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第四章 身代わり
目が覚めたことを、こんなに嬉しく思ったことはないだろう。真人が目を覚ますと、五十嵐が布団を畳んでいるのが目に入った。ほっと胸を撫で下ろす。
「おはようございます」
真人に気付いた五十嵐が挨拶をしてくれる。真人も起き上がりながら、笑顔を取り繕った。
「おはよう」
「よく眠れました?」
「まあまあかな」
ぐっすり寝たとまでは言えないだろうが、それでも一応睡眠はとれている。それに、この生活も今日で最後だ。上手くいっても、行かなくても。
真人は自分の布団を畳みながら、奥の座敷に目をやった。久世の布団が敷かれたままだが、本人の姿はない。
トイレに行ったきり、戻って来なくなった紫陽花のことを思い出す。
「……久世は大丈夫なのかな」
五十嵐に尋ねていた。彼はここずっと久世と行動を共にしていた。何か知っているのではないかと聞いてみると、五十嵐がにこりと笑った。
「一応食事や、睡眠をとっている、気配はしました」
「良かった」
これで一応は安心だ。寝ている間に、誰かが犠牲になったという悲劇は、どうやら今日は起きていないようだ。
「それより、いよいよ今日ですね」
それまで明るかった五十嵐の声が、急に暗く聞こえる。五十嵐もきっと、不安でいっぱいなのだろう。両手の指を、互いに絡ませ合っている。真人は、そんな五十嵐の両手を包むように手を乗せた。
「無事に朝を迎えられて安心だよ」
「早く用意しましょう」
「そうだね」
真人は縁側の障子を開けて、外を眺めた。アジサイの花が咲き乱れる境内が見える。
「うん、やろうか」
以前紫陽花から説明を受けていた通り、真人と五十嵐は納屋に向かっていた。平屋から出る時に、着火ライターを持ってきている。お焚き上げの準備は万端だ。納屋の裏には紫陽花の言葉通り、薪が台車の上にうずたかく積み上げられている。紫陽花が話していた物だろう。
「これを、組み上げて、火をつければいいんですね」
「離殿の前が空いてるから、そこでやろうか」
真人は薪の乗った台車を押して、五十嵐と共に離殿の前に向かった。
離殿の前に台車を止め、薪を交互に組み上げていく。ある程度組み上がると、五十嵐が着火ライターを点火する。そのまま、ライターを組み上げた薪の頂点に点けた。初めは小さかった火が、少しずつ薪に燃え広がっていく。
途端、ぼう、と音を立てて、火柱が上がった。風が吹き込んで、炎が薪全体に広がったらしい。
「……上手くいきますかね」
五十嵐が呟く。
「上手くいってほしいね」
炎を見つめながら、真人は苦笑した。後は、カタシロ様を待つだけだ。そう思って、顔を上げた時だ。目の前に、久世が立っていた。
「よォお二人」
久世はニヤニヤしながらお焚き上げの火に近付いてくる。真人は久世の様子を一瞥し、離殿に目をやった。カタシロ様が現れる気配はしない。
「なんだ、参加するつもりになったのか?」
久世が特に絡んでくる気配もしなかったので、真人はそう問いかけた。
「ああ、そうだなァ。俺も早く終わらせてェと思ってよォ」
「そうか」
真人はそれだけ答えて、火を見つめた。一層火柱は大きくなっている。
「真人さん!」
五十嵐の叫び声が聞こえた。顔を上げると、目の前に久世の姿は無かった。代わりにすぐ横に迫っている。その手には、ナイフが握られていた。
「言っただろ! お前らが犠牲になれば良いんだって!」
ものすごい勢いで、久世が距離を詰めてくる。避けられない。そう悟って、真人は目を閉じた。その、瞬間だった。
「あァ?」
ナイフで刺されたような感覚が、腹部に少しだけ走った。だが、痛みは無く、柔らかい感触だけだする。
目を開けると、久世がナイフで刺しているのは、ウサギのぬいぐるみだった。祖母の作ってくれた、大切なもの。
「身代わり……?」
思わず呟く。目の前で久世も唖然としているようだった。
「なんでだァ……? 今回も上手くいくと思ったのに……」
瞬間、久世の瞳孔が開き、黒目が左右に痙攣し始めた。
「ううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう」
