オカリナの天使様

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オカリナの天使様

 最初にこの話を聞いたのは小学校五年生の夏休みに入る前だっだと思う。  放課後、帰り支度をしていた私のところに隣の席に座っていた吉井緑が、「ねえねえ! 明日香ちゃん!」と笑顔を浮かべて話かけてきた。 「どうしたの?」 「このあと時間ある?」 「うん…今日は塾はないから、空いてるけど」  机の引き出しから教科書をとってランドセルの中にしまうと、緑は私の机にバンっと両手をついて、「じゃあさ! みんなでオカリナの天使様を呼び出そうと思うんだけど、いっしょにやろうよ!」と顔を輝けせて言った。 「オカリナの天使様?」 「え? 明日香ちゃん知らないの?」  緑の言葉を聞いて、近くにいた日村佳苗と須藤知恵が私のところまで寄ってきた。 「明日香ちゃんそれマジで言ってるの?」  佳苗はニヤニヤしながら、私をからかうように言ってきたことは今でも覚えている。  嘘をついて、知ってるなんて言うと、バレた時に変な噂を流される事は前から知っていたので、「本当に何も知らないんだ」と私は正直に答えた。 「遅れてるな~」と佳苗が言った時は少しムカッときたが私は「それでそのオカリナの天使様を呼び出すにはどうしたらいいの?」と無理やり話を変えた。 「ちょっと待って」  黙って話を聞いていた知恵が、 「それをやるのは教室からみんながいなくなってからにしよ」と眼鏡のブリッジをクイっと中指で上げた。 「私はそんなこっくりさんみたいなことは反対なんだけど、本当にするの?」  こっくりさん?  私はその言葉を聞いて少しドキッとした。 「知恵って本当に真面目だよね」  佳苗は大袈裟に溜息を吐くと、やれやれと首を厭味ったらしく動かした。 「だって、誰かに見られたら…」と知恵は続けるが、ボールを持ったクラスの男子が私達の横を通ると、「何々? お前らなんかもめてるの?」と面白半分に聞いてきたが、「なんでもないから早く行きなさいよ」と知恵が男子に向かって睨んだ。 「お~こえ~こえ~! 須藤がまた怒ったぞ! 逃げろ~!」と男子は知恵に向かってそう言うと、教室に残っていた男子が笑いながら逃げて行った。 「もう!」と知恵が腕を組んで教室から逃げて行った男子達の背中に向かって、そう叫ぶと、「確かに知恵ちゃんのいう通りだね。男子に見られたら先生に言いそう」と緑がポリポリと頭をかきながら言った。  そして、私達は教室からクラスのみんながいなくなるまで静かに待った。   窓の近くに立って、うるさい蝉の鳴き声を聞いていると、窓から入ってきた生暖かい風が私の髪をゆらゆらと揺らした。 「そろそろいいかもね」  教壇の上に座っていた緑がヒョイっと軽やかに飛び降りると、 「みんな、私の席のまわりに集まって」と喜々として手をパンパンと二度叩いた。  私達は緑に言われた通りに、緑の席を囲むように立つと、緑は机の引き出しから写真を一枚出した。 「これって…」 「そう! この前事故で死んだイケメン俳優の清井京也の写真!」  その年の夏。  人気俳優だった一人の青年が不慮の交通事故で亡くなった。  ロケが終わり、高速道路を使って次の現場に向かっている途中、居眠りをしていたトラックに追突され、前を走っていたタンクローリーに挟まれる形で大きな死亡事故が起こってしまったのだ。  ニュースによると、その事故で六人が亡くなったと聞いた。  もちろん、清井京也は病院に運ばれたがその二時間後に息を引き取ったとのこと。 「これすごいショックだった~」  佳苗は写真を掴むと、泣きそうな顔を浮かべた。 「好きだったの?」  知恵が顔を覗くように言うと、「うん…。デビューの時からずっと…」と蚊の鳴くような声で呟く。 「私もショックだった…。だから清井京也を生き返らせるチャンスをオカリナの天使様に貰うの!」 「ねえ? 噂では失敗すると、とんでもない不幸があとになって自分に降りかかるって聞いたけど」  不意に知恵がそう言うと、「え? 私聞いてないけど!」と佳苗がすぐに反応した。 「そんなの誰かが作ったただのデマでしょ」  緑は文句を言うように佳苗から写真を受けとると、机の上に置いて「いいから! 今からやり方を説明するからちゃんと聞いてね」と顔つきが真剣になった。  なんだ…デマか…。と自分も少し安心してしまった。 「まず、最初に写真を自分の正面に置いて、両手を自分の胸の前で組んで」 「わかった」  先ほどまでの佳苗とは違い、顔つきが緑といっしょで真剣だった。 「次に目を瞑ってオカリナの天使様、オカリナの天使様。