、というよりは、生まれつきこうだったんじゃないかと思うくらい、不幸な空気が馴染んでいる。 「家出……、ですか?」 「分かりません。息子は高校三年生なんですが最近学校にも行ってないみたいで……。母の私が言うのもなんですが息子は真面目な人間で髪も染めたことがないですし、悪い人と付き合いがあったこともなければ学校をサボったことなんて一度もなかったんです。なのに急に……」 「何か心当たりはあるんですか?」  孔明の質問に浦田幸子は一瞬下唇を噛んで押し黙ったが、すぐに「いいえ」と小さな声で答えた。何かありそうだな、とは思ったがここでしつこく追求しても正直に答えてくれるとは思えなかったので、とりあえず受け流すことにした。警察に捜索願を出せない理由もその辺にあるのかもしれない。 「で、その息子さん……」 「あ、美徳です。ウラタミノリ」 「美徳くんを探せばいいんですね?写真か何かありますか?」  あ、はい。そう言って浦田幸子はスマートフォンのフォルダから息子の写真を探す。マニキュアの一つも塗られていないシワの刻まれたその指は、生真面目な彼女の人生を物語っているかのようだった。 「これ……。二年くらい前のものなので今とは少し印象が違うと思いますが……」  自宅で誕生日を祝ったときのものだろうと思われる、誕生ケーキを間に挟み、満面の笑みを浮かべた美徳と幸子の顔があった。角度と距離からしておそらくは自撮りだろう。母子二人きりの家庭なのだろうか。それでも今の幸子のように悲壮な空気は見当たらず、無事、健康に誕生日を迎えられた喜びとささやかな幸福感が画面から溢れ出そうなくらいで、少し印象が違うどころの話しではなかった。 「あ」  隣から覗き込んでいたさつきが声を上げた。 「え?」「え?」  孔明と幸子の視線がさつきに向く。 「あ、いやいや」  手を顔の前でひらひら左右に振りながら、さつきは横目で孔明をチラチラと見た。何か言いたそうだ。しかし孔明は「何?お茶菓子でも欲しいのかい?」などと見当外れのことを言ってくる。何、この勘の悪さ!これでも探偵!?と罵りたくなるが、幸子の方が怪しんだ視線を送ってくるのでこれ以上は何も言えない。 「お嬢さん、ウチの美徳とお知り合い?」 「あ、いえいえ」  言えない。言えるわけないではないか。確証もないのに。美徳くんが自分たちの追っている詐欺事件の受け子にそっくりだなんて。  やきもきするさつきをよそに孔明は幸子に依頼の受諾と料金を伝える。やはりあまりの安さに驚いた表情を見せていたが、他に頼れるところもないのだろう、「お願いします」と頭を下げて帰って行った。  幸子が帰ったあと、さつきは孔明に詰め寄った。えー?いやいや違うでしょ?と、どうしても納得のいかない孔明にパソコンへ転送してもらった美徳の写真を開き、教師が出来の悪い生徒を諭すように何度も画面を指さした。 「ほら、どっからどう見ても同一人物じゃない。これが別人に見えるなんてどうかしてるよ?」  孔明はもう一度画面に近づき、目を細めた。  一般に年を取ると若者の見分けが付かなくなるとよく言われるが、千年を生きる孔明はなおさらである。それでも昔のように誰もが烏帽子を被っていたり、ほとんど全員が月代にちょんまげの時代を思えばマシな気もするが、現代でも個性を前面に出す人は孔明の感覚では江戸初期のかぶき者と数的に変わりはない。若者は同じ流行を追いかけるから横並びになり、年を取ると目立たないよう周りに溶け込もうとするから、やはり見分けにくい。  奥の部屋にいた長光もパソコンの前に来て言った。 「うん。同一人物だな」 「ほらー。タマちゃんも同じ人だって言ってるじゃなーい!」  