体を小刻みに揺らしながら、久世が首を振っている。様子がおかしいのは目に見えて分かった。
しばらく久世はぶるぶる震えた後、痙攣を止めて真人を見た。
『余計ナ事シヤガッテ……贄ガ減ル』
久世の声ではあったが、もう久世ではなかった。目の焦点は定まらず、口は半開きで涎を垂らしている。
乗っ取られている。
そう悟った瞬間に、真人は久世の腕を掴んでいた。
「オ、ァ?」
もう、久世は久世ではなくなっている。
「……ほんと、ごめん」
真人は呟いて久世の腕を掴んだまま引きまわし、お焚き上げの火の中に放った。
みるみる、何かが焦げる臭いがしていく。
「ウォォォォォ!」
久世の断末魔が響き渡る。焦げ臭さは、肉と脂の燃える臭いに変わっていく。久世の身体はみるみる焦げていく。
「……良いんだよね、これで」
「きっとな。久世はカタシロ様に乗り移られてたし、そのまま放り込んだから……」
きっと死んだはずだ。カタシロ様もろとも。
真人は燃え盛る久世から目をそらし、足元に落ちているウサギのぬいぐるみを拾い上げた。祖母の作ってくれたぬいぐるみは、ナイフで刺され、胴体が縦に裂けていた。中からは白い綿もはみ出ている。真人はぬいぐるみを抱きしめて、それから炎の中に放り込んだ。
ぼう、と勢いがさらに増す。もう久世は真っ黒になっていた。
「もう、行きましょうか」
五十嵐が言う。
「そうだな」
真人も答え、踵を返した。
「もう帰ろう、後は住職に挨拶してさ。住職っていつ帰ってくるんだろうな」
「あッ」
「どうかした?」
振り返った時だった。視界に、赤い何かが映り込み、顏に生温かい何かが飛んだ。スローモーションの映画を見ているようだった。五十嵐が、目を見開いたかと思うと、頸動脈がすぱりと切れて、血が噴き出して、破裂でもしたように、四肢が千切れ飛んだ。
「なんで……? 終わったはずじゃ……」
両脚から力が抜けていく。真人は地面に頽れた。同じように、バラバラになった五十嵐の身体が、地面に落ちる。頭が、胴体が、右腕が、左腕が、右足が。そして、左脚の代わりに、真っ赤に塗装された細長いパーツが落ちた。戦隊モノのフィギュアの一部に見えた。五十嵐が、身代わりとして預けたはずのものだ。どうして、と思うと同時に、真人はお焚き上げの薪に目をやった。なぜか、もう火は消えている。
もしかして、と思いながら、ふらつく足取りで薪に近付く。大量にあった薪は全部燃え、後に残ったのは灰と、骨だった。久世の骨だ、その中にフェルトで出来た人形の脚らしいパーツが見える。ピンク色の靴を履いているから、女の子だろうか。
女の子のフェルト人形。
久世が、身代わりとして供養したものだ。
「……これで、六人」
呟くと同時に、視界が反転した。どた、と地面に倒れ込む。
どうして、なんでと思うと同時に、これでやっと終わったんだと、安堵の気持ちも込み上げてくる。浅ましい。自分以外全員が死んだ。誰一人守れずに、呪いも止められなかったのに。自分一人だけ助かって、それでよかったと思うなんて。
誰かの近付いてくる気配がする。もう、顔を動かす気力も起きない。
「葉山さん」
名前を呼ばれた。優しい声音で。
「まさか、こうなるとは。いやはや、お辛い目に遭わせてしまいましたね」
住職だった。盆の間ずっと出掛けていた、真人たちを贄として集めた男。彼はこうなることを全部分かっていたんだろう。それなのに、白々しい。
ふつふつと怒りが込み上げてきた。だが、久世のように、感情のままぶつける気力は無かった。真人は地面に倒れ込んだまま、消え入りそうな声で呟いた、
「どういうつもりですか。全部教えてください」
「……知らない方が良いというわけにもいきますまい。全部お話ししましょう」
住職は、ほっ、と掛け声のようなものを掛けて、真人の両脇に腕を差し入れ、無理やり立たせた、ふらつく足取りで、平屋に連れて行かれる。
アジサイの見える縁側に座らされた。ぼうっとしながら、眺めていると、台所からカチャカチャと小気味よい音が聞こえてきた。紫陽花が、涼花が、海春が、三人で台所に立っていた光景を思い出す。
うなだれていると、すぐに住職がやってきた。冷茶を差し出される。軽く頭を下げて、茶を受け取った。一気に喉に流し込むと、火照りが冷めていく感覚がした。
「……みんな死にました。満足ですか?」
