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第2話「ありがとうキヨちゃん。愛しているわ」
(Unsplashのgryffyn mが撮影)
『岡本佐江』の名を出されて、清春の声はいよいよ冷たくなった。ほぼ絶対零度と言ってもいい。
「クリスマスに、佐江ちゃんがお前の家に来る。だから、どうなんだよ?」
「どうもしないわよ、もちろん。ちょっと言ってみただけ。
ねえ、今年はお父さんがクリスマスイブの前日からずっと日本にいるの。キヨちゃんも、同じスケジュールで家にいてね」
「いやだ」
「勝手なこと言わないで。
どうせお母さんはその前からお年始まで、ずっと実家に帰っちゃうんだもの。あたし一人でお父さんの相手をするのは、嫌よ。
キヨちゃんだって、お父さんの子供じゃないの」
清春は言葉に詰まった。
本妻の子供としてなんの屈折もなく育った真乃は、七年前に突然やってきた異母兄を、そのまま受け入れた。
当時、十二歳だった真乃には真乃なりの葛藤があったはずだが、それよりも不仲な両親の間に挟まれたプレッシャーを少しでも減らすために上手に清春を利用した。
真乃は、いつも気軽に清春を兄として扱う。まるで小さなころから一緒にいる家族のように。
それが、ずっと一人っ子だった清春には嬉しかった。
そうでなくても実母を失った今、清春にとって血のつながっているのは、父親と異母妹の真乃しかいない。
父親ぎらいの清春は、異母妹の真乃を唯一の家族だと思っていて、わがままで自分勝手な妹であっても放っておけない。
その妹は、最後のダメ押しをするようにふたたび自分の親友の名を出した。
「キヨちゃん、聞いている?
佐江はクリスマスイブの前日に泊まりに来るの。せめてその日だけでもいいから、キヨちゃんも来てよ」
清春は、真乃の親友である岡本佐江を思い浮かべた。
佐江は真乃と同い年の十九歳だが、とても大学生とは思えないほど大人びた怜悧な外見をしている。
整った顔だちは、真乃の愛らしく華やかな美貌と並んでも引けを取らない。
男を狂わす美貌だ。
清春は、電話口で薄い唇をとがらせた。
「クリスマスイブの前日だけ、そっちに行けばいいんだな?」
「できれば、イブも年末年始も家にいてほしいんだけど」
「馬鹿いえ」
清春は舌打ちをした。
「おれの稼ぎをフイにするつもりか。生活がかかっているんだぞ。イブの前日、一晩だけだ」
清春がそう言うと、真乃はにんまりした声でこう言った。
「そう言ってくれると思っていたわ。ありがとうキヨちゃん。愛しているわよ」
電話が切れてから、清春はアルバイト先のバーの裏口でため息をついた。
真乃、岡本佐江、クリスマス、父親という言葉が、清春の中でぐちゃぐちゃになる。
「行きたくない」
ぼそっとつぶやいたときバーの裏口があいて、清春と同じくらいの年恰好の若い男が顔を出した。
「キヨ、一服してから店に出ようぜ」
「——洋輔(ようすけ)」
『洋輔』と呼ばれた男は、空恐ろしいほどの美貌をくずしてニヤリと笑った。
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