君と過ごす終末

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 この世界はあと一時間もすれば滅び去る。  これは誰にも変えることの出来ない運命だ。  選ばれし一部の人類は地球を脱出し、火星や火星軌道上の宇宙ステーションへと移住した。  多くの人々にとって今日は人生最後の特別な一日。  滅びの運命に恐怖しながらその時を待つ者。  滅びの運命を待たずして、自ら命を絶つ者。  滅びの運命を受け入れ、愛する者と静かにその時を待つ者。  滅びの運命に抗おうと行動し続ける者。  地球に残された人々の取る行動は様々であった。    そしてここにも、最期の一時まで愛する人と添い遂げようとする、一組の若い男女の姿があった。 「アリス。校舎が見えてきたよ」 「何だか……とても久しぶりな気がする……」  高科(たかしな)(まつり)は、半年前まで通っていた高校の校舎を指差し、辛そうに胸を抑える神長(かみなが)アリスに優しく微笑みかける。  卒業を迎えることは出来なかったけど、あの屋上は祭がアリスにプロポーズをした大切な場所だ。  最期の瞬間を迎えるならあの場所がいいと、二人でそう決めていた。 「誰もいないね」 「まるでゴーストタウンだ」  終末期の混乱によって、住み慣れた町はすっかりと荒廃していた。  町にはほとんど人の気配が無く、まるで世界はとうの昔に滅び去っていて、生存者は自分たちだけなのではと錯覚させる。 「……もう少しで……あっ!」 「危ない!」  ふらついたアリスがバランスを崩すが、祭がすぐさま抱き留めたことで転倒は免れた。アリスの体力は限界に近い。学校まではあと500メートル程だが、今の彼女にはこの(わず)かな距離さえも辛いだろう。   「アリス。僕の背中に乗って」 「でも……」 「遠慮なんてしないで」 「……ありがとう。祭ちゃん」  姿勢を低くし、祭はアリスの華奢(きゃしゃ)な体を背中で受け止める。 「祭ちゃんの背中、大きいね」 「しっかり掴まってなよ」  嬉しそうに背中に頬ずりするアリスを背負って、祭はゆっくりと立ち上がる。アリスに負担をかけないよう、学校へ向けてゆっくりと歩き出した。 「重くない?」 「大丈夫。鍛えてますから」  強がりなどではなく、これは事実だ。  アリスを守れる強い男になりたくて、祭はこの数年間、己を必死で鍛え上げてきた。出来ればこの力は、こうしてアリスを背負うことだけに使いたかったけれども。 「祭ちゃん。私達が出会った時のことを覚えてる?」 「忘れるわけがないよ。早いもので、もう10年が経つんだね」  祭とアリスの出会いは今から10年前。二人が7歳の時のことになる。  アリスは10年前、子宝に恵まれなかった神長夫妻のもとへ養子として引き取られた。  お隣同士だった神長家と高科家は、かねてより家族ぐるみの付き合いがあり、同い歳である祭とアリスが打ち解け合うまでに、それ程時間はかからなかった。  小学生の頃は毎日一緒に学校に通った。  アリスを泣かせた男子児童と祭が取っ組み合いの喧嘩になり、ちょっとした騒ぎになったこともあった。  大人しい性格のアリスが周囲に溶け込むまでは少し時間がかかったけど、祭がいるから頑張れた。  中学生になると、二人の間に少しだけ距離ができた。  これは決してネガティブな理由ではなく、思春期へと差し掛かり、互いを異性として強く意識するようになった気恥ずかしさのせいであった。  むしろその微妙な距離感こそが、お互いを大切な存在だと再確認させる機会になったといってもいい。  二年生に上がる頃には、祭はアリスに対する恋心を自覚していた。それはアリスも同様で、二人はこの時点で両想いだったのだが……未来に暗雲が立ち込めたのも同時期のことになる。  本来なら祭はこの時期にアリスに告白するつもりだったけど、あまりにも色々なことが起こり過ぎて、告白の機会は高校生になるまでずれ込んでしまった。 「こんな私に、祭ちゃんがプロポーズしてくれて、凄く嬉しかった」 「こんななんて言わないでくれよ。アリスはアリス。それ以外の何者でもないんだから。