どうか死んだ人を生き返らせるチャンスを私達にくださいって、みんなで言うの」  私達は流されるまま緑の言われた通りに目を瞑って自分の胸の前で祈るように両手を組んだ。 「「オカリナの天使様、オカリナの天使様。どうか死んだ人を生き返らせるチャンスを私達にください」」  沈黙はしばらくの間続いた。  何も起きない…。  誰かがこちらに近づいてくる気配も感じない。  窓から忍び寄る悪戯な風が、何度も私の頬をまさぐるように流れていく。  校庭からは「じゃあな!」と陽気な男子達の声が私の耳まで風に乗るように走り寄ってきた。  いつの間にか蝉の声も聞こえなくなっていた。  どこか遠くに行ってしまったのだろうか。  まだかな? 早く帰りたくなってきた私は体中がムズムズして、落ち着かない気分になってきた。  いつまで続けるのだろうか。  誰も声を上げないし、誰もこの奇妙なおまじないを止めようともしなかった。  次第に我慢できなくなった私は薄目を開いて、みんなを盗み見る。  その時まだみんなは静かに目を瞑って写真に向かって祈り続けていた。  だがしばらくすると…。 「あっれ~…。おかしいな…」  最初に声を上げたのは緑だった。  私は目を開けて、組んだ手をほどくと、 「オカリナの天使様っていないのかもね」と佳苗はがっかりした感じで椅子に座った。 「もう帰ろうよ。もうすぐ完全下校時間だよ」  知恵はランドセルを背負って、みんなに帰るよう煽り始める。  私も知恵の意見には賛成だった。  知恵と同じようにランドセルを背負って、 「私、先帰るね」とみんなにそう言うと、「明日香ちゃん今日はごめんね。時間使わせちゃって」と緑が申し訳なさそうに謝ってきた。 「いいよ。別に気にしてないから! じゃあ。また明日」  とみんなに手を振って私はその日、さきに帰ったのだった。  事件が起きたのは次の日だった。  朝起きると、死んだはずの清井京也が生き返っていたのだ。  死んだという事実が最初からなかったように。  訳が分からなかった私はお母さんに「これ…何かの間違いだよね?」と聞いてみたが「朝からあんたは何を言ってるの」と大きな溜息をつかれたのは昨日のことのように思い出せる。  過去に起きた事実が大きく改ざんされていたのだ。  すべて、そんなことがなかったことに。  急いで朝学校に行くと、緑に詰め寄って話を聞いた。  どうやら、私が帰った後にもう一度あの不思議なおまじないをやったそうだ。  三人で…。最初から…。  私の去ったあと、どうしてかオカリナの天使様は現れたらしい。  私が祈った時は現れなかったのに。  私は何か間違ったのか。いや私はちゃんと緑に言われた通りにやったはず。  私が薄目を開けてみんなを確認した時は私と同じように手を組んで祈っていた。  なんでだろう? なんで私がいた時には姿を見せてくれなったのだろう。  何がなんだがわからなかった私は緑にあの日の放課後に何があったのかすべて話してもらおうとしたが…。  緑はそれ以上の事は何も教えてくれなかった。 「どうして何も教えてくれないの」 「オカリナの天使様に喋ったら清井京也の生き返りはなかったことにするって言われたから…。ごめん…」 「そんな…」  それきり、緑達は私に近寄ってこなくなった。  一度も。  オカリナの天使様とはいったい何者なのだろうか。  後で調べてみた結果、それが都市伝説だと分かり、私達が住む町の周辺に古くから伝わる《幽霊》のようで、昔、不慮の交通事故で死んでしまった子供の霊だとさらに調べてわかった。その幽霊がオカリナの天使様と呼ばれる所以はその子供が死んでしまった時にオカリナを手に持っていたからだと言う。噂が本当かどうかわからないが緑達がやったおまじないをすると、私達の前に姿を現すとか。  それがどんな幽霊でどんな姿をしているのかまったくの謎。  ただ、二つだけわかった事がある。  一つ目がその幽霊は私達にある機会を私達に課すのだという。死んだ人を生き返らせるための何かを…。  成功するか、失敗するか…。  それは受けた人間次第だとか。  ただ、失敗すると本当に何が起こるかわからない。  だから知恵のように警戒してやらない人もけっして少なくはないだろう。  そして二つ目。  成功しても、失敗してもその幽霊は私達の記憶を消すのだとか。  そこまで調べてわかったが、それ以上のことはどこを探しても何も見つからなかった。  死んだ人を生き返らせる存在?  いや、正確には死んだ人を生き返らせることができる権利をその幽霊からもらうってところだろう。  何もわからぬまま、私達は小学校を卒業して、それぞれ別々の道を歩んでいった。  それから時は進んで…。
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