『たとえばそこにいるだけで』

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「人殺し!」  女の我鳴り声が、辺り一帯に響き渡った。 「あんた達が来たせいで、この村は帝国軍に目をつけられて、滅茶苦茶だよ!」  中年の女性は、酷い火傷を負って息をしなくなった幼い子を、これ見よがしに抱き締めながら、目の前に立つ少女に食ってかかる。 「何が解放軍だ!? あたしたちは、帝国支配下でも、大人しく暮らしていられればそれで良かったんだ。なのに、あんた達が余計な真似をするから!」  たしかにこの集落は、解放軍の進路に位置していた。だが、今、罵りの矢面に立っている少女――エステルは、出撃前の作戦会議で、地図と睨み合いながら、はっきりと言ったのだ。 『このまま進めば、何の罪も無い人々を戦闘に巻き込みます。帝国軍をできるだけ前方に誘き出し、草原を戦場にしましょう』  彼女は間違い無く配慮した。巻き込んだのは帝国軍の方だったのだ。盟主の家系が滅び、国家としての機能を失った地方では、帝国から派遣された将が、戦や反逆者狩りにかこつけて、略奪や殺人を平然と行う。その悪習が今回、この村に及んだのだ。 「ごめんなさい」  高い位置で結っている、水色がかった銀髪をさらりと流し、エステルは深々と頭を下げる。解放軍の総大将に低頭させた事が、相手を調子づけたのだろう。唾を飛ばしながら罵倒は続く。 「ごめんって言えばこの子が生き返るのかい!? 違うだろ! お前が死ねば良かったんだ! 被害を受けるのは、いつもあたし達無関係の一般人だよ、この無責任!」  流石に言い過ぎだ。十数歩離れていた場所でやりとりを見ていた少年クレテスの胸の内にも、気分の悪さが込み上げる。ぐっと唇を引き結んで悪口(あっこう)に耐えている幼馴染の気丈さが、いたたまれない気持ちに拍車をかける。一歩を踏み出そうとした時。 「そこまでにしていただこうか」  いつも聞いているより一段低い声が鼓膜を打ち、背の高い男性が、エステルを背後にかばうように進み出た。 「エステル様はこの村を巻き込まないように心を砕かれた。その苦労を知らずに過ぎた口を利くのは、グランディア王家に対する不敬とも受け取らせていただく」  それに、と。  褐色の瞳を半眼に細めて、エステルの叔父アルフレッド・マリオスは、女を鋭く睨みつける。 「戦時下のこの状況で、自分達は無関係だと言い張る事は、帝国の横暴に与するも同じ。無責任なのはどちらか、今一度良く考えていただきたい」  数多の戦場を越えてきた熟練の聖剣士に凄まれては、戦に縁の無い凡庸な女など、蛇に睨まれた蛙以下である。青ざめた顔をして後ずさり。 「え、英雄気取りで良い気になるんじゃないよ! 出ていけ! 二度と顔を見せるな!!」  いまだに負け惜しみを撒き散らしながら、駆け足でその場を去っていった。 「……なんっ、だよあれ!」  幼馴染の一人であるリタが、我慢ならぬ、とばかりに拳を振り回しながら叫びをあげる。 「まあー、仕方無いね。これが現実」 「せめて、怪我をした人に回復魔法を」 「やめときな。何をされるかわからないよ」  他の戦士達も口々に、何とかしようとしたり、諦めを説いたりしている。クレテスは彼らを一通り見渡した後、立ち尽くす少女に視線を戻す。 「エステル様。大丈夫ですか」 「はい……」  それまで鬼気迫る迫力だった叔父に、打って変わった優しい声をかけられるエステルは、健気にうなずき返していたが、うつむいて、掌で目の端を拭う所作は、少年からもよく見えた。
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