口を開くと悪態が出たが、気にしないことにした。住職に凝視されているのが分かったが、気にしないことにする。代わりに目の前のアジサイを指差した。一つだけ、アジサイの株が根元から掘り返され、土も掘ったままになっている。
「紫陽花さんは、あの下に埋められてました」
「……そうですか」
「そうですか!? あんたのせいじゃないんですか!? あんたが変なことに巻き込まなければ、みんな死にませんでした! カタシロさまなんていう訳わかんないモン、なんであるんですか。なんで自分はさっさと寺出てるんですか」
一気にまくしたてると、真人はたまらず咳き込んだ。住職が背中を撫でてくる。真人は深呼吸をして息を整えると、肘で住職の手を押しのけた。
住職は、眉を下げて真人を見ていたが、すぐに庭のアジサイへと目を向けた。
「本当は、聖生にやらせるつもりでした」
そう言って、住職は冷茶を啜る。
「やらせるって何を」
「封印を解く役割です。カタシロ様の生贄が六人と、封印を解く役目が一人。それで七人の予定でした」
「じゃあ最初っから計画は崩れてたんですね」
乾いた笑い声を漏らして、真人は縁側に後ろ手を突いて体重をかける。
「計画の成功を何と捉えるかですね。確かに神田が最初の生贄となり、葉山さんが生き残ったというのは我々にとって計画倒れでしたが、カタシロ様が新しいお身体を手に入れたという方が我々には重要なのです」
「我々、ねえ」
その我々にはきっと、この村の住人たちも含まれているのだろう。
「つか、誰がいつ犠牲になったとか分かるんすか? 誰か見てたとか?」
「いえ、納屋の様子を見れば明らかです。紫陽花は最後に良い仕事をしました。あの子が自分で考えて、納屋に運ぼうと決めたのでしょう。おかげで今回のカタシロ様のご様子を詳細に記録できます」
「ああそうですか」
声を上げて、真人は無理矢理住職の話を遮った。これ以上話を聞いていたらバカになりそうだった。いや、もうなっているのかもしれない。
「神田さんもグルだったってことですよね。封印を解く役目って今回は久世だったけど、あいつ一番ヤバかったと思いますよ。二回も乗っ取られてたし」
そうみたいですね、と住職はさほど驚いた様子も見せずに呟いた。久世の身に何が起きたかということも、何らかの方法で知っているのだろう。だが、もうそんなことに興味はなかった。
「桐の箱を開けた者、つまり封印を解いた者は、カタシロ様の傀儡となるのです」
「傀儡って……乗っ取られるってことですか」
「そう捉えていただいて構いません。カタシロ様に乗っ取られ、殺害の手助けをする代わりに、殺される優先度が下がります」
「優先度、すか」
分かりそうで分からない。どんどん難しい話になっていく。
真人が顔を顰めていると、住職が苦笑した。
「つまり六人の生贄と一人の傀儡がいた場合、傀儡が殺されることはほぼないのです。傀儡が殺されるのは生贄を殺してからになるので」
「……住職がそんな殺す殺す言って良いんですか」
呆れ気味に真人が言っても、住職には効果が無いようだ。彼はただ苦笑いのような表情をうずっと貼り付けている。
「良いんですよ。うちは」
「さいですか」
「ちなみに久世さんが亡くなったのは、貴方が殺害したからですよ」
その一言は、まるで心臓に鉛でも撃ち込まれたように重くのしかかってきた。薄々、そうなのではないかと感じてはいた。あの時、真人は自らの意志で、久世を炎の中に放り込んだのだ。カタシロ様に乗り移られ、もう元には戻らないだろうと自身に言い聞かせて。
真人は薄く息を吐き出した。本当は、住職に訊きたいことが山のようにあるはずだった。だが、実際に会話をしてみると、疲労感の方が勝ってしまう。話していても無駄なのではないかと思えてきてしまう。それでも、真人は知らないといけないと感じていた。自分が何に巻き込まれ、仲間たちがなぜ殺され、そしてなぜ自分だけが助かったのか、その理由を。
「神田さんがアンタたちに協力したのはどうしてですか? そんなことするような人には見えませんでしたけど……」
「ああ、だって彼、前科持ちでしょう」
平然と、住職はそう言ってのけた。久世が人殺しであることは、初日に聞いていたが改めて住職に言われると、苦しいものがある。
