第二章 秘密

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第二章 秘密

真人は、何も言えなかった。自分が見ているものが何なのか、脳が理解を拒絶している。 なぜなら、浴槽に浮いているものは、床タイルに散らばっているものは、ただの肉塊だったから。  それが、神田だったと脳が認めると同時に、気持ち悪いものが腹の奥からせり上げて、狭い喉が無理矢理こじ開けられていく。口許を手で押さえて、どうにかこらえる。  久世が浴槽に手を突っ込んで、茶髪を引っ張った。うつ伏せにされていたそれが、ごろんと仰向けにされる。それは、神田の首だった。整った顔立ちはもう見る影もなく、水分を含んでぶよぶよに膨れていた。見開かれた白目が、睨みつけるように真人を見る。呻くように開いた口から、真っ赤な水が流れた。 「なん、なんで、どうして……」  涼花が取り乱すのも無理はない。昨晩までは、一緒に食卓を囲み、笑い合っていたのだ。その彼が、数時間後には首を切り落とされ、身体をバラバラにされ、浴槽に放り投げられているとは、誰が想像できただろう。  浴室には、血の臭いがはびこっている。嗅覚が、視覚が、触覚が、やけにリアルで、目の前の光景が現実だと、嫌が応にも思い知らせて来る。 「……カタシロ様が見てるんだ」  紫陽花が、そう呟いた。でも今は、そんなことどうだって良い。神田が、神田らしきものがどうなっているのかが重要だ。  息を止めて、浴槽に近付いた。 「マジで呪いってあったんだ!? バズっちまうな~これは!」  カシャ、と音が聞こえて、振り返る。真人の背後で久世がスマホを構えていた。そのレンズは、神田だったものに向けられている。  そこで、我に返った。これは、事件で、真人たちは素人だ。 「と、とにかく警察に通報しましょう!」 「ええ」  紫陽花がスマホを取り出して、どこかに電話を掛けた。警察らしい。でも、応答は無いようだ。 「……どうして」  紫陽花がスマホを差し出してくる。スマホはまだ110番に通話を掛けている。紫陽花が、スピーカーマークをタップした。どうしたのだろうと思いながら耳を澄ませる。スピーカーに切り替わり、聞こえてくるのは、砂嵐のようなノイズだけ。呼び出し音でも、通話が切れた後の音でもない。  電話を掛けたとき、ノイズは起きるだろうか?  真人は顔を上げた。向かいの紫陽花と目が合う。 「電話が、かからない」  いつになく震える声で彼女がそう言った。無理もない。ただでさえ昨晩、片白様を封印していた箱が開かれ、今朝は神田がバラバラの状態で発見され、警察にはなぜか繋がらない。イレギュラーなことが続き、パニックになるのは当然だ。  それは真人も同じだった。それでも、何かをしなければいけない。神田をこのままにしておくわけにもいかない。 「……住職さんは?」  真人が尋ねると、紫陽花ははっとした様子ですぐにスマホを操作した。真人もポケットからスマホを取り出す。電波はちゃんと拾っているようだ。アンテナ線が立っている。 「圏外とかじゃないですね……」  呟きながら真人は自分のスマホでも警察に通話を掛けてみた。だが、紫陽花のスマホと同じく、ノイズが走るだけだ。 「お父さん……」  スマホを耳に当て、紫陽花が呟いた。目が合うと、紫陽花は首をふるふると振った。住職にも連絡が付かないのだろう。ネットは繋がるが、電話は繋がらないなんてこと、あるだろうか。  そう真人が尋ねようとした時だった。 「お嬢サマさァ、これがカタシロ様の呪いってやつか?」  久世が浴槽を眺めながらそう言った。声音も表情も、見るからに愉快そうだ。一人だけ、この状況を愉しんでいる。久世は赤く染まった浴槽に手を突っ込んで、何かを掴み、引き揚げた。それは、腕だった。肘から下で切り落とされている。よく掴めるな、と思ったが、変わり果てているものの、神田だ。むしろ久世のように平然と接することが正しいのかもしれない。 「……でしょう。昨日箱を開けたから、カタシロ様の封印が解かれたの」  紫陽花も冷静に呟いたが、その表情は青ざめている。やはり、このようにバラバラにされた遺体に平然と接する久世がやっぱり異常なんだろう。 「呪いって……マジで言ってるの!?」  叫んだのは涼花だ。 「この中の誰かがッ」  涼花は真っ青な顔で真人たちを見回した。目が合った涼花は、苦い顔をして目をそらして俯く。 「だって……この中の誰かが、聖生さんを、殺したってことはないの? 呪いって言い切る理由は何なの? ここが、片白寺だから?」  涼花の疑問はもっともだ。真人は薄く息を吐き出した。吸い込むと、また鉄の臭いが鼻を掠める。それでも、真人は久世の掴んでいる神田の腕を見た。断面は、何かですぱりと切り落とされたように見える。こんなに惨い状態は、人間が行った物とは思えない。呪いと言われた方がしっくりくる。それに、今この風呂場にいる誰かが、神田を殺したとは考えたくない。 「……呪いのほうが、いいです。……この中の誰かが、こんなひどいことをしたなんて、考えたくないです」  震える声で、五十嵐が口を開いた。 「それには俺も同意だよ」 「呪いが原因なら解いた人が悪い。どう思う? 久世さん」  海春が久世を睨みつけた。確かにそうだ。離殿にあった箱を開けたせいで神田が呪い殺されたとしたら、開けたやつが悪いに決まっている。 「あれ? 俺が悪い系?」  それでも、名指しされた久世は、心外といった様子でけらけら笑い出した。 「箱を開けたのは俺だけど、離殿に行かなきゃそもそも箱なんて見つけなかったんだからさ。もっと悪いやつがいると思わないか? 例えば、離殿に逃げ込んだ奴とか」  ひゅ、と誰かが息を吸い込む音が聞こえた。涼花だ。涼花は唇を震わせている。久世は彼女に近付いて、怯えた顔を覗き込む。 「ハハハ、良かったじゃん、殺人鬼が死んで。逃げ出すくらい嫌だったんだろ?」 「アンタじゃないの!? 聖生さんを殺したの!」 「まあ、確かに良いネタにはなるよなァ」  何を言っても久世には効果が無いようだ。ずっとけらけら笑っている。  さすがに刺激が強すぎたのか、海春と五十嵐は、ずっと黙り込んでいる。紫陽花も、スマホを握りしめて黙っている。  このままでは、どうにもならない。 