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半身になって地面に伏したリリィの背中上部にはコートごと切り裂かれた大きな傷があった。それを庇うように浅い呼吸を繰り返す。
不可視の怪物が勢いを増しながら近づいてきている様子を、乱れた髪の隙間から覗く。その目の焦点は合っていない。
(ごめんね、ギブソン……君を一人にしてしまう……)
リリィは眉間を寄せ、固く目をつぶる。自分の命を諦めざるを得ない状況だとしても、それでも訪れる「死」が恐ろしくて、彼女は身を強張らせた。溜まった涙は流れ落ち、速る心臓のせいで余計に背中の傷が痛む。
怪物が近づくたび、落雷のような轟音が強くなる。
視界いっぱいに怪物が映り、今にも彼女を切り裂かんとしたその時。
『―—ディナトフォティア!』
不可視の怪物の上方に火魔法が放たれた。空高くで爆発したそれは月明かりよりも強く、森全体を照らす。
不可視の怪物はそれに怯んだのか、リリィとの距離を縮めない。
薄っすらと目を開けたリリィの視界に、ここに居ないはずの彼が映った。
「お前、その傷……!何が大丈夫だよ、噓つきやがったな!」
ジョージは慌てて自分の服を破り、リリィの傷口を抑えた。
思いの外傷が深い。下手に動かすと傷が開く可能性もあるが、怪物の目の前で悠長に止血などできない。ジョージは処置をそこそこに、リリィを背負いその場からなるべく離れようと懸命に足を動かした。
「……っ!なんで……」
リリィは痛みに耐えながらも、聞こえるか聞こえないかくらいの声を絞り出す。
「助けなんてわざわざ呼びに行かなくても、これだけ派手に暴れてれば誰かしら来るだろ、てか来ねぇと困る!!」
「……そ、……」
何か口を開きかけたが疲労が勝ったらしく、彼女は目を閉じる。ダランと全身の力が抜けた。
「!!おい、リリィ!しっかりしろ!」
気絶しただけのようだったが、先ほど会った時より青白い顔をしている。周辺の木々が割れる音も段々と近づいてきた。
ジョージは再び空高くへ魔法を打ち上げるも、先ほどのように止まることはなく、むしろ勢いを増して近づいてきているようだった。
「クソッ……!」
(防御、はまだ習ってない……!一番火力が出るのは火魔法だけどアイツに直接撃つと火事になっちまう!とはいえこいつを背負って逃げるのは……!)
全身に汗が滲んだことで、手元にあったものを落としてしまう。
それはリリィから預かったものだった。彼女を背負ったことで、手元にうまく力が入らなかったのもあるだろう。
夜空に浮かぶ星々を閉じ込めたようなその林檎は、彼の足元にコツンとぶつかった。
―――今から自分がすることが、どれほどのことなのか、彼にはわからない。しかし安易にしてはいけない選択を、彼は今、決断した。
現状を打開できるのは、これだけだからだ。
たとえ今後、どれほど後悔することになったとしても。
それでも。
「……やるしかねぇ!!!」
ジョージは林檎を手に取り、思いきり齧り付いた。
「……ッ!!?」
果汁が舌に触れた途端、体の内側から得体の知れないものが湧き出るような感覚が彼を支配する。
脈がどんどん早く、強くなり、身体もガタガタと震え始める。興奮状態に似た感覚だ。
だが、次第に内臓を握りしめられるような激痛が襲い掛かってきた。ジョージは耐えられず、その場でドロッとした血の塊を吐き出す。
「グァッ……ウゥ゙ッ……オェッ!!!」
生涯感じた事のない激痛による生理的な涙と頭痛による鼻血で顔を汚した。
並行感覚がおかしくなり、体もグラグラと、大きく揺れている。
耳鳴りに紛れてブツッと鈍い音がしたと同時に、彼は意識を失った。
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