8人が本棚に入れています
本棚に追加
その後、鈴が親父さんの実家が島根県にあるってことや、俺を案内してあげたいとか、また舞い上がってしまいそうなことを。俺がしどろもどろになりながら、正月は寝て過ごすのが池井家流だということ、お節はばあちゃんと俺で作ることなんかを話しながら、また、鈴に家まで送ってもらった。俺の話はつまらない話だったと思う。でも、鈴は楽しそうに聞いていた。
『料理するんですね』
俺の家に近くなった頃、鈴が言った。お節の話の流れだ。
『や。言うほどじゃないよ。うち母親いないから、なんとなく分担で俺がやってる』
心臓がまだばくばく言ってるのは、どうにか隠して、俺は答えた。鈴の顔はあんまり見られない。折角少し落ち着いてきたのに、これ以上心臓に負担をかけたくないからだ。
『あー。じゃ。こないだ奢ってくれるって、言ったの。池井さんの手料理がいいです』
『え?』
鈴の言葉に俺は思わず立ち止まってしまった。身長が全然違うから、見上げるようになる鈴の顔。勢いで直視する。
『ダメですか?』
そうすると、鈴はなんだか、少し真剣な顔で聞いてきた。
『や。その。いいです…けど』
ああ。もう、心臓うるさい。
敬語になっていたことに気づいたのは、1時間後だった。
『やり。楽しみにしてます』
ああ。ズルい。それは、ズルい。ただでさえきらきらと光ってるくせに、そんな少年みたいな言い方。
月が綺麗発言といい、俺のことなんて新しくできた気の合う友達としか思ってない癖に。これが完全に無自覚で、無意識なんて卑怯だ。
『じゃ。今日は帰ります。また、LINEします。それから、池井さんカウンターの日、LINEしてください。図書館行くから』
ひらり。と、手を振って、鈴が言った。
気づけば、いつの間にか俺んちの前にいた。
完全に記憶がとんでいた。
『…はい』
またしても敬語になってしまう。そんな俺をまるで、可愛い子猫でも見るみたいな、なんとも微笑ましいです! という顔で、見てから、鈴はもう一度”それじゃ”と、言い残して背中を向けた。
『…なんだよ。手料理って…?』
思わず呟く。もちろん、鈴には聞こえないように。
『あ。キッチンちゃんと掃除しておきますね』
俺の声が聞こえたわけではないと思うけれど、振り返って鈴が言った。それから、もう一度背を向けて歩いて行ってしまう。
その言葉に俺はまた、固まったまま動けないでいた。鈴は何と言っていただろうか。それは、俺が、鈴の家に行くってこと?
ふと、先日の風祭さんの声がよみがえる。
鈴の両親は今海外だし、兄弟は独立してるから。家には鈴しかいないよ?
『うそだろ?』
呟く。
その後、結局、障子の隙間から見ていた、兄ちゃんとばあちゃんに散々鈴のことを聞かれたり、鈴の言葉に悩み過ぎてその晩高熱を出したりしたのは、また別の話。
新年早々、前途を案じざるを得ない俺であった。
最初のコメントを投稿しよう!