「……犯人捜しはひとまず後にしませんか。供養しましょう。このままじゃ、さすがに……」  そう言って、口ごもる。神田が誰に、なぜ、どうやって殺されたのかは分からない。だが、このまま浴槽に放置するわけにはいかない。恐らく神田は殺されてから数時間経っている。その証拠に、彼の顔や体は水分を吸っている。  真人の提案に、紫陽花も頷いた。 「御遺体を引き揚げるから手伝って。父に連絡はつかないけれど、今は非常事態だし……」  真人も頷いた。紫陽花が一同を見つめる。涼花はまだ泣きながら、「あたしも手伝う」と口にした。海春も、俺を一瞥して、紫陽花に頷きを返す。 「ひとまず、ブルーシートを持ってくる。そこに引き揚げましょう」  そう言って紫陽花が風呂場から出て行こうとした時だった。 「じゃあ後のことは任せるわァ」  久世が掴んでいた神田の腕を浴槽に戻した。真人たちにひらひらと手を振って、風呂場から出ていく。 「どこに行くつもりなんだ!?」  思わず声が出た。真人が声を掛けると、久世はニヤニヤ笑いながら振り返る。 「決まってんじゃん。ネタ探しだよ。お前も来るかァ? 東京モン」 「行かねえよ」   苦々しく返しても、久世にはさほど効いていないようだ。彼はニヤニヤ笑ったまま「そりゃァ残念」と手を振るだけだ。 「お前は来るよな?」  久世はそう言って、五十嵐の手首を掴んだ。先ほどまで神田の腕を掴んでいた手で。  五十嵐は逆らえないようだった。怯えた表情のまま、真人たちを一瞥する。五十嵐の手首を、久世は強引に引っ張り、二人はそのまま洗面所から出て行ってしまった。 「……最ッ低」  涼花が低い声で吐き捨てる。真人も二人が出て行ったドアをしばらく見つめていた。 「……ブルーシートを持ってくるから待ってて」  気を取り直した様子で、紫陽花も出て行った。  張り詰めた空気が少し緩むと、また鉄の臭いが漂ってくる。 「……家に帰りたい。なんでこんなことになっちゃったの? ……本当に呪いってあると思う?」  涼花が震える声を上げた。そんな彼女の肩を、海春が抱き寄せる。 「……平気。すずちゃんは大丈夫」  紫陽花がブルーシートを持って洗面所に戻ってきた。タイル床にブルーシートを広げる。 「……無理しなくて良いから」  紫陽花が俯きながら呟く。黒い前髪に隠れて表情はよく見えないが、声音は沈んで聞こえた。彼女も参っているのだろう。 「……紫陽花さんこそ、無理しないでください。それに、涼花も、海春も」  真人は浴槽を一瞥した。真人は赤く染まった浴槽の中に茶色の髪が浮かんでいるのを見つけた。神田の頭部だ。意を決し、浴槽に手を突っ込む。ぬるりと生温かい液体がまとわりついてくる。それでも真人は、両手を入れて、神田の頭部に触れた。人肌とは思えない、うぶよぶよと膨れ上がった肉の感触。手が、全身が、ぞわりと震える。 「……大丈夫?」  紫陽花が顔を覗き込んでくる。 「ああ、はい……」 「ひとまず遺体を安置する。場所を見つけてくるから先に引き揚げて」 「分かりました」  紫陽花が踵を返して浴室から出て行こうとする。 「あの、本当に呪いってあるんですか? 涼花が言ったみたいに、誰かに殺されたってことは……」  脳裏には、久世の顔が浮かんでいた。涼花が問い詰めた時、彼は否定をしなかった。それに、神田が殺人を犯していることを、事前に知っているようだった。もしかして、と嫌な想像ばかり巡る。殺人現場を目撃して、平然と笑い、写真を撮れるような人間だ。 「……ごめん。巻き込んで」  紫陽花はそれだけ告げて、洗面所から姿を消した。  真人は浴槽に目を落とした。手に触れている頭部は、変わり果ててはいるものの、確かに神田だ。 真人はゆっくりと引き揚げて、ブルーシートの上に、神田の頭部を置いた。 「……ッ!」 涼花が悲鳴を押し殺したのが分かる。それでも彼女は、神田の顔に手を伸ばして、張り付いた前髪を持ち上げた。 「……あたしのせいだ」  涼花が呟いた。  真人は浴槽から遺体の引き上げを続けた。太腿や足首、胸部や腰が見つかった。ブルーシートに並べていくと、神田の遺体がかなり細かく切断されたことが分かった。  右腕を引き揚げて、ブルーシートの上に置く。 「……左腕だけ無いな」  ブルーシートに並べられた神田の遺体を見下ろしながら、真人は首を傾げた。海春も何か言いたげに遺体を見つめている。  真人はもう一度浴槽を覗き込んだ。張られた水は神田の血で赤く染まり、底が見えない。真人は肘まで水に突っ込んで、探るようにかき回した。それらしいものには触れない。  真人は鎖を掴んで、栓を引き抜いた。ごぽっ、という音と共に、水がゆっくり流れていく。 赤い水が、消えていく。 「……ねえ、これってぬいぐるみ?」  浴槽に出来た赤い渦を眺めていると、洗面所から涼花の声が聞こえてきた。洗面所に戻ると、涼花が何か布切れを持っている。涼花の手のひらに収まるほどの大きさで、円筒状になっている。確かにぬいぐるみの腕にも見えた。 「聖生さんの右腕がずっと掴んでたの。なんだろうって思ったんだけど……」 「カタシロ様と関係あるのかな」 「違うと思う」  涼花が首を振る。 「カタシロ様は日本人形だから。でもこれはぬいぐるみっぽい」 「左腕だけ見つからないのと関係あるのかな」  真人も首を傾げる。浴槽の水はすっかり引いたが、左腕らしいものは見つからない。 「……流した?」  じとっとした眼差しで、海春が睨みつけてくる。指摘されてドキリとしたが、排水溝の目は細かい。左腕だけ排水溝を通るほど細かくされたとは考えにくい。だとしたら。 「……持ち去られたのかも」  がちゃ、と洗面所の扉が開いた。紫陽花が顔を出してくる。 「場所を確保できた。納屋が空いていて……。神田さんには申し訳ないけど、父が戻るまでそこに安置しようと思う」 紫陽花に促され、真人たちは神田の遺体をブルーシートに包んで運び出した。庭に出ると、紫陽花に従って納屋に向かう。納屋は本殿の裏手にあるらしく、平屋からさほど離れてはいなかった。先導していた紫陽花が納屋の扉を開ける。ひやりとした冷気が首筋にまとわりついて来た。納屋の中は、外よりも室温が数度下回っているようだ。  納屋の隅に、神田の遺体を安置して、息を吐き出した。納屋は使われていないのか、がらんとしている。