長光の言葉が聞き取れたのかと思って一瞬驚いたが、猫の鳴き声を都合の良いように解釈しただけだと、一瞬遅れて気づく。 「うーん……」  長光までそう言うのなら本当に同一人物なのだろうが、二年前の写真とはいえ孔明の中でどうしても母と並んで笑顔を見せるこの少年と、詐欺という犯罪が結びつかないのだ。 「詐欺なんかするような人間には見えないんだなー」 「また絹江ちゃんみたいなことを言う。それを調べるのが孔明くんの仕事でしょ?むしろ一気に二つの依頼を解決するチャンスじゃない」  人は見かけによらない。母といえども全てを知っているわけでもない。それなら元から素行がよくなかったと仮定して、不良少年の世界に精通している人間から話を聞きたい。  孔明の頭に一人の人間が浮かんだ。  ステンレスだろうか。銀色の壁にぐるっと囲まれた工事現場。スーパーだかショッピングモールだかが出来るらしく、敷地の正面には巨大なジャングルジムのような足場がある。そこかしこで金属のぶつかり合う甲高い音や、恐竜のような重機が重低音を鳴らし、お祭りさながらの喧噪を感じさせた。鉄筋や重機なんかがなかった時代、城を建造するときも同じくらい騒がしかったんだから不思議だよなあ、などと思いながらぼんやり立っていると、ヘルメットを被った若者が近づいてきて孔明に手を振った。 「先生!」  白い歯を見せて笑顔を向けるその青年は背も高く、日焼けした肌が、がっしりとした体格をより精悍に見せた。 「やあ、花村くん久しぶり。申し訳ないね、忙しいだろうに」 「いやあ、ちょうど今から休憩するところだから。それより驚いたよ、先生から連絡があるなんて」  見ると、まだ作業しているものもいるが十人くらいのグループが数組、二階建ての仮設ハウスに入っていく。花村曰く、色んな業者が入っているのでそれぞれの班が各自の判断で休憩に入るのだそうだ。 「しかし変わらないね、先生も。若いままじゃん」  そう言ってヘルメットを脱ぐと、短く刈られた金色の髪が現れた。五年前、孔明が学校の教師として生徒の花村と接していたときよりたくましく、大人の落ち着きも感じさせるが、時々見せる笑顔の中にやんちゃ小僧だったときの面影があった。孔明はそのことが嬉しかった。 「いやしかし立派だよ君は本当に。こうやって親方として人を使う立場になったんだからね」 「まあ全員がウチの人間てわけじゃないけどね」  孔明は一人の少年に目をやった。おそらくまだ若い。ヘルメットから茶色い髪がはみ出していた。それほど体も大きくないのに四、五メートルはある鉄パイプを四本まとめてひょいと軽々肩に担いだ。 「すごいね。皆あんなことできるのかい?」 「コツもあるんだよ。コツさえ掴めば孔明先生だってそれなりに出来るよ」  本当なら一度挑戦してみたい、と孔明は思う。年齢による筋力の衰えはないが、千年生きたからと言って千年分の筋肉が付くわけではない。漫画家同様、なりたくてもなれていない職業に中に格闘家、武術家がある。伝説の力士、雷電為右衛門を生で見たことがあるというのは一生の自慢であるし、江戸時代には御前試合を木に登ってこっそり見たりもした。力持ちへの憧れはなみなみならない。 「先生、そんなとこいたら危ないよ?」 「あ、ああ……」  じろじろ見すぎたのか、鉄パイプを運んでいた少年が孔明に鋭い視線を投げつけた。孔明は慌てて花村の後に付いていく。 「しかし先生が探偵ねえ。わりいけど全然イメージに合わねえわ」 「いいの。合わなくても。やってみたかったんだもん」 「そりゃやりたいと思ったことをやるのは理想だけどさ……」 「花村くん、最初からそこに向かおうとしないのならそれは理想でなくただの空想だよ?