「この計画が成功し、生き残った暁には、就職先を斡旋すると」
「つまり、足元見たってことですね。最ッ低」
「取引と仰ってください」
冷茶を飲み干して、住職が立ち上がる。
「最後に一仕事していただきましょう」
そう言われ、真人は顔をしかめた。
「まだ何かあるんすか」
「ええ、ここはお寺ですから」
そう言って、住職が真人を連れて来たのは、納屋だった。もうかなりの時間が経っているからか腐敗臭がする。
住職から言われた最後の一仕事とは犠牲者たちの埋葬だった。裏手にある専用の墓地に埋葬するのだという。
本当は住職の手伝いなど、やりたくはなかった。しかし、犠牲になった六人をちゃんと弔いたいという気持ちの方が強かった。住職に言われるまま、遺体を一つずつ墓地へと運んでいく。
「……もしかしてアンタ、紫陽花さんも利用したんですか? 神田さんみたいに脅して」
ブルーシートに包まれた遺体を運びながら、真人はそう問いかけていた。住職は首を振る。
「あの子は何も知りません。本当は今回も参加するはずではありませんでした」
遺体を墓地に置くと、住職が一つ息を吐き出した。
「あの子からどこまで聞いたか分かりませんが……彼女は元々カタシロ様の依り代になるはずでした。カタシロ様の呪いをおさめるために」
「でも失敗したんでしょう」
「意外とあの子、おしゃべりが好きだったんですね」
住職の言い方は、娘に対する父のものとは思えなかった。だが、この親子が歪な関係性でありそうだということも察せられていた。紫陽花と名付けた娘がアジサイの下に埋められていると知って「……そうですか」というような男だ。紫陽花が気の毒に思えてくる。
「葉山さんはどう思っているか分かりませんが、私もこんなことはしたくなかったんですよ」
本当かよ、とまた悪態を吐きそうになったが、真人は歯を食いしばって堪えた。住職が本当は何を考えてこんなことをしたのか、知りたい。知らなければいけない。そう思う。
「カタシロ様の周期が近いと分かっていました。なので子どもの身体を与えれば、満足してくださるかと思ったんです。紫陽花は、都合のいい子でした。村の若い夫婦の間に生まれた子ですが、すぐに育てられないと相談されて……」
「それで利用するために引き取ったってことすか。やっぱりアンタ最低ですよ」
真人はそう言ったが、住職はまだ相好を崩さない。まるで久世のようだ。久世なら住職にも効果のある一言を言い返せたかもしれない。そう思いながら真人は、また空しさを感じていた。久世を殺したのは、まぎれもない自分だ。結局久世に責め立てられたとおりの結末になってしまった。
真人はかぶりを振って、転がっていたシャベルを手に取った。住職に指示されるまま、ひとつずつ穴を掘っていく。
住職は、そんな真人の労働を、柵に腰かけながら眺めている。良い御身分だと思ったが、さっさとやることをやり、聞きだすことを聞きだして帰るのが賢明だ。
「カタシロ様は、新しい身体を欲していました。カタシロ様は、元は人間でしたが、この村の贄として、身体を六つに分けられ、四肢は村の四隅に、そして胴体は形代殿に、頭部は村の入口に埋められました。祠のある場所です。我々は、百年に一度起きると伝えられる呪いを避けたかった。そして、その呪いは、カタシロ様が新しい身体を欲することで起きると考えられていました。新しい身体とは、五体満足の身体……分けられる前の身体のことです。しかし、カタシロ様は、紫陽花の身体に入った後、こう告げられました。『私は身体が欲しいのではない』と。我々はカタシロ様に呪いについて尋ねました。しかし、それ以降カタシロ様と意思疎通することはできず、カタシロ様は紫陽花の身体から離れたのです」
「で、俺たちも利用したんでしょう? 紫陽花の計画が上手くいかなかったからですか」
「……そうですね」
住職は大仰に頷く。
「幸い片白寺では、古くからいたずら小僧を預かる場所となっていました。そこで、呪いが起こる年、つまり今回、このようなことを企てたのです」
「もう、正直俺にとっては全部どうでも良い。つまりアンタたちは俺らを殺そうとして集めて、結果殺すことに成功した。生き残った人間は違ったから、全部が全部計画通りじゃないだろうけど」
穴を掘り終わり、真人は身体を伸ばした。