かなり広いが、物は何も置かれておらず、持て余されているようだ。 「でも……ここに置いといて大丈夫なの?」  涼花が震える声を上げた。 「呪いが本当だったとしたら、動き出しちゃったりしない?」 「……ゾンビみたいに?」 「ゾンビみたいに!」  海春が呆れ気味に尋ねたが、涼花は大きな声で同意した。 「だって怖いじゃん。神田さんの左腕は見つからないし、ぬいぐるみの一部は出てくるし」 「ぬいぐるみ?」  紫陽花が聞き返してくる。彼女には話をしていなかったことを思い出し、真人は先ほど涼花が見つけたぬいぐるみの一部らしきものを差し出した。紫陽花はまじまじと見つめ、それを手に取った。 「もしかして……」  紫陽花は小さく呟くと、納屋から駆け出した。 「ど、どうしたの!?」 「なんかわかった!?」 涼花と海春と顔を見合わせて、真人は紫陽花の後を追いかける。紫陽花が向かった先は離殿だった。重苦しそうな扉は、今は固く閉ざされている。紫陽花は扉の前で立ち止まると、ゆっくり押し開けた。籠っていた熱気が解き放たれる。  紫陽花が、ゆっくり中に入っていく。真人たちも後に続いた。離殿の中には相変わらず無数の人形が並べられている。真人は左右を見回して、ウサギのぬいぐるみが無いことに気が付いた。祖母の作ってくれた、住職に預けたはずのもの。昨晩涼花を迎えに来た時は、右側の最前列に置いてあったはずだが、今はどこにも見当たらない。 「あたしの人形、どこにもない……」  辺りを見回しながら、涼花が不思議そうな声を上げる。 「涼花さんの?」 「俺のぬいぐるみも無いみたい。身代わりとして預けたんだけど……」 真人も言うと、ますます紫陽花は首を傾げた。 「やっぱり、カタシロ様の……」  呟きながら、彼女が離殿を歩き回る。コツコツと足音が響く中で、べちゃ、と音が聞こえた。 「なに、」  紫陽花が悲鳴に似た声を上げながら足元を見る。そこには、クマのぬいぐるみが置かれていた。茶色の生地に、赤黒い染みが出来ている。 「……うわ、血まみれ」 涼花が顔を引きつらせる。紫陽花がクマのぬいぐるみを抱き上げる。真人はぬいぐるみをまじまじと見つめた。埃と血液の混じり合った臭いがする。 「……片腕無いな」  真人は呟く。そのクマのぬいぐるみには、左腕が無かった。誰かが引きちぎったのか、血の染みこんだ綿がはみ出て、縫い合わせていたであろう糸がほつれていた。 「神田さんが握っていたものと同じ」  紫陽花が、手に持っていたぬいぐるみの腕を見せた。血が染みて変色しているものの、どうやらクマのぬいぐるみの左腕らしい。  クマのぬいぐるみには、聞き覚えがあった。 「じゃあ、神田さんの……」  紫陽花が頷く。クマのぬいぐるみは、神田の妹の遺品だろう。彼が発見した妹の遺体は、クマのぬいぐるみを抱きしめていた、と聞いていた。おそらく、紫陽花が抱き上げているこのぬいぐるみこそ、妹の遺品なのだろう。 「……神田さんはここに来るとき、妹さんのぬいぐるみを身代わりにしたと聞いてる。だから、間違いないと思う」  紫陽花は、クマのぬいぐるみを持ったまま、仏壇に向かった。 「でも詳しいことは分からない。どうして身代わりが血まみれなのか。神田さんの遺体がぬいぐるみの一部を持っているのか。でも、このままじゃ浮かばれないでしょう。神田さんも、妹さんも」  紫陽花は、仏壇の前に置かれた机の前にしゃがみこみ、クマのぬいぐるみを座らせた。 「……早く呪いを止めないと」  紫陽花はそう呟いて、ぬいぐるみに手を合わせた。  離殿を後にして、真人たちは食事を摂ることにした。朝食の前に神田の遺体を発見したため、朝からずっと飲まず食わずだった。ある程度状況が落ち着くと、どっと空腹が押し寄せてくる。あんな凄惨な現場を目にした後だというのに、いつものように食欲が湧いてくるのが不思議だった。  紫陽花が朝食を温め直している間に、真人は涼花や海春と共に座敷を整えていた。久世と五十嵐はどこまで行ったのか、まだ戻ってくる気配は無い。 「片白祭ってカタシロ様をお祀りするんだよね? 何するの?」 「何って?」  真人の質問に、涼花が聞き返してくる。真人は少し考えこんだ。 「こういうお祭りって出店があるイメージだし、神様に捧げる踊りみたいなのも見たことあるんだけど……」  ちらりと真人は庭先を見た。相変わらず紫陽花が咲いているが、庭にはそれ以外にこれといった特筆すべきものは見受けられない。縁側からは、離殿と、本堂が見えるくらいで、後は落葉が見えるくらいだった。神田が教えてくれたように出店は本当に並ぶ気配が無く、儀式をするような舞台も組み上げられる様子が無い。離殿で行われるのだろうか。 「今年はいつもと違うから」  背後から声が掛けられて、思わず真人は飛びのいた。いつの間にか紫陽花が立っている。「ご飯出来たから取りに来て」  彼女は真人たちに声を掛けると、廊下に戻って行った。 「今年は違うって、どういう意味なんですか?」  昼食を運びながら、真人は紫陽花に声を掛ける。紫陽花は自分の席に座ると、「詳しくは私も知らないのだけど」と前置きして、口を開いた。 「片白祭は毎年開かれてる。出店は無いし、祭りといっても形だけ。お盆の最終日に離殿を解放して、捧げられている人形をお焚き上げする」 「お焚き上げって……燃やすってこと?」 「そう。でも供養が済んだものだけだし、身代わりの儀式で預けられたものはお焚き上げしないことになってる」 「身代わり以外も人形って預けられてるんだ」  白米を口に放り込みながら、形代殿の様子を思い出す。日本人形やぬいぐるみ、中にはキーホルダーのようなものまで、幅広いものが納められているようだった。中にはいわくつきの代物があってもおかしくはない。 「供養が済むって、成仏的なこと?」  今度は涼花が尋ねた。紫陽花がひとつ頷く。 「簡単にいうとそう。憑りついていたものをお祓いして成仏させられたら、最後にお焚き上げするみたい」 「じゃあお焚き上げの準備をするってことか」  真人の言葉に、紫陽花が箸を持つ手を止めた。小さくかぶりを振る。 「今年は違う。百年に一度だから」  聞き返すと、紫陽花はもう一度首を振った。 「百年周期で、違うことをするみたい」 「オリンピックみたいだよね。