途中で失敗しようと挫折しようと、そこに向かって行動して初めて理想と呼べるんだ」 「なんだよ。俺の顔見たら久々に教師のスイッチ入っちゃったの?」  花村は眉間にシワを寄せたが、声の色に不愉快な感情は混じっていない。  二人は自動販売機で缶コーヒーを買い、仮設ハウスの隣に立てられている、白いシートの屋根で覆われたテントの中に入った。仮設ハウスの中は電子タバコのみ喫煙可能で、今時は紙巻きタバコを吸っている人間も少ないもんだから、いつもここはガラガラなんだ、と花村は寂しそうに言う。実際今も花村と孔明以外誰もおらず、二人並んでパイプ椅子に腰を掛けると妙に距離が近く感じるので、あえて一つ空席を空けて座った。 「で、人探しだって?」 「そう、この子なんだけれどもね。浦田美徳くん」  そう言って孔明は幸太郎にプリントアウトしてもらった美徳の写真を見せた。今とは印象が違うかもしれない、と言って、手島おさむの似顔絵も一緒に渡す。 「ヤンキーなの?そうは見えないけど」 「真面目な子だったらしいけれどもね」 「じゃあ俺らのネットワークじゃ分かんないよ」 「でもどうも詐欺グループに関係してるみたいなんだよね」 「まじで?うーん、俺は見たことないからウチの連中に聞いてみるよ。ちょっと待ってて?」  花村はタバコの火を消し、写真と似顔絵を持って隣の仮設ハウスへと入っていく。花村の元には彼を慕う現役、あるいは元不良の少年青年が集まり、鳶職人として花村を支えている。現役もいるものだから彼らの持つ不良世界のネットワークは実にリアルで生々しいのだと風の噂で聞いたのだ。  しばらくすると写真と似顔絵を見つめて小首を傾げながら花村が戻ってきた。学生時代、個別指導で難しい問題にあたったときも同じような顔をしていたのを思い出す。 「ごめん。みんな知らないって。やっぱ不良やってるわけじゃなくて、そこらのチンピラにパシられてるだけじゃねえかな?一応全員に写真と似顔絵、携帯に収めさせたからさ。何か分かったら連絡するよ」 「悪いね。じゃあもう一つ質問いい?この辺りで組織的に特殊詐欺やりそうなグループってない?」 「うーん……。そういうのやりそうってなったら、やっぱ『あやかし』じゃないかなあ」 「あ、やっぱり」 「え?先生知ってんの?」  いあや、名前を知ってる程度だ、と孔明は先日楓に聞いたことを掻い摘まんで伝えた。それ以外のところでも聞き覚えがあることは言わなかった。どこで聞いたかも思い出せないままだし、特に役立つ情報とも思えなかったからだ。 「あいつら結構きっちりとした組織でさ。頭は俺らの同世代らしいんだけど、どこの誰かは俺の耳にもさっぱり入ってこないんだよ」 「へえ。そりゃ相当慎重で頭のいい人物なんだね」  人の口に戸は立てられず、SNSのない時代ですら隠し事をするのは難しかった。やっていないことを、やったことにされるのはよく見るが、やったことを最後までやっていないと貫き通した人間は千年以上の人生で数えるほどしか見たことがない。缶コーヒーを口に含んで喉に通すと、いつもより大きな音でゴクリと鳴った。 「恐喝部門、クスリ部門、窃盗部門、てな具合に分かれててさ、各部門に正式メンバー、ようは幹部クラスだよね。そいつらが三、四人。そいつらの舎弟が六、七人。で、その舎弟みたいなのがまたそこらのチンピラや不良少年を手足に使ってそれぞれの部門が機能してる」  花村がそこで言葉を止めたので、少しの沈黙があった。孔明としては話しの続きを待っていたのだが花村は疑惑の沈黙と勘違いしたらしく、「何でそんなに詳しいんだって?」と、唇の端を上げ歯を見せた。喫煙者の割に歯が白く、日焼けした顔の中で特別目立った。 