2 茉莉花の午後

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 それは、星黎がまだほんの子どもだった頃のこと。実年齢が10歳かそこいらの、本当に小さな子どものときの話だ。  今でもよく覚えている。いつも通り老師とふたりっきりでのんびり過ごした日の、ある夜のこと。  湯浴みを済ませた星黎は、並べた二組の布団をころころと転がりながら老師が湯浴みから戻るのを待っていた。  夏だった。蚊帳の内側から、机に置かれたろうそくの炎の暖色をぼんやりと眺める。ちろちろと揺れる炎に引き寄せられた羽虫たちがそばを飛んでいる。虫たちが光に集まってくることを『走行性』というのだと老師から聞いたことがある。遠い月の光を目印に飛ぶ習性のある虫が、炎を月と間違えて寄ってきてしまうのだとか。 「あ」  一つの点が落ちていく。蛾のようだ。炎に近づきすぎてしまったのかもしれない。 「……」  だからといって何をしようとも思わない。星黎はころん、と寝返りを打って老師の布団の方へと転がる。  消してしまおうにも「危ないから」と火の始末はいつも老師がしてくれていたので、勝手がよくわからないし。炎はなんとなく怖いので、あまり近寄らないようにしていたし。  がた、と音がして、首だけ振り向くと、ほとんどはだけたままの浴衣を纏った老師が部屋へと戻ってきた。白い肌をさらけ出されていると、目のやり場に困るのでやめてほしい。自分の美しさをもう少し自覚してほしい。子どもながらに赤面してしまう。 「俺の布団で何やってんの、お嬢さん」  とす、と星黎のすぐ隣に腰を下ろしてにやにやと笑う気配がする。星黎が自分の布団で寝ていないときは、たいてい寂しがっているときだというのは、この育ての親にはとっくに知られている。
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