四年に一回する的な」 「それはちょっと違うんじゃ……」  涼花の発言に真人が突っ込むと、海春と紫陽花もくすりと笑った。少しだけ、空気が柔らかくなる。紫陽花も海春も気丈に振舞っているだけで、かなりショックを受けているはずだ。それは真人も同じだった。 「じゃあ今年もいつもとは違うんですね」 「準備はいつもどおりで良いと聞いたけど……」  紫陽花はそれきり口を噤んだ。カタシロ様の封印が解かれ、身近な存在だっただろう神田が殺され、住職である父とは未だに連絡がつかないのだ。現状、カタシロ様や片白寺について詳しく知らない真人は、紫陽花に頼らなければ何もできない。それは、涼花たちも同じだろう。紫陽花はきっと、プレッシャーを抱えている。 「そう言えばみんなも身代わりって預けたの?」  どうにか話を変えられないかと、真人は話題を振ってみた。涼花も察してくれたのか、表情を綻ばせる。 「あたしが預けたのはミカちゃん人形。ママが小さい頃買ってくれたんだ」 「ミカちゃん人形って、着せ替えられるやつだっけ?」  真人が小学生のころ、女子の間で流行っていたと聞く。最近はテレビCMでも見かけなくなったが、涼花はそれをまだ大切にしているらしい。 「そう。でも、セットで付いてきたドレスしか持ってなかったんだけどね。うち貧乏だし、上にお姉ちゃんもいるし、そういうの買ってもらえなかったんだ」  涼花が目を伏せた。長い睫毛が小さく震え、黒目勝ちの大きな瞳が潤んで見える。まずい話を振ったかもしれない、と思ったが、すぐに涼花は顔を上げた。 「だから大切なんだ。ママがおさがりじゃなくて、あたしのために買ってくれたから」 「きっとミカちゃん人形も白石さんを大切に思ってくれてるはず」  紫陽花の声音がいつになく優しく聞こえる。涼花が鼻を啜った。 「海春ちゃんは何を預けたの?」  急に振られて、海春が目を丸くする。それから俯いた。口をもごもごさせている。何か言いにくい物でも持ってきたのだろうか。それこそ、誰かの形見とか。 「うちは……シロちゃん」  消え入りそうな声で、海春が呟いた。 「シロちゃん?」 「シロイルカのぬいぐるみ……。だからシロちゃん」  意外だ、と思ったが、真人は口を固く結んだ。海春がぬいぐるみに名前を付けているとは想像していなかったからだ。しかし、彼女はまだ中学生。大人びて見えるが、真人より三つほど年下の女の子だ。 「大事なんだ」  涼花の言葉に、海春が頷く。 「……いつも一緒に寝てる。抱き枕だから」 「意外だな」 「ぬいぐるみと一緒に寝てるなんて、可愛い」  真人と紫陽花の言葉が重なった。海春が真人だけ睨みつけてくる。 「いや紫陽花さんの方が言ってるから!」  ふふ、と紫陽花が笑い、「真人くんが悪いねぇ」と涼花も乗っかる。海春も表情を緩めた。空気が和らいでいくのが分かる。 「そろそろ今日の分の作業をしましょうか」  食事を終えると、紫陽花が立ち上がった。片白祭の準備だ。 「今日は何をするんですか?」 「そうね……」  紫陽花が考え込む。 「父もいないし、庭の掃き掃除をしましょう」  平屋から箒やちりとり、ゴミ袋を持ち出して、真人たちは庭先に集まった。 「真人くんって夢とかある?」  涼花に尋ねられて、どきりとした。夢。今の真人にはそんなものはない。だからこそ片白寺に送られたともいえる。 「良いから手、動かせば?」 「いいじゃん。喋ってないと気が滅入っちゃうよ」  真人が黙り込んでいると、涼花が笑った。 「あたしさ。看護師になりたいんだ」 「看護師?」 「うちは三人家族なの。あたしと、ママとお姉ちゃん。小さい頃に離婚しちゃったからパパの顔は知らないんだけど、ろくでもない人だったってママが言ってた。きっと久世みたいな奴だったんじゃないかな。ママが病気になっても連絡ひとつくれないし」 「だから、看護師に?」 「そう。最初はママの病気について知りたいって思ったんだけど、そのうち、ママみたいに苦しんでる人を助けたいって思ったんだ。でも、うち貧乏だからさ。専門学校行けないかもしれなくて。バカだよねえ。それで学費稼ごうと思ってパパ活したらお姉ちゃんにバレてカタシロ様送りだよ。ママには泣かれちゃうし最悪」  肩を竦めて涼花が笑った。自嘲気味の笑顔だった。彼女のことはさほど知らないが、その表情は似合わない、と思った。それよりは看護師として笑顔を振りまいている方が飼育りくる。 「そうだったんだ……。なんでその話してくれたの?」  境内に舞い散っている葉をかき集めながら尋ねると、涼花が苦笑した。 「……呪いがあるのかって正直分かんないんだけど、ここからちゃんと出たいって思ったから、かな。ほら、夢って口に出すと叶いやすいって言うじゃん?」  そう言って彼女はにかっと笑った。まるで太陽のような笑顔だ。その方が、似合っている。 「……夢か」 「真人くんはここから出てやりたいことないの?」 「俺は……」  真人は言葉に詰まった。やりたいことと聞かれても何も思いつかない。察したのか、涼花が笑う。 「良いんじゃない? 無いなら無いで。そのうちきっと見つかるよ」 「そうかな」 「だから、夢が見つかったら一番にあたしに教えてよ」 「……涼花に?」  なんでだよ、と思いながら問いかけると、涼花にも伝わってしまったようだった。彼女は一瞬ムッとして、また微笑んだ。 「いいじゃん。あたしだけ教えるの不公平でしょ」 「自分から話したくせに」 「いいの! 約束ね」  言いながら、彼女が右手の小指を差し出してくる。男との距離感が近いな、と思いながらも、真人は同じように右手の小指を差し出した。 「……わかった。約束」  そう言いながら絡ませ合う。  まだ夢と呼べるようなものは見つからないが、それでも当面は、涼花に夢を語ることを目標にしても良いかと思った。  片白祭の準備を進めているものの、結局カタシロ様についても、呪いについても、芳しい成果は得られなかった。  境内の清掃を終え、真人たちは平屋に戻ってきていた。  玄関の開く音が聞こえる。 「大収穫だなァ~」  久世の声が響くと同時に、玄関先が騒々しくなる。  久世と五十嵐が、座敷にやってきた。 「……どこ行ってたの?」  苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、涼花が尋ねる。