「このことを、世間に公表しますか?」
そう言われて、思わず住職を睨みつける。
「久世だったら、したかもしれませんね。でもあいにく俺はそこまで偽善者じゃない。それに、ここに預けられたのは、『いたずら小僧』です。世間に公表したら、尾ひれはひれも突くでしょう。貴方なら分かるんじゃないですか」
「貴方も、決まりが悪いですか」
また、腹が立って睨みつける。住職と真人は、どこまでも考え方が合わないのかもしれないとさえ思えてくる。
真人は息を吐き出した。
「違います。神田さんはどうなるんですか。海春は? 涼花は? 久世はまあ、自業自得なところありましたけど……。みんなここに来るまでに事情を抱えていました。でも、世間はそんなこと、気にしてくれないでしょう」
いくら話しても、住職は不思議そうな顔をしている。こんな奴の元にいて、よく紫陽花や神田が擦れなかったとさえ思う。
真人はもう一度息を吐き出した。今度のため息はさっきのものより大きい。
「神田さんを人殺しだと言い、海春が暴力をふるったと言い、涼花をパパ活三昧と書くだけでしょう。その背景に、本当は何があったか知らないで。その理論で行くと、俺は貴方も黙認することになるんで、だらかもう、どうでもいいです。貴方にも事情があって、結果こうなったってことで。まあ、どうせバレると思いますけどね」
早口に捲し立てていると、住職がブルーシートを広げ、遺体を土に埋葬し始めた。真人はその様子をただ見つめる。
「涼花と海春にはどやされそうだし、久世にはバカにされそうな結論ですけど。なんで俺が生き残ったんだか」
また、息を吐いた。それが本心だった。とりわけ何か目標や夢を持っていたわけでは無い。それなのに、生き残ったのだ。
住職が遺体を穴に納め終えたらしい。今度は土を掛けるよう指示され、真人はもう一度シャベルを掴んだ。
「身代わりのことは覚えていらっしゃいますか?」
「……来た時に供養してもらったあれですか。結局どんな御利益かよくわかりませんでしたが」
真人の言葉に、住職が薄く笑った。その表情が、紫陽花と重なる。ああ、どうして今頃、似ているなんて思うのだろう。
「この片白寺は、人形供養の寺院です。特に身代わり供養として思い入れのある人形をご供養なさると、一度だけ、その人形が身代わりとして脅威から守ってくださると言われています」
「じゃあ……」
脅威と言われ、久世に刺されそうになったことを思い出す。あの時、ウサギのぬいぐるみが身代わりとして庇ってくれていなかったら、真人は死んでいたかもしれない。
「葉山さんが供養なさった、おばあさんお手製のぬいぐるみが、久世くんから真人さんを守ってくださったんでしょう」
「他のみんなも供養をしていたんじゃ……」
「していましたよ。まあ、久世君の身代わりは……どうかわかりませんが」
「どういう意味ですか」
「久世くんが身代わりに持ってきた人形は『ひとりかくれんぼ』というものに使ったものだそうで……」
「ああ……なるほど」
住職が顔を曇らせる。真人も顔を顰めた。恐らく配信で使ったものをそのまま持ってきたのだろう。それは確かに、身代わりとしての役目を果たすのか。今となってはもう分からないが。
「でも、みんな供養してたのに、生贄になってますけど」
「でも、人形供養で身代わりとしてお守りしてくださるのは、人災のみ。もし真人さんが形代様に狙われていたら、今頃……」
住職が声を落とした。言いづらそうな様子が伝わってくる。それでも言わんとすることが分かる。
「俺も、みんなみたいにカタシロ様に殺されてたってわけですね」
住職の言葉を引き取ると、住職が頷いた。
「さて、最後の仕事もこれでおしまいですね」
全員の遺体を埋葬すると、住職が笑った。真人も息を吐き出した。これでようやく全部終わりだ。神田を、涼花を、紫陽花を、海春を、久世を、五十嵐を、全員埋葬した。
六人の墓が、一列に並んでいる。真人は、その墓場に向かって手を合わせた。許してもらえるか分からない。許してもらいたいのかも分からない。
それでも、助けられなくてごめんと謝った。
誰かの声が聞こえるわけではない。それで良かった。
「もう、帰ります」
真人は住職に声を掛けた。住職も頷いた。
平屋に置いていたリュックを持ち、山門へと向かう。忌々しい記憶に結び付いたアジサイを見るのも、これが最後だ。