「実はさ、俺も前に誘われたことがあるんだよね。恐喝部門に昔の顔見知りがいてさ。今はもちろん当時だって本当に顔見知りって程度でほとんど付き合いもなかったんだけど急に連絡が来て。結構しつこかったから話だけ聞いてやったんだよ」 「じゃあその彼に話を聞けばもっと詳しく分かるね」 「あー、ダメダメ」  花村は目の前の虫を追い払うようね仕草を見せる。 「俺もさ、この辺で好き勝手なことされてムカついてたから何か情報引き出してやろうと思って色々聞いたんだけど、あいつら他の部門のこと何も知らねえんだよ。全体を把握してんのは頭のヤツとほんの数人の最高幹部だけで、あとの奴らはよその部門にどんなヤツが何人いるかすら知らねえ。さっきの幹部が何人、舎弟が何人ってのも恐喝部がそうだから他所も多分そうなんじゃね?ってだけみたいだから」 「うーん、そうかあ」  隣の仮設ハウスからぞろぞろと人が出て行く。作業を再開するのだろう。何人かは孔明と目が合い、会釈をした。 「悪いね、貴重な休憩時間に。もう仕事に戻らなきゃならないだろう?」 「うん。まあ……。なあ先生」  花村は下を向いて声のトーンを落とした。 「もしそいつがさ、本当にアヤカシと関わってんのならこれ以上深入りしねえ方がいいよ。あいつらはマジでやべえ」 「そりゃ犯罪者集団だからね」  花村は一度深く息を吸い込み、さらに声のトーンを落として言った。 「そうなんだけどさ。そこらの不良グループとはわけが違うんだ。あくまで噂だけどよ。……殺しの部門があるらしいんだ」 「殺し?」 「ああ。保険金目当てだとかヤクザからの注文だとかがメインらしいんだけど、組織の邪魔をする人間を始末することもあるらしい。あんまり嗅ぎ回って目立つと先生も狙われるかも」  休憩を終えた者たちが作業を再開したからか、現場から聞こえる音がより一層激しくなった。孔明も少し前屈みになって距離を縮め、花村の声を耳に入れる。 「そういや私、君にも殺されかけてるよね?」 「やめてくれよ、先生」  花村は恥ずかしそうに顔を歪めた。 「まあ先生が不死身だったおかげで取り返しの付かないことにはならなくてさ。今はこうやってまともに生きていけてるよ。けど今度もうまく生き延びられるとは限らないしさ。気をつけてよ」  花村の言う不死身とはもちろん死に目にあったのに死ななかったことに対する比喩であり、殺されかけた、というのも実際には殺された、の間違いである。学生時代の花村を指導する中でトラブルに巻き込まれ、殺された。しかし相手が不死の孔明であったことは花村にとっても幸運で、その事件を境に更生の道へと進み始めたのだから孔明の死も役に立ったということだ。 「分かった。気をつけるよ。ありがとう」  花村が現場に戻ったあとも孔明はテントに残り、缶コーヒーの残りを飲んだ。  アウトローな人種というのはいつの時代だって存在した。江戸初期のかぶき者。戦後の愚連隊。恐ろしさでいえば彼らの方が数段上だった。少し怒らせればすぐにでも殺されかねない鋭利な迫力と、いつでも喉笛を狙うような獣臭があった。が、分かりやすかった。分かりやすいから半径五メートル以内には近づこうともしなかったし、向こうも近寄らせないオーラを放っていた。  ところが現代のアウトローは分かりにくい。知らない間に近づいてしまっている場合もあるし、向こうから近づいてくることもある。そういえばそろそろ危機感が薄れてくるころだ。本当に気を引き締めねば、と孔明は思い、残りのコーヒーを喉に流し込んだ。
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