久世はケラケラと笑いながら座敷に胡坐をかいて座った。その隣に、五十嵐が正座する。 「村中回って話聞いてきたんだよ」 「話?」 「ここに伝わる都市伝説ってやつさ」 「もしかしてカタシロ様のこと?」 「ご名答! お前も一緒にくればよかったのに。面白かったぜェ?」 「……で、なんの話を聞いてきたんだ?」  真人は舌打ち混じりに尋ねる。久世は相変わらず鬱陶しくて何を考えているのか分からない男だが、彼のもたらす情報に興味があるのも事実だった。 「気になる? 気になっちゃうかァ?」  久世がケラケラ笑いながら、真人に顔を近づけてくる。聞かなければよかったと後悔したが、すでに遅い。久世は満足そうに頷いた。 「カタシロ様ってさァ、人間になりたいらしいんだ」  声を潜ませながら、久世が話し始める。 「……人間に?」 「人間になって、俺たちみたいに生活がしたいらしんだよ。でもってカタシロ様は人間になるために人間と交流しようとしてるんだけど、カタシロ様に出会った人間は怯えて逃げ出しちまう。だからカタシロ様は怒って人間を殺すらしい」 「……本当は仲良くしたいってこと?」  涼花が睨みつけるように久世を見る。久世は肩を竦めた。 「そうとも言うな。そこで俺は考えたわけよ。カタシロ様から助かる方法! つまりカタシロ様から逃げなきゃいいんだ。カタシロ様は俺たちと仲良くなりたいんだろ? じゃあ仲良くなればいい。名案だろ?」 「にわかには信じられないけれど……」  今度は紫陽花が表情を曇らせる。だが、そんなこと、久世にとっては些細なことらしい。 「じゃあお嬢サマは何かいい案が浮かんでるのか?」 「それは……」  そう言われて、紫陽花も言葉を飲み込んだ。 「あの殺人鬼の二の舞にはなりたくないだろう?」 「殺人鬼ってアンタ!」 「事実だろ。現にあいつも認めてたし」 「だからって信じらんない! 殺された人をそんな風に言うなんて!」 「じゃあなんて言えばいいんだよ。殺されて当然の下衆野郎、とかか?」  ぱん、と乾いた音がした。と同時に、久世が頬を押さえ込んでいた。涼花が久世の頬を叩いていた。真人たちが呆然としている間に、涼花は「もう知らない!」と立ち上がり、襖を開けた。 「どこ行くの?」  心配そうに海春も腰を上げる。まるで昨日の夜と同じだ。涼花も気づいたのだろう。バツの悪そうな顔を浮かべて、海春を見た。 「大丈夫。トイレで頭冷やしてくるだけだから」 「そっか……」  ぱたん、と襖が閉められる。涼花が出て行った部屋は静寂に包まれていた。彼女の怒りはもっともだ。神田は確かに罪を犯したようだが、それでも久世の発言は死者への冒涜に他ならない。それに、依然として変わらない彼の態度も目に余る。 「良い御身分だよなァ。偉そうに言うだけ言って、自分は逃げるんだからよ」  閉じられた襖に視線を投げ、久世が乾いた声で笑った。誰も、何も言わない。いや、言わない方が得策だと考えていた。久世に言い返したいことは山ほどあるが、徒労に終わるだけだ。それはみんな分かっている。海春も、両手を握りしめながら、言い返すのをこらえている。 「あ、あの……」  代わりに口を開いたのは五十嵐だった。全員が五十嵐に視線を向ける。彼は一瞬びくついたあと、俯いた。指先を絡ませ合いながら、もごもごと口を開く。 「村の人たちに、聞いたことはまだ、あるんです」 「聞いたこと? お前勝手に何か聞いたのかよ」  久世が五十嵐を睨みつける。 「あ、えっとその……」  ものすごい形相で睨まれて、五十嵐が視線を泳がせた。 「続けて」  促したのは、紫陽花だ。五十嵐は深呼吸を一つして、それからゆっくり話し始めた。 「ちょっと、話したんです。カタシロ様の封印が、解けたかもしれないって。住職さんにも、警察にも、連絡がつかなかったし………。ああでも、神田さんが亡くなったことは、話していません。箱を開けたことだけ……。そうしたら、『とにかく寺から出てはいけない』って」 「寺から?」 真人が聞き返すと、五十嵐が慌てたように首を振って、俯いた。 「詳しいことは、分かりませんけど……」 「そういや母さんがここに来る前『悪い子はカタシロ様に帰してもらえない』って言ってたな……」 ふと、母から送られてきていたメッセージを思い出した。ただの迷信だと思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。真人の言葉に反応したのは久世だ。 「やっぱりそうだ! カタシロ様からビビッて逃げようとしたら、悪い子ってことで殺されんだよ。寺から出るなってのも、カタシロ様に逃げたって思われないようにってことだろ」 「……そうなるのか?」  久世の言葉に、真人は首を傾げた。 「……一理あるかもしれない。父も、出かける前にみんなが寺から出ないよう見ていてくれって話していたし……」 「だとしたら、あんたとあんたは寺から出たことになるけど」  海春が久世と五十嵐を指差した。 「ウミハルちゃんきびし~! 元々戻るつもりだったからセーフなんじゃねえの? お出掛けしただけなんだからさ。『あ~周くんは逃げたわけじゃなくて出掛けただけなのね~』ってカタシロ様も思ったって」  ケラケラと久世が笑う。海春は、男性陣を無視しているわけにもいかなくなったようだ。 「それ、カタシロ様?」  気になって、つい尋ねてしまう。久世が笑う。 「人間に憧れてる日本人形って、こんな感じだろ」 「そうか?」 「ノリ悪すぎっしょ」  少し、空気が和んでいたところだった。 「っああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」  絶叫が、びりびりと響き渡る。今朝とは比べ物にならない、断末魔のような悲鳴。涼花の声だ。 「すずちゃん!?」  真っ先に海春が立ち上がる。紫陽花も、五十嵐も後に続き、襖が開いた。嫌な予感がする。  ぶわ、と熱気が入り込んできた。鼻腔を、血の臭いが掠める。手の内側は汗で湿っていて、耳元では心臓の喧しい音が鳴り響いている。落ち着け、と言い聞かせてみても、涼花の身に何かが起きたことは明らかだった。  浴室に浮かんでいた神田の頭が、腕が、見開かれた白目が、フラッシュバックする。  