離殿と本堂の間を抜けると、門の前で住職が立っていた。見送りか、と思いつつ、木が滅入りそうになる。住職と話すことなど、正直もう何もなかった。
それでも住職は、まだ話したいことがあるらしい。
「葉山さん」
名前を呼ばれて引き留められる。なんだと睨みつけそうになり、面食らった。住職が、真人に向かって頭を下げてきたのだ。
「どうか、彼らの分まで生きてください」
「は?」
あんたがそれを言うのかよ、と喉元まで言葉が出掛かった。しかし、すんでで飲み込んだ。言ったところで、もう遅い。それに、住職が目を伏せながら、真人に向かって手をすり合わせて拝んでいた。
「わがままな願いであることは分かっています。それでも、彼らの分まで生きてください」
やるせないなあと思ったが、それでも頷いた。犠牲になった六人の分まで生きるのは、真人の使命のように感じられたからだ。それが六人へのせめてもの供養と謝罪だろう。住職に頼まれているのは不愉快極まり無かったが。
「アンタに頼まれるからじゃないです。あいつらのために、あいつらの分まで生きます」
自分に言い聞かせるために口にしただけだったが、住職は満足そうに頷いた。
「それで構いません。あの子たちのために、そしてご自分のために生きてください」
真人は薄く息を吐き出して、門に向かった。ふと、蝉の鳴き声が聞こえてくる。
静寂を打ち破るような、喧しくて懐かしい音だ。
「蝉、鳴いてるんですね」
呟くと、住職が不思議そうに首を傾げた。
「夏ですので」
その返答に、ああ、終わったんだ、と思う。
「……そうでした。あと、ひとつだけ気になったんですけど、カタシロ様を成仏させようとか思ったりしなかったんですか?」
これは、純粋に気になっていたことだった。歴史書を読んでいたとき、一度も誰も成仏させようと行動しなかったことが気になっていた。
「私たちはカタシロ様を信じておりますから」
住職がにこりと微笑みながらそう言った。その柔和な笑みは、優しそうで、救いを差し伸べてくれると錯覚してしまうだろう。
「……カタシロ信仰、ですもんね」
真人はそう呟いて、住職に頭を下げた。大きく開かれた山門を潜り抜ける。階段を下り、一本道を歩く。村人たちは、真人を見てももう何も言ってこなかった。砂道が、砂利道に変わっていく。
まるで全部が悪い夢だったようにさえ思える。だが、この場所で起きたことは全て現実だ。
亡くなった六人は、この後どうなるのだろうか。埋葬を手伝ったは良いものの、行方不明だなんだと騒ぎにならないのだろうか。
そう考えて、かぶりを振った。
「悪い子は、カタシロ様に帰してもらえないんだ」
母から届いたメッセージを思い出す。真人も良い子だったとは到底言えないが、それでも母の言葉を借りて言えば、カタシロ様に帰してもらえたということだ。
リュックを背負い直し、片白村の出口までたどり着いた。バス停に立ち、時刻表を眺めて、スマホで現在時刻を確かめる。バスの到着時刻まであと数分だ。
蝉の声を聴きながらしばらく突っ立っていると、遠くからエンジンの音が聞こえてきた。バスが、目の前で停車する。降りてくる者は誰もいない。後方のドアが開いた。来た時と同様に、整理券を引き抜いて、バスに乗り込む。
「おや、ウサギの子かい」
バスの運転手がミラーを見ながら声を掛けてくる。どうやら乗ってきたときと同じ運転手に当たったようだ。
「片白祭はどうだった?」
尋ねられ、返答に困る。真人は暫し考え込んだ。
「……大変でした、色々と」
真人の返答に、運転手は不思議そうな顔をした。真人はそれ以上何も言わず、すぐ近くの席に腰を下ろした。車内はがらりと空いていて、真人以外には誰も居なかった。後方のドアが閉まり、ゆっくりバスが発車する。
差し込む陽射しに当たりながら、目を閉じた。まだ、鼻腔には生々しい血液の臭いがこびりついている。神田が、涼花が、紫陽花が、海春が、そして久世と五十嵐が、死体となった様子が、今も鮮明に思い出せる。
なぜカタシロ様は自分を狙わなかったのか。どうすれば彼らを助けられたのか。考えたところで、六人が生き返るわけではない。
〈彼らの分も、生きてほしい〉
住職の言葉を思い出す。やるせなさを抱えたまま、真人は目を閉じた。
