4 扉の向こう

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 どう考えても、無音のカラオケルームでフリードリンクを啜っている場合ではない。でも私はなんだか実感が薄く、はぁ、などと気の抜けた合いの手を入れてしまう。 『……やる気のない返事だねぇ、こまどちゃん。きみは相変わらず自我というか、生きるための気力がぼくより薄くてよくないなぁ』 「自覚はあります。……死ぬものだ、と思って生きてきたので、死に損ねた今はボーナスステージのような気持ちなんです」 『最悪じゃないか。さっさと生きる目標をしっかり持ってもらわないと、危なっかしくてよろしくないよ。まあ、今のところ死にそうになっちまったら、ぼくやみっちゃんやさゆりんちゃんが号泣するから死にたくない! って思うことにしなさい』 「……栖さん、号泣してくれるんですか?」 「わからん。ぼくもきみと同じく自分の感情に関しては自信がないんだ。でも、ああ、うん、泣くんじゃないかな、と思うよ」  だから死なないように頑張ろう。  そう言われた私は、静かに『はい』と答えた後にいろんな感情が混じった息をゆっくりと吐きだした。 『それに、この家はやっぱりこまどちゃんにはよろしくないね。最近やたらとぼーっとしてるし、なるべく外に出ていた方がいい。近場に図書館があったんじゃない? あそこで資料漁りしてみるのはどう? 残念ながらぼくは同行できないけども』 「妙案ですね。この街の図書館は、民営の古いものだった筈です。もしかしたら、我々の資料にはないものがあるかもしれません」  栖さんの提案に、シノミツさんも手を打って賛同する。  私はどうせ食料の買い出しに出かけるので、外に出ることに対して億劫な気持ちはない。それに、なにかお手伝いできることがあるのはありがたいことだ。  私には学歴がない。知識と経験も豊富とは言い難く、できることと言えば家事全般と雑用と、幽霊をしっかり目視することくらいだから。 『とにかく今は、情報が必要だ。二時の食事が通用しないなら、どうにか対策をひねり出すしかない。■■を引っ張り出してもいいけど、それは最終手段――』 「許可いたしません」 『――だから、ってちゃんと言おうとしたんだよ。みっちゃんは過保護だなぁほんとに。ちょっとぼくの寿命が削れちゃうだけじゃないの』  あ。やっぱり、二時以外に引き摺りだすと、栖さんが死に近づくんだ。  そんな大事なことをこんなところでさらりと聞かされたくなかったけれど、でも、何も知らないよりはマシなので、私はぎゅっと手を握って感情を飲み込む。  ししえりの家の幽霊は、深夜は出てこない。  深夜二時に食事をする■■は、ししえりの家の幽霊を喰うことができない。  昼間に■■を引きずりだすと、栖さんの身体に負担がかかる。  だったら、やはり、ししえりの家の幽霊を夜中に引っ張り出すしかない。  やたらと歩き回る黒い女、時々覗く男、浴室あたりをふらふらしている老婆。彼らは何者なのか。そして私が常に感じている気味の悪い刺さるような視線は、何か。……隣の横山家とは、関係があるのか、ないのか。  このあたりのことをまずは調べる。そう結論付け、私たちのミーティングはサクッと終わった。  通話を切った後、シノミツさんは図書館の位置を確認して地図を送ってくれた。うすうす気が付いていたけれど、この人はたぶん、とても仕事が早い人だ。 「図書館の方には私の方から連絡しておきましょう。過去の新聞など、必要そうなものを用意しておいていただきます。本来ならば、送り迎えはどうぞお任せください、と言いたいところですが……」 「あ、大丈夫です。帰りにスーパーにも寄りますし、歩くのは嫌いじゃないですから」 「大変お手数をおかけします。……どうもこの度は、古嵜さんを本格的に巻き込んでしまったようで、いくら頭を下げても足りません」 「え、いや、そんな……ええと、大丈夫かどうかはわかんないですけど、でもとりあえず栖さんもいますし……」 「視線は、今も感じますか?」 「………………」  私は少し、考える。そして視線を横にずらした後に、思い切ってシノミツさんに打ちあけることにした。せんぱいは思い悩むの禁止です、と言った後輩女子の声が、私に少しだけ勇気をくれる。 「……視線は、感じます。でも、いつもの隣の家から感じるものかどうかは、ちょっと、わかりません。あのー……実はさっきから、カラオケルームの部屋のドアの前に、誰かが立ってて、こっちを、覗いてて――」 「……なるほど?」  すっと立ったシノミツさんが、流れるようなスマートさで扉を開けて、さらりと閉めてまた戻ってくる。  その間も扉の向こうに立つ――男性、だと思うけれど、顔がぐちゃぐちゃでよくわからないし、小刻みに震えていて直視していたくない――人影は、消えることなくずっとそこにいた。 「ふむ。さっぱりわかりません。ウチの署内ではまあまあ霊感がある方、という立ち位置なのですが、やはり荊禍さんや古嵜さんにはかないませんね。まだ、いますか?」 「あ、はい、普通にいます。完全にこちらを見ています」 「扉の前の方がししえりの家の視線の主の可能性は?」 「……どう、かな。わかりません。そうかもしれないし、違うかもしれないし……でも、ここにくるまでに、あんな人は見かけなかった気がします。あと、横山さんの家の部屋でたまに見かける男性は、もっと……ふくよかだったような……」 「それでは関係のない通りすがりか地縛霊でしょうかねぇ。私は霊感も怪しければ、霊の分類などもとんとわかりませんが。しかし、カラオケボックスの怪談は多い気もします」  言われてみれば、確かにそうかも。
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