震えそうになる足で、どうにか立ち上がる。  まだ、涼花に夢を話していない。  約束を、果たせていない。  最悪の想像を拭い去り、真人も紫陽花たちに続いた。  向かった先はトイレだった。トイレは男女で分けられている。海春に睨まれ、真人たち男性陣は入り口で待機することになった。海春と紫陽花が、女子トイレに入っていく。 「風呂に続いてトイレねえ。カタシロ様も趣味わりぃな。覗き魔じゃねえか」  ケラケラと久世が笑う。真人が睨みつけると、久世は肩をすくめてみせた。相手にすることは不毛だ。真人は女子トイレを見つめ、両手を祈るように組む。夢を語り、生きたいと願っていた彼女だ。どうか無事であってほしい。そう願っていると、すぐに女子トイレの扉が開いた。紫陽花と海春が、青ざめた顔をしている。 「涼花は!?」  食い入るように尋ねると、二人が顔を見合わせた。そうして紫陽花が首を振る。 「いなかった」 「え?」  耳を疑った。確かに涼花はトイレに行くと言って出て行ったはずだ。彼女の断末魔はすぐ近くで聞こえていた。 「血痕だけ、床にあった。でも、白石さんの姿はどこにもなくて……」 「連れ去られたってこと?」 「分からないけど……」  そう言って、紫陽花が隣の扉に目をやった。男子トイレだ。 「見てきてくれない?」  真人は久世と五十嵐を見た。久世はヘラヘラ嗤っているが、五十嵐が頷きを返してくれる。 「分かった、見てきます」  がちゃ、と男子トイレの扉を開けた時だった。ぶわりと鉄臭さが漂った。 「おっとォ、ビンゴじゃ~ん」  背後で久世が指を鳴らす。扉を開けただけで分かった。誰かが倒れている。病的なまでに白い脚が投げ出されている。血の気が引いているようだ。 一歩近づく。 タイルの目地を、赤い血液が伝ってくる。 もう一歩、近付くと全貌が見えた。 それは確かに涼花だった。だが、涼花では無いような気がした。彼女は、小便器に突っ伏して倒れていた。頭部が無い状態で。服装や、細くて白い腕から、その身体が涼花だと分かるだけだった。 「……顔無しかよ」  久世が呟く。首から先が無いこと以外に、目立った外傷はないように見えた。だから余計、彼女に何が起きたのか分からない。 「ま、これでカタシロ様だってことは確定だなァ」  久世がへらりと笑って男子トイレから出ていく。追いかけるように、五十嵐もトイレから出て行く。入れ替わるように、紫陽花と海春が入ってきた。 「すず、ちゃん……?」 「……頭が無い……」  真人はゆっくりと、涼花の遺体に近付いた。血液の臭いが一層濃くなる。彼女が突っ伏している小便器には、粘ついた血だまりが出来ていて、金色の長い髪が数本浮かんでいた。 「……本当に、呪いなのか」  言い聞かせるように呟く。正直まだ、半信半疑だった。しかし、涼花が部屋から出て行ったとき、あの場には五人がいた。誰かが犯行に及んだとは、考えにくい。それに、頭部が持ち去られているのも気になる。  真人は涼花の遺体を見つめた。首が、おかしい。良く見ると、切断面から露出した背骨に、人形の頭部が刺さっていた。まるで涼花の首の代わりとでも言うように。血にまみれたミカちゃん人形が、にこりと笑っている。 「うわッ!」  思わず声を出して飛びのいた。  覗き込んできた海春も、声にならない声を上げている。 「これって……やっぱりミカちゃん人形だよね」 「うん。間違いないと思う」  海春が頷きを返してくれる。 「……納屋に運びましょう」 「あーちゃん、本当に何も知らないの?」  食い入るように、海春が叫んだ。大きな声に紫陽花は目を丸くして。それからかぶりを振った。 「……知らない」 「二人がこんな目に遭ってるのに? 身代わり人形って何なの? 身代わりって普通、助けてくれるものなんじゃないの?」  海春は我慢の限界のようだった。立て続けに二人の凄惨な遺体を見たばかりだ。それに、次は自分かもしれない。犯人は分からず、呪いだと言われる。そんな状態で、パニックになるなと言う方が難しい。それに海春は、まだ中学生。真人より三つほど年下の少女には、尚更堪えるだろう。それでも、今はきっと、パニックに陥ったら終わりだ。 「落ち着いて」  紫陽花もそう感じたのか、静かな声で海春を宥めた。しかし彼女の怒りは収まらない。 「落ち着けない! 殺されちゃってるんだよ!? 何から守ってくれるの!? 誰にとっての身代わりなの!?」  海春の疑問はもっともだ。この片白寺に来る際、真人たちは身代わりとなる人形を預けていた。だが、神田も涼花も、殺害されている。だとしたら、身代わり人形の身代わりは、誰の、何のための物なのだろう。 「神田さんもすずちゃんもカタシロ様に殺されたって言うなら、なんで身代わりに預けた人形を持ってたの? もしかしてあーちゃんって」 「……私も、何も分からない。本当に、どうしたらいいか分からなくて……」  紫陽花が俯く。海春ははっとしたように口を噤んで黙り込んだ。 「久世くんの言ってることが正しいのかも分からない。父は何も、教えてくれなかったから……」  何も分からず困惑しているのは、紫陽花も同じようだった。それは、海春も分かったらしい。  真人はひとつ咳ばらいをした。 「二人とも落ち着きましょう。それで、まずは涼花をここから出してあげよう。あいつ今頃『便器に突っ伏してるとか最悪』って思ってるよ」 「……そうだね」  真人の言葉に、海春がくすりと笑った。  遺体の引き上げは、神田の時よりはそこまで難しくなかった。紫陽花が用意したビニールシートの上に、真人と海春で涼花を抱き上げ、寝かせた。殺されたばかりだからか、首の切断面からは、まだじわりと血液が流れた。 「……これで、二人目か」  小さな声で呟いたつもりだったが、思っていたよりも大きな声になってしまったようだった。海春と紫陽花がこちらを見て、眉を下げた。 「……やっぱり呪いは本当なんだね」  海春が呟く。 「正直、神田さんのことは、誰かが殺したんじゃないかって思ってた。ちゃんと捜査したわけじゃないけど。みんなが寝てた時間だろうし、アリバイなんて無いって。でもすずちゃんは違うじゃん」  海春の言葉はその通りだ。だからこそ、この涼花の事件を鑑みると、呪い、と考えたほうがしっくり来てしまう。 「本当に呪いなの。