3 赤い部屋と黒い女

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3 赤い部屋と黒い女

 どうでしょうか、と、少し控えめに視線を落とした私を見つめて五秒しっかり唸った後、栖さんは珍しくにやにやでもへにゃへにゃでもない、比較的爽やかな笑顔を見せた。 「わお。いいじゃん、いいじゃないの、スカート。似合うねぇ、ぼくは好きだな。若い子のファッションはわっかんないけど、こまどちゃんが長いスカートも似合う美人だってことはわかる」  うん。褒めていただいて嬉しくないことはないのだが、なんだか親戚のおじさんのようなコメントだな……と思ってしまってつい苦笑が零れてしまう。  ……私にはもう、親戚のおじさんはいないのだけれど。家族の縁が普通に続いていたら、正月に晴れ着を見せて褒められるような、そんな当たり前の生活が存在したなら、きっとこんなむず痒いような気持ちになったのだろう。  ししえりさんの家に引っ越してから、二日目の夜。  栖さんがさっさとねぐらにしてしまった一階の和室で、私は今日買ってきたものの確認をしていただいている最中、目ざとい彼に『このスカートはどしたの?』と指摘されてしまった。……私の買い物はほとんどが栖さんの生活用品だから、すべてチェックして領収書の保管が必要かどうか、また支払い金額はいくらになったのか、必ず見てもらうことにしている。栖さんは大変面倒くさがるが、お金の管理は大事だ。  うっすらと寒い和室には、テレビもパソコンもない。相変わらずネット環境だけはさっさと整えた栖さんは、暇つぶしとばかりに適当なホラーユーチューブ番組を流しながらにこにこ笑う。  BGMの悲鳴が台無しだ。そもそもここは心霊スポット的なおうちなのに、そんな物騒な動画を流していてもいいのだろうか。 「ちょっと色は地味だけどねぇ。さゆりんちゃんならもうちょい派手な赤とか緑とか選びそうなもんだけど」 「はぁ。確かにせんぱいは絶対に似合うから、と、すごい黄色のスカートをぐいぐいと押し付けてきました。初心者にはハードルの高い色です」 「そう? ぼかぁ流行なんか知らんけどさ、古めかしい服よりもいっそみんなが着ている派手な服着てた方が、目立たないし世間に溶け込めるとおもうけどねぇ。年中部屋着のぼくに言われたかないだろうけど、わはは」 「……栖さんは、お洋服、持たないんですか?」 「んー? うーん。一応外出れるようにジーンズとパーカーは持ってるけどね。こまどちゃんかっさらいに行った時の服ね? でもなぁ、ぼくは基本的に家から出ないからなぁ……そこらへんのコンビニだってほとんど行かないんだから、服なんか買ってもしゃーないでしょうよ」 「そう言われると、まぁ、はい。確かに必要ない、と言えば、その通りなんでしょうが……」 「それにね、何着たってぼくなんか一緒だよ、一緒。女子も男子もばあさんだっておめかしして好きな服きて格好よく歩いたらいいけどさ、ぼくはこと自分の見た目に関してはわりとどうでもいいんだよ。どうせもやしだしねぇ」  もやしというか、ぼさぼさの稲穂のようなイメージなのだけれど。  私は外出用の服を着てちゃんと靴を履いた栖さんも、他人のスーツを借りた栖さんも拝見したことがあるけれど、どちらも普通に恰好いいのでは? と思う。栖さんはどうやら――紗由ちゃんに言わせると私もそうなのだと言うのだけれど――自己の外見に関する評価が若干低い。 「栖さんには、お休みはないんですか?」  畳の上に広げた荷物を片付けながら、私は少しだけ彼の仕事に踏み込む。うーん、と唸り、栖さんは顎を撫でる。 「お休み……お休みねぇ。そういやそんなもの意識したこともなかったなぁ。ぼくなんて毎日ニートみたいな生活してるしさ」 「出かけたいところ、とか……」 「ないねぇ、ない。ふはは、まったくもって思い浮かばない! こまどちゃんはもうわかってると思うけど、ぼくには趣味とかそういうもんもないからね。そんで家族もない。名前すら思い出せないぼくにそんなものいるわけもない」 「それは……いた、けど、今はもう忘れてしまった、ということ?」 「いや、いないよ。いない。思い出せないのは名前だけで、ぼくの人生はきちんと体験として存在している。だからぼくはぼくが孤児だったことを知っているし、比較的ひもじくもたくましく一人で生きてきたことを知っている。昔からねぇ、ぜんぜん、こう、人間とかかわりがないんだよねぇぼくって奴は。だから親戚の集まりもない、顔を出さなきゃいけない冠婚葬祭もないし、飲み会なんかも呼ばれない。呼ぶ人間がいない。そう、つまり家から出る必要がない! 微塵も!」 「はぁ。あの、別に、外に出たくない、というわけじゃないんですよね……?」 「そういうわけじゃないよ。なんとなく家にいなきゃいけない生活が続いてるから、外に出ること自体に罪悪感がなくもないけどねー。みっちゃんたちがね、ちょっとでも離れると怒るのだものー」 「でも、たまには休んでもいいと思います」 「うん?」  早くも敷きっぱなしになっている布団の上で、栖さんが首をかしげる。きょとん、とした表情を浮かべている時のこのひとは、眉を落としている時の次くらいに人間くさい。 「穢土調整課は栖さんに仕事をさせすぎですよ。たぶん、シノミツさんが悪いんじゃないんでしょうけど。いくら『住んでいるだけでいい』とはいえ、働きっぱなしはおかしいです。だから、お休みをいただきましょう」 「うん。うーん……? いや、休んでもいいんだけど、別に何かしたいことがあるわけでも……」 「ないんですか? この前旅行番組垂れ流していた時に、紅葉いいねぇって言ってませんでした?」 「はぁ。言ったっけね、そんな老人臭いこと……言ったかもしんないな。紅葉ねぇ……まあ、言われてみりゃ観光地って行ったことないし、若干くらいは興味がないことも、」 「行きましょう」 「……今日のこまどちゃんはぐいぐい来るねぇ。どうしちゃったの」 「別に、普通です。でも今日宇多川さん――紗由ちゃんと、話してて、明日死ぬかもしれないしたくさん思い出作っておこうかな、と改めて思って」 「いやいやいや考え方が刹那的だよ。ぼくより悪い。ぼくもまあいつか死ぬでしょとは思ってるけど明日は嫌だし、明日はないと思ってるよ! なんでそんな殺伐とした世界で生きてんのこまどちゃん!」 「栖さんの周り、結構命の危機を感じることが多いので」 「うわ……ぼくのせいだった……」  ヒエ、なんて声を出して眉を落とす。私は栖さんのその困ったなぁひどいなぁどうしようかなぁ、という顔が好きなので、ふふふと笑って今日は許してあげることにした。
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