4 扉の向こう

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 病院とお墓は仕方がないとして、他に怪談が多いものがスタジオやホテル、そしてカラオケボックス、というイメージがある。居酒屋やカラオケのビデオに霊が……といったホラー映像がたくさんあるからだろうか?  そういえばシノミツさんは、『人が多い場所は霊も多い』と言っていたきがする。カラオケも居酒屋も、人が集まる場所だからだろうか。 「さて、どうしましょうかね。私は見えも聞こえもしないので知らぬ気持ちで突っ切ることは可能ですが、古嵜さんには無理をさせたくない。とりあえず何か食べ物でも頼んで、店員が入ってくるところを拝見しましょうか。誰かが来れば消えるかもしれませんし。古嵜さん、お昼は食べましたか?」 「え、まだ、ですが」 「ならばちょうどいい。私も昼食を摂ってから戻ることにします。経費で落としますので、どうぞ好きなものを頼んでください」 「ありがとうございま――」  す、と言うタイミングで、扉の向こうのぐちゃぐちゃしながらびくびくしているモノが、ガクン、と一度崩れ落ちる。びっくりしすぎて『ヒッ』と小さく叫んでしまった私を一瞥し、シノミツさんは苦笑した様子だった。 「……見える、という能力は、とても迷惑なものでしょうね。これは実証したわけではない持論なのですが、ホラーには陽気なものが効く、と考えております」 「陽気な、もの、ですか?」 「まあ要するに楽しい話をしてはいかがでしょうか、ということですね。怖いものを怖い怖いと眺めているよりは、笑っていた方が楽ではないかと思うので。古嵜さん、何か楽しい思い出はありませんか? それか、楽しみにしている予定とか」 「たのしい……よてい……」  ない。そんなものは微塵も――と言いかけて、私はふと先日の夜の会話を思い出した。  旅行に行きましょう。私は、栖さんに珍しくぐいぐいと迫った。  栖さんが本気にしているかはわからないが、私は結構本気でお休みをいただくつもりでいて、そして実は、早くも少しどころか結構楽しみにしているのだ。 「りょ、旅行に……」 「おや。いいですね、青春の匂いがします。宇多川さんと女子旅でしょうか?」 「いえ、あの、栖さんと、どこかに行きたいというか、栖さんを、連れていきたい、というか……」 「ああ、まあ、その気持ちは正直、わからなくもないですが。あの引きこもりを外に引き摺り出すのは至難の業でしょう。ちなみに、どこか行きたいところでも?」 「……笹かまぼこ、食べてもらいたいんです」 「荊禍さんに? 笹かまぼこを、ですか?」  なんで。と、見えなくても紙の下の顔がクエッションマークを浮かべていることがわかる。私は入口のドアから目を離し、手元のメニュー表を見ながら笹かまぼこの話をする。 「栖さん、笹かまぼこ、嫌いなんです」 「ほう。それは初耳です。あの人に好き嫌いがあることすら、私は初耳ですが……」 「うん、はい、わかります。なんだかイメージがないですよね。なんでも普通においしいよって食べちゃう感じなんですよね。確かにたいがいのものはおいしいよって食べちゃうんですけど、なんでか笹かまぼこだけはダメなんですって。でも栖さん、はんぺん好きなんですよ」 「…………材料、同じではないですか……?」 「そう。そうなんです。お魚のすり身なんです。そのうえ普通のかまぼこは食べるんです。もうそんなの、納得いかないじゃないですか。きっとどこかで異常に生臭い笹かまぼこを食べちゃったんですよ。まずい個体を食べて以来もう食べたくない! って思っちゃうこと、ありますよね?」 「ありますねぇ。とてもわかります。なるほどそれで、古嵜さんは荊禍さんに本場の笹かまぼこを食べていただく旅に出たい、と」 「仰る通りです。……あの、やっぱり変でしょうか。笹かまぼこが、動機の旅行なんて」 「いえ、まったく。旅行なんてものは、思い立ったら電車に乗るくらいの気持ちで良いんですよ。あれこれと大げさに計画するのも旅行、何も考えずにふらりと旅立つのも旅行の素晴らしいところです」 「……それで、あのー……シノミツさんは、連休とかは、取れるんでしょうか……?」 「私ですか? まあ、お休みは普通にいただける環境ですが。……まさか、ご一緒してもよろしいので?」 「お暇でしたら、ぜひ、と思っています。それに、どうせ栖さん、写真送りまくると思うから……」 「ああ。孫を得た老人のように鬼のように写真を送ってきますねぇそういえば。なるほど、確かにあの画期的な方向音痴人間を抱えて旅をするのは大変でしょう。荊禍さんのお休みも含め、検討してみます」 「ありがとうございます……!」  うれしい。こんな風にシンプルにうれしい、なんて思えたのは、いつ振りだろう。紗由ちゃんにも声をかけたら、一緒に来てくれるだろうか。紗由ちゃんはなぜかシノミツさんにとても塩対応だったから、嫌がるだろうか。でも、声をかけるくらいなら……。  私が明るい予定に思いをはせている間も、びくびくと震える肉の塊のような人間は扉の向こうに立っていたけれど、確かに、怖いと感じる余裕はあまりなかった。  楽しい話はホラーを撃退はしない。でも、ほんの少し薄めることができるのかもしれない。私は今日、そのことを知った。
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