あの桐箱はカタシロ様を封印している物だった。でも、開けられたことで封印は解けた」  紫陽花が落ち着いた口調で話す。 「じゃあもう一回封印する方法探せばいいんじゃない?」  だが、紫陽花は真人の言葉に首を振る。 「封印できるのは、父だけだと聞いてるから」  その返答に、真人も海春も黙り込んでしまった。  涼花の遺体は、無事納屋に保管した。神田の遺体の隣に、ブルーシートを並べてある。もう消灯の号令を掛け、座敷は仕切り襖で隔ててあったが、真人は身体を少し起こして聞き耳を立てていた。どうしても、紫陽花と海春が、言い合っていたことを思い出してしまったからだ。  二人はまだ起きているらしく、話し声が聞こえてくる。 「あーちゃんも何も知らないんだね」  海春がため息交じりにそう言った。 「自分でも驚いている。こんなに何も知らないんだって。ずっと暮らしてる家なのに」 「そういうもんだよきっと。全部を理解しようとするなんて無理。所詮他人なんだから」 「……うん。他人だもんね」  紫陽花が少しだけ笑ったような気配がした。 「……何も知らないって言ってたのに、あんな風に言っちゃってごめん」 「いいの。本郷さんの気持ち、分かるから」  二人の会話を聴きながら、真人は布団をかぶり直そうとした。すると、ぬっと誰かが覗き込んでくる気配がした。びくりと身体をすくませる。 「おっとマコっちゃん覗きは良くないんじゃねえの?」 「の、覗きって……」  振り返ると、寝ている真人の身体を挟み込むようにして久世が立っていた。なんだこのアングルはと思いながら睨みつける。それに、真人は二人を心配して、ただ会話を聞いていただけだった。覗きとは違う。 「あれ? 違った?」 分かっているのかいないのか、久世はケラケラ笑っている。いけ好かないと思いながらも、視線を逸らさず、睨みつける。 「全然違うよ」 「ふうん」  久世は鼻で返事をすると、真人の上から退き、座敷から出て行った。  夏とはいえ、深夜の廊下は裸足で歩くとひやりとする。久世はぺたぺた足音を鳴らしながら廊下を歩いていた。神田に続いて涼花まで、無残な姿で殺されていた。手にはまだ、神田の腕を掴んでいた感触が残っている。まるで置物のように固くて重く、ぶよぶよと膨れて塗るついている、あの気持ち悪い感触。そして、耳先に残る涼花の断末魔。 「まさかマジで呪いがあるとはねえ」  手のひらを見つめながら歩いていると、ふと視線を感じた。背後に誰かが立っている気がする。立ち止まる。 「あ? かーくん?」  かーくん、は五十嵐に付けたあだ名だ。いつものようにへらりと笑って振り返る。首元に、ぬるい空気がまとわりついて、鼻の奥から鉄の臭いがした。  暗い廊下に立っていたのは、女の子を模した人形だった。腹のあたりは切り裂かれ、白い綿がはみ出ている。 「ひッ」  喉の奥から空気が漏れて、悲鳴に似た声が出る。落ち着け、と自身に言い聞かせる。目の前にいる人形は、久世が片白寺に来た時預けたものだった。以前動画を配信していた時に、『ひとりかくれんぼ』で使用したものだ。使い終わった人形を、ついでに身代わりとして持ってきていた。人形を渡した時の住職の驚いた顔を思い出す。傑作だった、と思うと、少しずついつもの自分を取り戻せた。これは、ネタになる。怪異に遭遇した話は、再生回数も伸びるだろう。  息を吸って、吐き出す。 「もしかしてカタシロ様? 俺の人形操ってんの?」  声を掛ける。人形が一歩、久世に近付いてきた。 『アソボ』  女の子の声に聞こえた。可愛らしい声は、涼花に似ている。まさか、と思いながら、久世は目の前の人形から目をそらさない。 「あ、遊ぶって、何して?」 『アソボアソボアソボアソボアソボアソボアソボアソボもういいかいアソボアソボアソボ』  突然、耳元で、脳内で、女の子の喚くような声が繰り返された。ぞくり、と背筋が震える。『ひとりかくれんぼ』をした時の記憶が甦る。 その瞬間だった。 『アナタノ番ネ』 久世の目の前は真っ暗になった。  久世も部屋から出ていき、五十嵐の寝息が聞こえてくるばかりだ。襖を隔てた隣の座敷からも、会話は聞こえなくなっていた。もう紫陽花と海春も眠っているのだろう。真人も布団に入り直し、目を閉じた。久世はどこに行ったのだろう、と気にかかる。神田のことや涼花のことが、頭から離れない。一人にしなければ、防げたことだろうか。カタシロ様の呪いとやらを解く方法は、本当にあるのだろうか。久世はいけ好かない奴だが、だからといって怪異に呪い殺されても良い、とは思えない。様子を見に行こうかと布団から起き上がった時だった。 「きゃっ!」  隣の部屋から悲鳴が聞こえ、何かが暴れるような物音が聞こえてきた。 『どうかした!?』  たまらず声を掛けて、隔てていた襖を開ける。蛍光灯の明かりが点けられる。そこでは、久世が、紫陽花の髪を引き掴んでいた。 「あっち行け! あーちゃんを離せ!」  海春が、久世の身体を枕で叩く。かなり強い音が聞こえるが、久世はヘラヘラ嗤うだけだ。良く見ると、目の焦点が合っていないように見える。 『ひドいなァ。俺はたダ、カラダを返しテほしいんだよ』  時々上ずるような声で、久世が言う。どう見ても様子がおかしい。 「……体? まさか」 『良いからさァ。お嬢サマが持ってんだろ? おれの、からだ』  久世は、ぐい、と紫陽花の髪を引っ張って、彼女の身体を踏みつけた。 「やめて!」  紫陽花の悲鳴が聞こえる。 「何してんだお前!」  真人は久世にタックルをかました。久世の身体がよろめいて、床に倒れる。掴みかかると、久世が大きく目を見開いた。 「は……っ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」  真人を見て大声を上げた。久世は真人を押しのけると、這いつくばったまま廊下に出て行こうとする。 「おい! 落ち着けって」 「何があったか教えて」  紫陽花も落ち着きを取り戻し、久世に詰め寄る。だが久世はいつもの薄ら笑いも消え、怯えた顔をしている。 「お、おれ、おれ……」 「何があったんだ? 体って何のことだよ」 「体……?」  呆然と、久世が呟く。 「やっぱりアレ……久世くんじゃなかったんだ」  紫陽花がそう告げた時だった。 「もうこんなとこいられねえ! 