地方バスから電車を乗り継いで数時間。もうすぐ、最寄り駅だった。東京に入ると、辺りはビル群が立ち並び、人々の声で溢れていた。ぼんやりと顔を上げる。今まで、長い夢でも見ていたような気持ちになる。それでも、スマホを開くと母からの『もう片白村出た?』というメッセージが入っていて、まぎれもなくあの寺で起きたことは現実だと思い知らされる。
真人は薄く息を吐き出して、スマホの画面に向き合った。
『もうすぐ駅』
端的なメッセージを制作して、送信する。すぐに既読が付いた。
最寄り駅に到着すると、すでに母が車で迎えに来ていた。いつものように、車に乗り込む。
「おかえり真人」
「……ただいま」
家を出る前は、それすら鬱陶しく思っていただろう母からの言葉を、今は少し嬉しいと思う。形代様に襲われて、死の危機に瀕していなければ、そう思うことも無かっただろう。
「俺さ、やりたいことがあるんだけど」
窓を見ながら打ち明けると、母が驚いているのが分かった。
「やりたいことって?」
少し低くなった声音に、空気が張り詰める。
「カウンセリング。悩んでる人の支えになりたい」
それは、片白寺で学んだことだった。皆それぞれに悩みがあり、何かを抱えている。その悩みを聞いて、和らげたいと思った。神田が過去を打ち明けて、涼花が夢を語り、紫陽花と海春が心を開いてくれたように。
「……そう」
母は短くそう言った。張り詰めていた空気が、瞬間、和らいでいくのが分かった。
「良いじゃない。じゃあ、ちゃんと勉強できる大学にしないとね」
母の声が、弾んで聞こえる。そんな返答が返ってくるとは思ってもいなかったが、もしかしたら真人の思い込みだったのかもしれない。
「うん。そうだね」
小さく呟く。もうすぐ家が見えてきた。
久しぶりの我が家だからか、それとも片白村での一件が終わったからか、ベッドに潜り込むと、どっと睡魔が押し寄せてきた。
重くなる瞼に逆らえず、目を閉じる。混濁する意識の中、真人は、片白村で起きたことを思い出していた。
神田が殺され、涼花が殺され、紫陽花が殺され、海春が殺され、久世が殺され、五十嵐が殺された。
〈今回も上手くいくと思ったのに〉
刺し殺されそうになった時の、久世の言葉がはっきりと蘇る。
上手くいくと思った、とは恐らく真人を刺し殺せるはずだったということだ。今回も、とはどういうことだろう。
〈身代わり供養として思い入れのある人形をご供養なさると、一度だけ、その人形が身代わりとして脅威から守ってくださると言われています〉
住職の言葉が甦る。そうだ、だから真人は久世に刺し殺されそうになっても助かったのだ。神田も、涼花も、海春も、五十嵐も、久世だって、人形を預けていた。久世の人形が身代わりとして効果を成すかは住職も分からなかったそうだが、それ以前に、一人だけ、身代わりを預けていなかった。
〈でも今は、身代わり人形、あった方が良かったかもってちょっと思う〉
はっとして目を覚ました。いつの間にか爆睡していたようだった。目を擦りながら、起き上がる。
枕元に、ウサギのぬいぐるみが置かれていた。
「えっ」
目を擦って、もう一度確かめる。ぬいぐるみはどこにもない。心臓が、バクバクと喧しい音を立てている。背中を冷や汗が伝っていく。意識が遠のく。
コンコンコン。
部屋のドアが叩かれて、「真人、起きてる?」と母が声を掛けてくる。曖昧に返事をすると、ドアが開いた。
「アンタに電話。片白村の住職さんから」
飛び起きる。母の手には、子機が握られていた。ひったくるように奪う。
紫陽花の言葉が脳裏に渦巻く。久世が殺そうとしたのが、真人だけではなかったとしたら。紫陽花が何かに勘づいていたとしたら。
受話器に耳を当てる。
「真人くん、落ち着いて聞いてください。形代様の呪いはまだ終わっていません。紫陽花は誰かに殺されたのです」」
ひゅ、と喉が変な音を立てた。
背後に、視線を感じる。誰かに、見られている。
『葉山くん』
名前を呼ばれた。確かに、紫陽花の声だった。ゆっくり、振り返る。
そこに立っていたのは、頭から血を流した日本人形だった。
「あ、」
ぐちゃ。
END
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