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「悪くないよって言葉が全部だめってわけじゃねーのよ。人間のコミュニケーションってやつは、そんなに単純で簡単じゃない。でもさ、何でもかんでも悪くないよー可哀そうだったねー周りがひどいねーあなたは被害者だよーって言いまくるのはよろしくない。そもそも、『あなたは悪くない』ってつまり『あなた以外の他人が悪い』って矛先を向けちまってるからね、それも当事者でもない外野が勝手にだ」
「言われてみれば確かに……私が悪くないなら相手が悪い、を繰り返していたら、すごく世間に憎しみを募らせてしまいそうです」
「その憎しみを利用するのがカルトでしょうよ。他人が憎い、でもこの人の言葉はとても甘くて優しい。そうやって依存してくんじゃねーのかな、知らんけど。全部暇つぶしに読んでたネットの知識だけど」
「……詳しいんですね、栖さん。なにか、そういう団体と因縁があったりだとか……?」
「いやぁ、五千円の方の依頼者にねぇ、ちょっとそういう騙されやすい人多いもんだからね。ほら、霊感商法っての? 高額除霊グッズ買わされるような人、結構ウチにも来るからねぇ。話聞いてると『うっわえっぐ』って思うわけよ」
「栖さん、依頼人のお話をちゃんと聞くことなんかあるんですね」
「ありますよって言いたいけどぼくだって聞きたかないよ。だいたいああいう自分不幸ですタイプの人は勝手に喋んだよ。まあ、世界にアピールしたいでしょうよ、みなさーんきいてーボクワタシは不幸でーすって」
「……そういう人たちが、集まっていた、場所」
ほほえみハウスは、疲れた現代人の悩みを聞く場所。どういう人が運営していたのかはわからないが、やはり善意のみで作られた場所ではないのだろう。
この家で何が起こったのか。
心の弱い人たちが集まって、そして、その先に待っていた結末は一体何だったのか。
「惨殺事件って感じでもねーのよなぁ。さすがに日本で民間人が二人以上殺してたら、隠ぺいは無理だ。どう頑張ってもニュースになる」
「生霊の線は、ないんでしょうか」
「二十年間残留する生霊ねぇ……うーん、ない、とは言い切れないけど相当特殊ケースだろうな。ちょっと考えにくい」
「じゃあ、……家自体の残留思念、とか」
「お。なかなか面白い考察じゃないの。恨みつらみや感情が家自体にしみ込んでてそれが再現されてるってわけか。はーん、わるくねーなぁ……いやでも、それにしちゃあ実態が強すぎるし、そしたら隣の赤い部屋の男はなんなのよって話だ」
「ああ……そういえば、横山さんの家の件もありましたね。あの赤い部屋の人が、視線の主なのかな……そうだとしたら……」
……あの赤い部屋の人が、すべての原因だとしたら?
「あの……この家には現状、四人の幽霊がいますよね。浴室のおばさん、覗く男、走り回る黒い女、日曜に二階に出る四つん這いの女」
「そうだね、雑魚もわさわさいるけど、常駐してんのはその四つだ」
「浴室は、窓がない作りでした。完全な個室と言えます。覗いている男の人は、いつも低い場所……机の下や扉の下から覗いています。あれは、覗いているのではなくて、もしかして、隠れているのではないでしょうか」
「……ああ。なるほど。そんで、あの黒いドタドタしている女は――」
逃げている。
栖さんの言葉に、私は体をもたげて頷く。
「二階の女はとりあえずスルーだな。日曜しか出ないってのは日曜しかいなかったのかもしれない。この家の住人はみんな、何かから逃げている。そんでその何かってのがー……」
「横山さんの家の、赤い部屋の男……?」
「推理としちゃキレイだね。じゃあ、現況はししえりの家じゃなくて隣んちってことか? だからこの家で除霊したくてもダメだったってことか? うーん……だとしたらマジでまずいじゃんか。ぼくが喰うべきなのはししえりの家の穢れじゃなくて、横山さんちの二階の部屋ってことになっちまう。閉じ込められてから気づく事実としちゃ最悪だな」
「でも、その、これは何の確証もない仮説で……」
「そうだ、なんの確証もない。確証を得られるような情報が遮断されている。だからぼくたちは、外部からの手助けを待つしかないのが現状だ。ただ、それも無理ってなると、さすがにぼくがどうにかするしかない」
「栖さん、それは、」
「駄目とは言わせないよ、ごめんだけど、ぼくだってきみに置いて行かれたくはないんだ」
ごめんね、と笑う顔はなんだかいつもより優しく見えて、私はまた『泣かない』という誓いを破る羽目になった。
死ぬとか生きるとか、そういう話はもう終わったはずだったのに、結局私は危うい状況に立たされている。
それでも私は、荊禍栖という人との『ご近所のお兄さんのような距離感』を解消するつもりは毛頭ない。だから生きて帰って、またあの黒焦げアパートでご飯を作るために、いやな視線とバタバタ走る女の足音を振り払って体を起こした。
「何か、作ります。ご飯食べないと、余計に弱っちゃうでしょうから。栖さん、卵とご飯で食べたいものがあれば――」
リクエストを伺おう。そう思った時、玄関の扉が開いた音がした。
「…………え?」
びっくりして腰を上げようとしたのに、動けない。指先ひとつ動かせない中、聞こえてきたのは、元後輩の女子の弱々しい声だった。
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