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風が随分涼しくなってきた秋口。
重たくなった身体を動かしなんとか同居部屋に帰ってきた。
夕べいつも預けに来られる男の子が咳をやたらしていた。
ご機嫌も悪く、風我はその子にずっと付きっきりだった。
案の定夜中を過ぎるころ熱を出し、ぐずりながらもなんとかお迎えの時間まで持ち堪えた。
風我がいる託児所には母親ほどの年齢のベテラン園長の加奈子先生、シングルマザーの佐和子先生、風我と同じ大学生華の四人が働く。
だいたい毎日10人以下の幼児を交代で預かる。
「よしよし」
ぐずるりょうたを降ろせず長い時間抱きあやす風我を心配して加奈子が何度も声をかけてきた。
それに丁重に答えながらりょうたを抱き続ける。
母親の代わりなんていない。
どうしたって母親は母親で、唯一無二なのだ。
でも働かないと食べていけない。
自分が生きるために、子供を育てるために。
作りたくもない笑顔を作り、素顔を隠すように化粧を施し、この子たちの母親は毎日絶えず夜の街に消えていく。
自分が小さい頃はわからなかった。
きっとこの子たちもわからない。
自分には常に祖母がいてくれた。
優しくて同じくらい厳しくて、怒る時には漏らすほど怖かった。
そしてことあるごとに言っていた。
『ふうちゃんのお母さんはね、ふうちゃんと生きるために毎日頑張って働いてるんだよ。
だから、ふうちゃんも頑張って生きていく力をつけるんだよ』
挨拶の仕方。
食事の仕方、マナー。
掃除や洗濯、片付けの仕方。
生活の知恵。
うまくできないことばかりで泣いてばかりだった子供のころ。
「ふうちゃんはちゃんとできるよ」
そう言って何度も抱きしめて慰めてくれた。
姉のように、親友のように、家族のように。
始発から二本ほど過ぎた空いた電車の椅子に座り、いつの間にか眠りにつき、懐かしい夢を見たようなぼんやりとした頭で起きる。
同居部屋の駅につく頃にはもう身体がずっしりと重たくなっていた。
「やべ………」
同居部屋の窓を見上げて思わずそう呟いた。
マズイのはバイトや大学ではない。
真那だ。
心配をかけてしまう。
移してしまうかもしれない。
薬を飲んで一日寝てればなんとかなる。
真那にバレないように、上手く誤魔化し、近寄らないでいよう。
ぼんやりする頭にそう言い聞かせ、エレベーターのボタンを押した。
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