俺は帰る!」  久世が突然立ち上がった。バタバタと廊下を走って行く。 「待てって!」  真人は廊下に顔を出し、久世に声を掛けた。だが、久世はさっさと靴を履いて、玄関の引き戸を開けている。 「うるせえ! てめえには関係ねえ!」 「関係ないわけないだろ」 「良いから俺は出ていくんだよ!」  そう捨て台詞を吐き、久世は何も持たずに平屋から出て行ってしまった。 「何だったの?」  海春も顔を出してくる。真人は薄く息を吐き出すと、廊下に出た。五十嵐も、心配そうにこちらを見ている。 「……追いかけてくる。五十嵐は、二人についてて」 「分かりました」  五十嵐の返事を聞き、真人も平屋から飛び出し、門に向かった。久世が出て行ったからか、閉めていたはずの門が大きく開かれている。真人は息を吐き出しながら、階段を降りて行く。  深夜だからか、外はやけに涼しい。蝉の声は相変わらず聞こえず、軽く風が吹いているくらいだ。  階段を降りると、辺りを見回した。外灯がぽつぽつと灯っているが、人影は見当たらない。出口まで続く一本道を、歩いていく。 「ったく、あいつどこ行ったんだよ……」  しかし、久世の姿はどこにも見えない。もう出て行ってしまったんだろうか。とはいえ、この村があるのは山の中だ。最寄駅からバスでそれなりの時間がかかる。村から出ても、歩いてどこかに行くのはほぼ不可能だろう。真人はスマホを取り出して時間を確かめた。もう零時を回っている。さすがにこの時間にバスが出ているとも思えない。久世はまだこの近くにいるはずだ。  スマホを仕舞って、また歩き出そうとした時だ。 「そこの若い人、こんな時間に何をしてるんだね」  ふと、背後から声を掛けられた。振り返る。村人らしき男が立っていた。同じセリフを真人も尋ねたくなったが、言葉を飲み込む。あまり時間を掛けたくない。 「……ちょっと人を探していて」 「人?」 「誰か見ませんでしたか? 寺から出て行ったはずなんですけど」  言いながら辺りを見回す。だがどこにも久世の姿はない。 「もしかして、兄ちゃん、寺から来たのか?」 「はい。片白寺から……」  素直に答えると、男はみるみる顔を顰めさせていく。そうして般若さながらの形相で真人を睨みつけてきた。 「早く帰れ!」  男が突然叫んだ。大声に合わせるように、近くの民家が次々と開き、村人たちが何事かと顔を出してきた。 「良いから寺に戻れ!」 「出るなと言ってあっただろう!」  口々に攻めたてられ、わけが分からなくなる。男に滲みよられ、真人は後ずさりする。 「ま、待ってください! 俺は、出て行った奴を連れ戻そうと思って……」 「おい! これを見ろ!」  遠くから呼び掛けられる。村人たちも黙り込む。ずるずると何かを引きずりながら、村人の一人が近付いてきた。引きずられているのは、人間だ。良く見るとそれは、久世だった。意識はあるようだが、ひどく暴行を受けたらしく、顔じゅうが痣になり、腫れている。  久世を引きずっていた村人は、こちらに近付いてくると、目の前に久世を放った。 「がッ」  うめき声を上げ、久世が咳き込む。真人は彼に駆け寄り、しゃがみ込んだ。まだ意識はあるらしいが、息をするのがやっとのようだ。時折咳き込んでいる。 「だ、大丈夫か!? 一体何が……」 いけ好かない人物ではあるが、暴行を加えられるようなことをしたのだろうか。そう考えながら、久世を引きずってきた村人を見上げる。 「こいつ、村から出ようとしたんだ」 「兄ちゃんが探してた奴ってこいつか?」  男が、今にもつかみかからんとする形相で真人を睨みつけてくる。 「そ、そうです……」  痛めつけられたらしい久世の様子を見た後では、村人たちに無暗に逆らう気が起きない。何をされるか分かったものではない。 「じゃあちゃんと連れて帰れ」  村人たちはそれ以上真人たちに危害を加える様子はない。ただ、ずっと般若の様相で見下ろしてくる。 「……そんで、祭りが終わるまで出てくんな。お前らはカタシロ様の贄なんだからな」 「……はい」  訳が分からなかったが、それでも真人は素直に従うことにした。今は一刻も早く久世を助けなければならない。  真人は久世を抱き起し、肩に腕を回させて背負った。村人たちの視線が背中に刺さる。それでも真人は気にしないふりをして寺への道を戻った。  背中からは、久世の荒い息遣いが聞こえてくる。真人は久世を抱え直して、平屋の引き戸を開けた。玄関先に、紫陽花が立っていた。 「良かった、戻って来れて」  紫陽花は真人を見ると安心した表情を浮かべた。そうして、背中に担いでいる久世に目を止めたようだ。 「すぐに手当てを!」  座敷から海春と五十嵐も顔を出してくる。すぐに紫陽花と海春が布団を整えて、五十嵐に手伝ってもらいながら久世を布団まで運んだ。  寝かせると、久世は少しずつ呼吸が落ち着いてきたようだった。 「何があったの?」  海春に尋ねられ、真人は言い淀んだ。正直、まだ何が起きたのかよく分からない。だが――。 「久世を追いかけてたら村の人たちに会った。その人たちは俺が寺から来たと知ったら態度を変えて、早く寺に帰れって言い出したんだ。そこに、もう一人の村人が久世を引きずりながらやってきたんだ。その時にはもう久世はこの状態で、早く連れて寺に戻れって言われたんだ」 「……村の人がしたってこと?」 「実際に見てないから分からない。でも、状況的にそうじゃないかな」 「……むらの、でぐちまで、いったんだ」  久世が口を開いた。 「大丈夫なのか?」 「……にげないと、やられるって、おもって。あとすこしで、でられるとおもった。ほこらのとこまで、いったんだ。そしたらうしろから、あたまをなぐられて、ぶったおれた。かたしろさま、じゃなくて、むらのやつだった」 時折咳き込みながらも、掠れた声で続ける。 「ずっと、ずっと『かえるな』っていわれて、それで、」  ごほごほ、と久世が大きく咳き込んだ。 「どうして、村の人たちは、寺から出るなと、言うんでしょうか」  五十嵐が消え入りそうな声で呟く。  真人も俯いた。村人たちから言われたことを思い出す。 「俺たちは、カタシロ様の贄らしい」
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