僕はアリスが大好きだ。その気持ちはずっと変わらない」 「ありがとう。祭ちゃんのそういうところ、大好きだよ」  背に感じるアリスの体温が先程よりも上がっていた。早く学校の屋上に到着し、ゆっくりと休ませてあげたい。 「アリス。学校に着いたよ」  校門の前までやってきた。  世界が滅びるまであと30分。  何とか時間内に屋上へ辿りつけるかと思ったが、残酷な運命は二人に最後の試練を強いた。 「こんなところまで追ってくるなんて」  背後に殺気を感じ、祭は深い溜息をついた。  最期の時くらい穏やかに過ごさせてほしかったが、だからといって相手を恨むつもりは無い。相手だって必死なのは理解している。 「ごめんよアリス。一度下ろすね」  姿勢を低くしアリスを下ろすと、祭はアリスを(かば)うようにして校舎に背を向けた。正面からやって来る追手の数は3人。 「アリス。体が辛いとは思うけど、先に屋上で待っててもらえるかい? 僕はここであいつらを仕留めるから」 「嫌だよ。私も一緒にいる! だって、もしもこれがお別れになっちゃったら……」 「大丈夫だよ。僕はここでは死なない。最期の時はアリスの隣でと決めているから」 「祭ちゃん……」 「直ぐに追いかけるから、先に屋上で待ってて」 「……分かったよ」  アリスは沈痛な面持ちで頷き、校舎の中へと向かって駈けた。  自分がこの場に残っていては祭の足手纏(あしでまと)いになってしまい、余計に彼を危険に(さら)してしまう。今は祭の指示に従うのが最善だった。 「死なないでね!」 「死ぬ時は一緒だ!」  背を向けたまま力強く言うと、祭は(ふところ)からハンドガンを取り出し、正面から迫りくる追手に向かって発砲した。  追手の一人が銃弾を()(くぐ)り、校舎へと駆け込むアリスを追おうとするが。 「アリスに近づくな!」  鬼気迫る表情で祭は腰に携帯していたダガーナイフを抜き放ち、追手の頭部を刺し貫く。その隙にアリスは校舎の中へと逃れた。これで心置きなく戦える。 「この()に及んでまだ邪魔をするのか?」  祭はリーダー格である日本人男性と向かい合う。  彼と戦うのがもう何回目になるのか、十回目以降は数えていない。 「無論だ。あの娘さえ殺せば世界は救われるかもしれない」 「あなた達だって分かってるでしょう。アリスを殺したところで滅びの運命は変わりはしない。悪戯(いたずら)に終わりを早めるだけだ」 「やってみなければ分からないだろう。もしかしたら奇跡が起きるかもしれない」 「奇跡なんて無いさ」  この世界の誰よりも奇跡を望んだのは他ならぬ祭とアリスだ。  奇跡が存在するのなら、そもそもこんな悲劇は起きていない。 「問答する時間も惜しい。貴様を殺し、あの娘も殺す。例えどのような結末を迎えようとも、私達はそうすると決めたのだ」 「アリスは殺させない。その前に、僕がお前らを全員殺す」  最早両者に和解の道など無い。  愛する人を守り抜こうとする者と、滅びの運命に最後まで抗おうとする者。  善悪で測れるものではない。  これは互いの信念のぶつかり合いだ。  祭が発砲すると同時に、激しい銃撃戦が始まった。  ※※※ 「……お願い。無事でいて祭ちゃん。独りぼっちは嫌。最後まで一緒にいて」  不安と胸痛に苦しめられながら、アリスは屋上で愛する人の無事を祈る。  絶え間なく響いていた銃声は、1分前にピタリと止んでいた。  戦いそのものが終わったのか、それとも膠着(こうちゃく)状態なのか。  アリスが不安に押しつぶされそうになった、まさにその時。 「きゃあああ!」  校舎の入り口付近で激しい爆発が発生した。  熱気と黒煙(こくえん)は屋上にまで届き、爆発の凄まじさが伺える。 「……そんな、祭ちゃん」  祭は爆発物など所持していない。  あの爆発は追手によって引き起こされたもの。狙いは当然、道を阻む祭だったはずだ。 「祭ちゃん!」  屋上から下方を覗き込み必死に叫ぶが返答は無い。  よく見ると、爆発地点の周辺には人体の一部と思われる肉片も確認できた。  まさかあれは祭なのではないか? 恐怖心と孤独とがアリスの心を支配する。 