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凄惨な殺人事件の現場になったテラスは、その時床に描かれた血の跡も茶の染みも丹念に拭き取られ、死の気配は消し去られている。庭に植えた木が手すりの傍まで枝葉を伸ばして、小鳥が飛んできたら、手を伸ばして触れられそうだ。
「今、お茶と茶菓子を用意させますわ。そちらへ座ってお待ちになって」
「いえ」
浮ついた様を隠しきれないマデリーンに、アルフォンスはゆるゆると首を横に振って。
「お嬢様が喜ばれそうなものを、持参いたしましたので、共に食しましょう」
左手に提げていたバスケットを開き、中に入っていたものをテーブルの上に展開する。
途端。
それまで興に乗っていた令嬢の表情が、一瞬にして、大陸北端にあるという魔族の住処ニヴルヘルへ飛ばされたかのように凍りついた。
「どうされたのですか?」
アルフォンスは逆に唇の端に笑みを浮かべたまま、カップに茶を注ぎ、菓子皿に菓子を盛る。
カレドニアの誰もが口にする根菜茶。かろうじて育つブルーベリーを練り込んだマフィン。一見、何の変哲も無い、ノーデの昼下がりの茶会風景だ。
だが、マデリーンは間近で魔物でも見たかのごとく、恐怖に満ちた目を見開き、ぷるぷると肩を震わせる。口元を扇で隠す事も忘れているようだ。
「どうぞ、遠慮無く召し上がってください」
棒立ちになっている男爵令嬢に柔らかい声を投げかけながら椅子に座り、組んだ手の上に顎を乗せて、「ああ」とアルフォンスはロイヤルブルーの瞳を細め、言い切った。
「貴女のお口には合いませんか。妹君を殺害したのと同じ茶と菓子は」
メアリ・エインズは、根菜茶とブルーベリーのマフィンを口にした直後に倒れ、亡くなった。
それは、姉のマデリーンが甲斐甲斐しくそれぞれのカップに茶を注ぎ、手ずから作ったマフィンを皿に配って、テラスから下がり、許婚の二人以外誰もいなくなった後に起きた。
それが、ラヴェルから聞いた話だ。
「我が部下は、貴女が淹れた茶は口にせず、先にマフィンに手をつけたそうです」
彫像のように立ち尽くすマデリーン嬢をまっすぐに見すえ、アルフォンスは話を続ける。
「根菜茶は同じ茶器から注がねばならないから、致し方ない。だけど、ブルーベリーとカルワリアの実を使い分けたマフィンをそれぞれに配る事は、貴女には可能でしたね」
カルワリアは、カレドニアの貧困な土壌でも逞しく育つ植物である。一般的な茶に使われる根菜と同じにおいを放つ根を張り、ブルーベリーと一見見分けのつかない実をつける。だが、非常に強い毒性を持っている為、『死神の髑髏』と呼ばれ、カレドニアの民ならば誰でも避け方を知っているものだ。
「きっと、婚約者との話に夢中だった妹君は、貴女が仕込んだカルワリアに、気づきもしなかったのでしょう」
顔が血の気を失って白くなり、紅を塗ったのがやたら目立つ唇をわななかせるマデリーンに向け、
「私の推理は間違っていますか?」
アルフォンスはあくまで穏やかな表情を向け、小首を傾げてみせる。
しばらくの間、さやさやと吹き抜ける風が木々を揺らす以外、一切の音が無くなったが。
「……ふ、ふふ」
面を伏せた令嬢の口から、いやに低い笑い声が洩れたかと思うと、彼女は突然哄笑を弾けさせた。
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