7 笑う家

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「つーかこの真ん中のおばちゃん、あれじゃんよ、浴室でにらにらしてるババアじゃん。この目力つえーおにーちゃんはよく覗いてる奴だろ? 白い服のおねーちゃんはちょっとわからんね。でもこの、黒いスカートの背の高い女は、いつも家の中を逃げるみたいにぐるぐる回ってる黒い女だ」  間違いない。栖さんは断言し、私も頷く。 「……ということは、この方々はこのあと、お亡くなりになった……ということ、ですかね」 「あー。ネットが絶たれてんのがクッソだるいなぁ、ちくしょう。でも、ほほえみハウスなんてぬっるい名前じゃ、どうでもいい情報ばっかしか引っかからないだろうな。ありきたりな言葉すぎる。……あー、つまりここは、民間の素人カウンセリングハウスだったってわけか」  ほほえみハウスの記事から察するに、栖さんの評価はおそらく的を得ているのだろう、と思う。  現代人には優しさが足りない。頑張りすぎている。疲れた心を癒すには、微笑みの助け合いが必要です。私たちは、地域の皆さんの笑顔を守るために週末、お茶会を開いています。すべて無料ですので、どうぞお気兼ねなくほほえみハウスの戸を叩いてください。  そんな文言が並ぶ記事は若干どころか、かなり怪しい。そう思うのはカルト宗教やマルチ商法には気を付けてくださいね! とことあるごとに私に力説する、紗由ちゃんのせいかもしれない。  今だから私たちは、こういう団体に『怪しいな』と思える。怪しい、と思える情報があるし、経験談は少し探せばネット上にいくらでも転がっている。  調べようと思えばすぐにわかる。そういう世界で生きているから。  でも、当時はどうだったんだろう。いきいきなだまち広報の発行日は、今から二十年前の日付だ。二十年前というと、平成の初期だろうか?  携帯電話はあったんだろうか? ネットはあっただろうけど、気軽に使えるような料金だったんだろうか? ユーチューブは? ヤフーのニュースは?  ……そんな情報が枯渇している世界で、ほほえみハウスは弱った人間に手を伸ばしていたのではないか。  だってこの記事はどう見ても、洗脳系のカルト宗教だ。 「んー……本気のボランティア、って線もあるっちゃあるけど、だいたいタダってやつはタダにする理由があるからねぇ。疲れた社会人の憩いの場です~みたいな顔して人集めて、どうせ高いもんでも買わせてたんだろうよ。そうじゃないとしても、鬱っぽいメンタルボロボロな人間を寄せ集めたって、普通はどうにもならんだろう。そういう人間集めて喜んでんのは、やっぱヤバい奴らだけだからね」 「でも、特定の宗教の名前は出ていませんけど……」 「言わんでしょうよ。実はあの会社の株主はあの宗教で~なんて話はごまんとある。それに、でっかい組織じゃなくたって、たとえばこのおばちゃんが一人で目覚めちゃって『今日からほほえみハウスで人を救います~~~!』なんつって演説しちゃったとして、それはぼくなんかから見たら、ちょっとした宗教にしか見えない。餅は餅屋、メンタル壊れた人間はメンタルクリニックに行くのが一番だからね」 「…………この、ほほえみハウスの中で、この人たちは死んだ? 殺された?」 「どうだろうね。事故、自殺、他殺、自然死、病死。人間の死因ってやつは結構多彩だ。仕方ないな、みっちゃんの資料漁るかぁ……ほかにやることないもんなぁ……」  でも、その前に。  そう言って、栖さんは少しだるそうに『よいしょ』と立ち上がる。  どこに行くのだろう。何をするのだろう。除霊の準備だろうか……そう身構える私をさておき、机の上に並んでいたマグカップにお湯を注いでぐるぐると回し、よし、と呟いて私の方に差し出した。 「…………なんですか、これ」 「なにってみりゃわかるだろう、蜂蜜レモン湯だよ。ちょ、こまどちゃん、いまひでー顔してますよ? 何これ人の食べ物? みたいな顔! よろしくない! ぼくに対して大変失礼だよ!」 「え。栖さんが、作ってくださったんですか? 蜂蜜レモン湯のもとをお湯でといたんじゃなくて?」 「いや、蜂蜜にレモンぶっこむだけでしょうよ……ぼくだってねぇ、レモン切って絞るくらいはできますよ……」  それはその……大変、失礼な態度をとってしまって、申し訳ないと反省する。  でもあの栖さんが――お湯を沸かすことすら面倒臭がって、マグカップに入れっぱなしの二日前の水を飲むような栖さんが、まさか、名前の付いた飲み物を作れるだなんて、私は本当に知らなかったのだ。 「……いつも、頼ってばっかだしねぇ」  ぼそり、と、栖さんは視線をずらしながらひとりごちる。  私は何のことかわからず首をかしげる。両手に持ったカップから、甘くてすっぱい良いにおいが立ち上る。 「なにが、ですか?」 「家事全般だよ。ぼくは本当に、何から何までこまどちゃんに頼りっきりだから、こまどちゃんがオエーってしてる時くらいは、こう、慮りたいっていうか」 「……でも、私はそれがお仕事ですし」 「そうなんだけどさぁ。……たまにはいいでしょう。自分でお湯淹れんのと、味は変わんないかもしんないけどね。あっついからほら、ふーふーしてお飲みよ。それ飲んでさぁ、えーと……とりあえず一息つくまでは、現実は一旦横に置いておこう」  置いておいて大丈夫なんだろうか。なんだかとても駄目な気がするけれど、胸のむかつきがとれない私にはありがたい提案だった。  ……さっきのココアは、カウントしないことにして、私は甘いレモンの香りを吸い込み膝を抱えた。 「だれかに、なにかを作ってもらったの、はじめてです」  栖さんが眉を寄せたのは、照れていたからか、私を憐れんでいたからか。わからないけれど、私は少しだけ泣きそうで、こんなとんでもない状況なのに『栖さんが一緒にいてくれてよかったな』なんて、たぶん普通の人とは真逆のことを考えていた。  栖さんがいなければ、出会わなければ、幽霊屋敷に監禁なんかされることはなかった。でも、栖さんがいなければ、出会わなければ――私はいま、ここで蜂蜜レモン湯を飲むことさえできていないだろうから。 「ぼくが初めてって、よろしくない気がするなぁ。できればさゆりんちゃんに譲ってあげたかったよ」 「それ、紗由ちゃんに言ったら、怒られそう。自慢かよ! って」  ふは、と乾いた笑い声が聞こえて、私はゆっくりと息を吐けた。  ……でも、首の後ろあたりにはずっと、あの刺すような気持ちの悪い視線を感じていた。
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