「嫌だよ……祭ちゃん……」  祭と最期の時を過ごすのが、アリスの唯一の願いだった。  運命とはこれ程までに残酷(ざんこく)なものなのだろうか?   最期の時を愛する人と過ごす自由さえも、神様は奪い去ってしまうのだろうか?  そんな運命、絶対に認めたくない。 「祭ちゃん……祭ちゃん……祭ちゃん……」  大粒の涙を流し、アリスは何度もその名を呼ぶ。  体温の上昇と胸痛に心の痛みまでも加わり、身体への負担はさらに増加していた。 「……やあ、アリス。僕の名前を呼んだかい?」  アリスの背後、屋上の扉が静かに開き、聞きなれた優しい声がアリスの耳へと届いた。 「……祭ちゃん?」  涙に濡れた顔でアリスが振り返ると、(すす)けた顔の祭が微笑みを浮かべていた。 「祭ちゃん!」  胸の痛みも忘れ、アリスは祭の胸へと飛び込む。  本当に死んでしまったかと思った。もう二度と会えないかと思った。もう一度会えたことが本当に嬉しかった。 「……心配……かけたね」 「……祭ちゃん?」  祭に抱き留められ、アリスは初めて違和感に気が付く。  いつもなら両腕で抱きしめてくれるのに、祭は左腕一本でアリスを抱いていた。  恐る恐る祭の右腕に手を伸ばすと、アリスの手が真っ赤に染まる。  祭は、右腕の(ひじ)から先が失われていた。 「ま、祭ちゃん……この腕……」 「……ちょっとヘマしてね。自爆に巻き込まれた……」  大量の出血により、祭の足元はおぼつかない。  深手を負った状態で屋上まで辿り付けたのは、祭の強靭(きょうじん)な精神力とアリスへの想いがあってこそだ。普通なら死んでいてもおかしくはない 「……アリス。あと何分だい?」 「……5分だよ」 「十分だ。それぐらいなら、僕もまだもつ……」  アリスに肩を借りながら、祭は屋上のベンチに腰掛けた。 「……アリス、調子はどうだい?」 「……凄く苦しいし、とても熱い。でも、祭ちゃんと一緒なら平気」 「僕もだ。アリスと一緒なら、痛みなんてへっちゃらだよ」  肩を寄せ合い、二人で沈みかけた夕日を(なが)める。  告白した時も、こんな夕暮れ時だった。 「……私のせいで、世界は滅びるんだね」 「アリスは何も悪くない……アリスは一番の被害者だ」  世界は間もなく終わりを迎える。  神長アリスを中心として世界は激しい閃光(せんこう)に包み込まれ、地上の全ての生物は消滅するのだ。  アリスは異星人により肉体を改造された大量殺戮兵器(たいりょうさつりくへいき)だ。  元は普通の少女だったアリスは、幼少期に異星人により拉致(らち)されてしまい、その身を改造され、11年前に再び地球へと戻された。  戸籍(こせき)不明の孤児(こじ)として施設に保護されたアリスが神長夫妻の養子となったのは、それから1年後のことである。  アリスには施設に入る以前の記憶は無い。当然、自身が異星人に改造された大量殺戮兵器であるという運命も知らず、両親や祭と幸せな毎日を送っていた。  残酷な運命を知ったのは、アリスや祭が中学二年生の頃になる。 『我々は地球人を一掃(いっそう)すべく、大量殺戮兵器を送り込みました――』  この年。異星人からのメッセージが各国首脳の元へと届けられた。  アリスという名の少女の身体を、大量殺戮兵器へと改造したこと。  大量殺戮兵器が発動すると、アリスを含め、ものの数秒で地球上の生物が消滅すること。  タイムリミットが3年後であること。  3年を待たずしても、アリスの生命活動が停止すればその瞬間、大量殺戮兵器が発動すること。  地球の科学力では、最早どうすることも出来ないということ。  当初はこのメッセージに対し懐疑的(かいぎてき)だった各国も、異星人が自身の科学力を誇示(こじ)するために行った数度のデモンストレーションにより、その言葉が真実であることを理解した。  アリスの身柄は政府に拘束され、アリスと祭は離れ離れとなった。  世界中の科学者たちがアリスの体を調べ上げたが、異星人のメッセージの通り、地球の科学力では滅びの運命を変えることは不可能だと結論づけられた。  この瞬間、各国の対応は大量殺戮兵器の発動を食い止めるのではなく、人類という種を存続させる方向へとシフトすることになる。    