4 扉の向こう

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4 扉の向こう

 閉ざされた室内は少しだけ窮屈で、呼吸が詰まらない程度にうっすらと騒がしい。  どこかから漏れ出る調子はずれな歌をかき消すように、机の上に置かれたスマホから、電子音を混ぜ込んだ声が響く。通話相手の名前は『荊禍栖』だ。 『――てわけでぇ、もうね、わはは、全然ダメ! これっぽっちも順調じゃない! まったくもって不調オブ不調! いやぁ、ぼくは別に元気だけどね、この家の奴らとぼくは、どうやら非常に相性が悪いらしい!』 「と、申しますと?」  厳かな声でスマホに向かって先を促すのは、今日もスーツのシノミツさんだ。  ししえりさんの家に引っ越してから五日目。  私は『中間報告』と称して、シノミツさんとミーティングをすることになった。家から出れない栖さんと、家に入れないシノミツさんの事情を考慮した結果、私とシノミツさんがカラオケルームで栖さんと電話対談する形式に落ち着いた。  私はシノミツさんから書類を受け取り、栖さんの多いようで足りない言葉を補足する係として、カラオケに赴いた。  シノミツさんは引っ越しを手伝ってくださったので、ししえりさんの家に入ってもOKなのでは……と思っていたのだが、どうやら基本穢饌の棲み処には近づかない方針らしい。  カラオケの音をミュートにした静かな部屋に、栖さんのダルそうな声が反響する。 『そのままの意味だよ。相性が悪い。とにかく悪い。ぼくは基本的にちょっかい出してくるヤツをがばーっと喰っちまうスタイルだ。それも幽霊って奴が一番活発になるらしい丑三つ時限定。まあ、大体の奴は大人しく喰われてくれる。けどね、ししえりさんの家はダメだよ、ダメ、なんて言ってもここの奴ら、夜はやたらと静かなんだ』 「……昼に霊が出る、ということでしょうか」  ふと視線を投げられて、私は少し姿勢を正す。 「はい。あの……昼間はとても煩いんです。うるさいというか、存在感がすごいというか……でも、夜が近づくにつれてだんだんと静かになって、深夜零時を過ぎるとぴたりと何も起きなくなります」 『そうそう。ぴたり、まさにその通り、ぴたりと静かになっちまう。散々家の中を歩き回る黒い奴も、やたら隙間から覗いてくる男も、浴室でだらだら笑ってる女も、みんないなくなっちまうんだ。そうなるともうダメだ、なんてったってぼくの除霊方法は「襲ってきた奴を返り討ちにする」タイプだからね』 「はぁ、なるほど。向こうが手を出してこない、というわけですね……うーんそれは確かに困りましたね……」 『これさぁ、ぼくじゃない方がいいんじゃないの? もっとこう、積極的に破ーッ! ってな感じにどうこうできる能動的な女霊媒師みたいなのに頼みなよ』 「できることならば、私もそうしたい、と思っていますよ」 『……ああ、待って、いやだな。みっちゃんの歯切れが悪いときは大体聞かなきゃよかったなぁって話をされる時だぞ。こまどちゃん耳塞いどけー』 「お二人の身の安全の為にも聞いていただきますよ。荊禍さんと古嵜さんを解放して差し上げたいのはやまやまですが、それは叶いません。今から代理を探していては、提示された一か月以内、という期限に間に合いません。それに、この案件ではすでに」 『うっへ、穏やかじゃないなぁ。なにそれ、同業二人ダメになってるってこと?』 「仰る通りです」 『ちょっとーみっちゃん事故物件じゃないっつってたじゃんかよー』 「申し訳ありません。前の担当者から引継ぎが上手く行っていない、と申しましたが、実のところ前任者は引継ぎどころか連絡が取れない状態なのです。それで、個人的にどうにか資料をかき集め、以前にししえりの家を担当した穢饌の犠牲を知ることになりました」 『いやいや……実質三人ダメになっちゃってるじゃないの……。なんだよ、みっちゃんも運命共同体案件なの?』 「わかりません。ただ、ウチの前任者も、過去の二人の穢饌も、すべて女性です。そして彼女たちはみな、執拗に同じ証言を繰り返していた様子です。いわく――」  異常な視線を感じる。  ……ししえりさんの家を浄化しようとして失敗した霊能者たちは、みな、そう言ってひどく怯えた、という記録が残っているそうだ。 「その……他の方々が、視線を感じていた方向や場所なんかは、記録として残っていませんか」  私がおずおずと質問すると、シノミツさんはいつもの白い紙が張り付いた顔を少しだけ横に振る。 「残念ながら、詳細な記録はありません。この記録も、前任者の手帳に殴り書きしてあったものでして、本来あるべき報告書はすべて破棄されておりました。私共の仕事は世間には隠されておりますが、一応公の機関が運営しておりますので書類等の保管期限は厳密に設けられております。ですから、本来は記録が残っていない、ということ自体があり得ないのです」 『ははぁ、残しておくとまずいことがあったってわけだ。政治的な何かなのか、霊障的な何かなのか。それはぼくにはわからんけど、大事なのは手がかりがほぼ無いってことだ。ししえりさんの家、でざっと検索をかけてもほとんどヒットしない。出てくるのは近所の学生のSNSの発言程度だね。頼みの綱のみっちゃんがお手上げとあっちゃ、ぼくたちはノーヒントからの手探り状態だ』 「一応、失踪した前任者の足取りを追ってはいます。あとはそうですね、過去の事件や新聞などを遡っていますが、いかんせん時間と人手が足りません」 『しっかたねーなぁ、こまどちゃんもご協力してあげてよ』  唐突に出た私の名前に、びっくりして変な声が出そうになる。 「え。……いいんですか、私が穢土調整課のバイトしちゃっても……」 『気分は悪いけど仕方ない。ぼくが困るだけならまだしも、ぶっちゃけこまどちゃんが一番ヤバい状態だ。このまま放置して、結局除霊できなかった場合どうなるのか、考えるのだって嫌だよ』  確かに。謎の視線を感じているのは栖さんではなく、私だ。以前の穢饌と穢土調整課の担当者が『ししえりの家で視線を感じた』ことを発端にもし死んでいるとしたら、私の命がダイレクトに危ない、という結論になってしまう。
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