9 言の葉の呪

1/3

78人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ

9 言の葉の呪

「寝てていいのに」  ぽとり、と、投げかけられた言葉に、私はタブレットから目を離さずに少しだけ首を振る。 「何かしていた方が、楽です」 「そうはいってもこまどちゃん、もう十時間くらいはその作業してるじゃないの。いや、時計もいかれちゃってるからね、わかんねけどね」  和室の窓からは、春のうっすらと青い空が見える。ずっと、ずっと、見え続けている――もう、何時間も。  家の中に閉じ込められた私たちは、どうやらただ、出られなくなっただけではないらしい。  この家は夜が来ない。ただ、うすぼんやりとした朝から夕方を繰り返しているようだ。だからと言って時が止まっているわけでもないらしく、順当に体力は尽きるし、おなかもすく。定期的に何か食べ物を摂取する以外の時間を、私と栖さんは資料漁りにつぎ込んでいた。  シノミツさんが都度、関連のありそうな新聞記事や雑誌記事などをまとめて栖さんに送っていたのだ。 「いやー、普段はこんな資料ねぇ、みっちゃんはマメだなぁなんて眺めて終わるだけなんだけどね。まさかぼくが正々堂々資料なんてもんと格闘するとは……てかこまどちゃんまじで寝なさい。ぼかぁ昼間寝てたからいいけど、こまどちゃんはずっと起きっぱなしだ。ちょっと横になってもばちは当たらんよ」 「でも……」 「部屋の戸にはお札が貼ってある。ぼくもここから動かない。厠に行きたくなったらそのタイミングでちゃんと起こすから大丈夫心配しなさんな。……いや、寝なくてもいいから、横になんなさい」  そう言って栖さんは自分の寝床をバシバシと手で叩いた。  私はしぶしぶ、タブレットを持ったままだるい体を動かして、ゆっくりと移動する。途端、ドタドタドタ、と廊下を黒い女が走っていく。……昼に閉じ込められてから、とにかくあの黒い女がやたらと活発で困る。それに、気持ちの悪い視線はどんどん強くなっている。  視線から身を隠すように体を丸めて身をすくめる。そんなことをしても、たぶん、無意味だ。わかっていても、もう私の理性は恐怖に随分と支配されている。  夜が来ない。時間がわからない。世界から隔離されている。ずっと誰かに見られている。……そのストレスが、どんどん、私の思考と体力を嬲っていく。  虫の息で横たわる私をちらりと見て、栖さんは眉を寄せた、気がした。 「……よろしくないねぇ。完全に衰弱しちゃってるじゃんよ。このままだと冗談じゃなくてマジできみ、この家に殺されちゃうかもしれない。そうなる前にやっぱりどうにか――」 「だめ。だめです。栖さんが、無理をするのは、絶対にだめ」 「――そうは言ってもなぁ」  息を吐いて首の後ろをひっかく。こんなことを言ってもどうしようもないと知っているけれど、理性がほとんど殺されてしまっている私は、口を閉じる術を知らない。  昔から、泣かないと決めていた。その癖がまだ残っていて、私は涙を飲み込んでしまう。けれどその代わり、だらだらと何を言っても答えてくれる人のせいで、言葉だけは容易に吐くようになってしまった。  栖さんのせいだから仕方ない。だから私は本能をのうのうと吐き出す。 「栖さんが無理をすると、栖さんが死んじゃうって知ってしまったから、絶対にだめです。いやです。それが最善だとしても、私は嫌です。……勝手に死なないでください。私を、置いていかないでください」 「うーん……重いねぇ、きみが言うと。うはは、無茶な事言うなぁしかし。人間、いつか死ぬもんだよ。それは仕方ないし、そういうもんだし、普通に生きたところできみよりもぼくの方が先に死ぬだろうしなぁ。そのうえぼくは普通じゃない。それにね、言葉を返すようだけどねぇこまどちゃん、ぼくだってきみが死ぬとこなんか見たくないんだよ」 「……嘘です。栖さんは別に、人間のこと、好きじゃないでしょう?」 「好きかどうかはわからんね。そういうことを考えたことがないのかもしれない。でも、きみが死ぬのは嫌だね。ぼくは、そうだなぁ……ちょっと前の、きみに似てたのかもしれない。意図的に人間と距離を取っていた。誰かと仲良くなるのは、ぼくの性質てきによろしくないことだと知っていた。巻き込む可能性高いしね。■■は、とうていぼく程度ではどうにもできない呪いみたいなもんだから」 「じゃあ、なんで、助けてくれたんですか?」  私をバイトに誘ったのはたぶん、私をカミサマから助けてくれるためだったのだろう。どうして助けたのだろう。手を差し伸べなければ、縁なんかできなかったのに。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

78人が本棚に入れています
本棚に追加