それが、一部の選ばれし人類を火星および火星軌道上の宇宙ステーションへと移住させる計画だった。計画は滞りなく進み、厳選された5%の人類が地球を離れ、新たなる地へと旅立った。  この時期になると、研究施設に軟禁(なんきん)状態だったアリスも解放され、彼女は日常へと戻された。  例え彼女がどこにいようとも滅びの運命は変わらない。ならばせめて、彼女には最期の時まで自由を与えてやろうという、日本政府からの慈悲(じひ)であった。  彼女は加害者などではなく、一番の被害者なのだから。    日常へと戻されたアリスは高校生となり、祭と再会した。  アリスの関係者である祭は当然、アリスが大量殺戮兵器であることを知らされていたが、祭はこれまでと変わらぬ笑顔でアリスを迎え入れた。アリスには、それがとても嬉しかった。   「アリス。僕のお嫁さんになってくれないか?」  祭はその日の内に屋上にアリスを呼び出し、(りん)とした表情でそうプロポーズした。自分達に残された時間は残り少ない。祭は人生を()()げる相手としてアリスを選んだのだ。 「はい。喜んで」  アリスにも迷いは無かった。  残酷(ざんこく)な真実を知ってなお、一人の女性として自分を愛してくれる人。添い遂げるのなら、この人以外は考えられないと思った。  お互いの両親も二人の関係を祝福した。  一時は絶望に心を沈めていたアリスの両親も、「娘を笑顔にしてくれてありがとう」と祭に感謝した。  ※※※  地球に残されたほとんどの人が滅びの運命を知らない。  アリスと祭は、残された時間を静かに過ごせるはず――だった。 『世界はあと半年で滅亡する』  半年前に第一級の機密が流出し、世界は大混乱に飲み込まれた。  その中にはアリスが大量殺戮兵器であるという情報も記載されており、アリスの命を狙う者が現れ始めた。  アリスが死ねばその瞬間世界は滅亡する。アリスを殺すことは滅亡を早めることでしかないのに、奇跡を信じる者は後を絶たない。  アリスを庇って、アリスの両親が命を落とした。  関係者だからという理由で、祭の両親も殺された。  祭と友人達、アリスの境遇に同情した一部の政府関係者が協力し合い、この半年間アリスを守り続けた。  結果論ではあるが、アリスを守ることは世界の延命にも繋がっていた。少なくとも設定された日時までは、人々は生き長らえることが出来るのだから。  3日前に最後の仲間が死んだ。残されたのはもう祭とアリスだけだ。  最後に死んだ仲間は、小学生の頃にアリスを泣かせて、祭と取っ組み合いの喧嘩(けんか)をした少年だった。 「アリスと最後まで添い遂げろ」  それが、彼の最後の言葉だった。  ※※※  ――ぼろぼろだけど、何とかここまで来たよ……  今は亡き友を思い、祭は天を(あお)いだ。 「……体が、凄く熱いよ」  アリスの体温はさらに上昇していた。滅びの時まであと3分。  彼女の体は大量殺戮兵器としての発動を間近に控えていた。 「……アリス。お互いに手を握ろう」  アリスの右隣に移動し、祭は左手を差し出す。  本当は利き手である右を出したかったけど、残念ながら右腕は下に置いてきてしまった。 「……うん」  息を上げながらも、アリスは右手を差し出し、お互いに強く握りしめる。 「アリスの手、温かい……」 「祭ちゃんの手、冷たくて落ち着く……」  今この瞬間にもアリスの体温は上がり続け、片腕を吹き飛ばされ大量の血を失った祭の体温は、どんどん下がり続けている。握り合った手だけが、程よい温もりを感じさせてくれた。 「……ぼくは……幸せだよ……」 「私もだよ……この手は……最後まで離さない……」  世界の滅亡まで、あと1分。 「祭ちゃん……だいすき……だよ――」 「アリス……僕も……きみが……だいすきだ――」  薄れゆく意識。  永遠とも思える一瞬。  重なる思い。  死が二人を別つとしても、握ったその手は離さない――  終焉(しゅうえん)の時。  世界を閃光が包み込んだ。  了
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