11 穢れを喰うもの

1/2
78人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ

11 穢れを喰うもの

 明るい家の中に、紗由ちゃんの声が響いた。  途端に急に重力が増したように、ぐわん、と身体が重くなる。続いて、ひどい耳鳴り。  ぐらぐらする。寒気がする。そのうえ頭が痛くて息も浅い。  息も絶え絶えの状態で私はへたり込み、それでもどうにか栖さんの方へ体を引きずりしっかりとつかんでいた封筒をお渡しすることに成功した。  栖さんは、すりガラスのドアにべったりと身体を寄せる黒い女をにらみつけていた。 「……死んだのは一人」  ぽつり。呟く声がひどく寒々しく響く。こまどちゃんは寝てていいよ、と声をかけてくださった栖さんは、和室の畳の上に封筒の中身を広げ始めた。  封筒の中には、ほほえみハウスに関する詳細な記録と、とある掲示板の書き込みが印刷してある紙が同封されていた。  どちらも随分と古い日付で、二十年近く前のもの――いきいきなだまち広報第三八号の発行年月日とほとんど一致する。 「うーん……仕事が早すぎる男は気持ち悪いなぁ」 「……私、あんまりお役に立てませんでしたね……」 「いやいや、違うぞ。たぶんみっちゃんは、こまどちゃんが見つけたいきいき……なんだっけ? その、なんとか広報の情報からたどったんだろう。こまどちゃんのお手柄だ。それにぼくひとりじゃ、さゆりんちゃんから封筒を受け取れなかった。こまどちゃんが一生懸命手を伸ばしてくれたから、活路が見えたんだよ」  それを言うならば、一番の功労者は私ではなく、紗由ちゃんだ。  私は家の中で、彼女の声を聞いた。どことなくぼんやりとくぐもった声は、外から聞こえてきたものではない。けれど、廊下に出ても何もない、誰もいない。焦る私に『名前を呼んで手を伸ばせ』と言ってくれたのは栖さんだ。  だから私は名前を呼んだ。そして手を伸ばした。きっと、シノミツさんと紗由ちゃんが駆けつけてくれたのだ。そう信じた私の指は後輩の身体に触れることはなく、代わりに紙の封筒を握っていた。  勿論、彼女の必死の叫びは私と栖さんに届いた。  ししえりの家で死んだ人間は、ひとり。  そして隣の家に、窓はなく、男も住んでいない。  相変わらず昼が終わらない部屋の中で、栖さんは広げた紙の中心で顎を撫でる。……すりガラスの向こうで、黒い女がガラスに頭をぶつけている。 「よぅし、整理しようかこまどちゃん」  私は頷き、重い体を引きずり、紙の束に目を落とす。 「まず『ししえりさんの家』の由来はなんてことない、ほほえみハウスの看板が読みにくくなってひらがなが欠けていた、ただそれだけだ。近所の学生やネットの連中が面白おかしくはやし立てたって感じだろうね。元の字面が崩れて別の言葉になるってのは、昔からよくあることだ。これ自体はどうでもいい。問題は、ししえりんさんの家には明確な怪異があることだ」 「覗く男、風呂場の老婆、徘徊する黒い女、二階の首の長い女、そして隣の家の赤い部屋からの視線、ですね」 「よくまとまってるねぇ、百点満点だ。他にも雑魚っぽい怪異はあるが、基本はその五つになる。広報に載っているほほえみハウスの記事とみっちゃんの追加資料によれば、この家の代表は白浜一美。風呂場でにちゃにちゃ笑ってるババアだね」 「ええと……白浜さんは、以前勤めていた企業を退社後、ほほえみハウスを設立。主な活動は職場で居場所がない社会人の救済、のようなことが書いてありますが、これ、たぶん、詐欺……ですよね?」 「詐欺だねぇ。思ってたより詐欺寄りだ。ぼくはカルト宗教の方かと睨んでたんだけどなぁ……。心の弱ーい人間をよしよししながら集めて、さあみんなで前向きになろう! そのためには体をきれいにして良い氣を溜めよう! よい氣はよい石に宿るものですから、このお高い石をみなさん買いましょう! ってそりゃ完全に洗脳系詐欺だ。世の中がこういう奴らをどうカテゴライズしてどう呼んでいるのか、ぼかぁわからんけどね」 「じゃあ、白浜さんは、この家に集まる人たちを救うつもりはなかったんでしょうか」 「どうだろうね。もしかしたら本気で話を聞いてよしよし、うんうん、あなたは悪くないよーって言ってすごーく体にいいパワーストーンを身に着けされることで、本当に救おうとしていたのかもしれんけどねぇ。その辺はいつも通り、ぼくにはさっぱりわからんことさ」  荊禍栖は霊能者ではない。これは、栖さんがよく口にする言葉だ。  栖さんは所謂『霊視』というものができない。そこに居る幽霊を見ることはできるけれど、ただ見えているだけだから、外見の特徴以外に知りえる知識はない。知識を得るとしたら今この瞬間のように、自分で探して得た情報だけだ。  私が探り当て、シノミツさんがかき集め、紗由ちゃんが渡してくれた情報。栖さんは骨ばった指で、その中の一枚の紙を指す。  その写真の中では、少し地味な顔をした背の高い女性――柳原瑠理子が笑っているような困っているような表情でたたずんでいた。どうやら、彼女が勤めていた会社の社報らしい。 「さて、ここでさゆりんちゃんのからの重大伝言の出番だ。さゆりんちゃんはこう言ったね。『この家で死んでいるのは一人だけ』。たったひとりだけだ」  しかも柳原瑠理子は自殺だという。  私は勝手に、さぞ凄惨な事件があったのだろう、と思い込んでいた。だってこの家には四人の幽霊が常駐している。柳原瑠理子が黒い女だとして、では浴室の老婆は? 覗く男は? 二階の女は? みんなどこで死んだというのだろう。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!