1 ししえりさんの家

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 私の些細な表情の変化はとても些細だったはずで、やっぱりシノミツさんは気が付かなかったようだ。へこへこと頭を下げながら、とても申し訳なさそうに書類サイズの封書を取り出す。 「簡単に、ご説明します。荊禍さんにはきちんとご説明したのですがおそらくは適当に聞いていらっしゃるでしょうし、といっても前途の通り、私も詳細をきちんと把握しているわけではありません。これから職場に帰って資料を洗いざらい読み込む予定です」  そう前置いて、シノミツさんは一枚の紙を手渡してくれた。  それは家の間取りだった。よく不動産サイトで見るような、簡素な線と文字だけで家を現した図。何度もコピーされて線の角が取れ、まるで蟻の行列のようになっている。  玄関から入るとまず、長い廊下が伸びる。突き当りがキッチン。右側に浴室とトイレ。左側にリビングと和室。トイレの上――玄関から見て右側に二階に上がる階段があり、二階には六畳の部屋がひとつ、八畳の部屋がひとつ並んでいる。  こぢんまりとした、普通の家だ。特に気持ちの悪い間取りではない、と思う。栖さんは一通り一階の部屋を回った様子で、今二階に上がっていく姿がちらりと見えた。 「今回、荊禍さんに住んでいただくのはこちらの一軒家になります」 「一軒家も、穢土調整課は扱っているんですね」 「勿論です。が、正直なところ稀ですね。呪いや穢れは人の集まる場所に多いものです。穢饌を住まわせて穢れ落としをしなければならないほどの家は、実はそう多くはありません。そしてその多くない家は、大抵、曲者です」 「……祓えないほどの穢れがある、とか?」 「仰る通りです。一軒家の持ち主は基本は個人でしょう。アパートやマンションなどと違い、住めなくなったのならばつぶしてしまえば済むことです。しかし、それができない。壊すことも、直すこともできない家。そういうものの一つが、この家です」 「ええと、随分と物騒な話に聞こえますけど」 「物騒なんですよ。そして不気味です。私はこの家の担当ではありませんが、それにしても不気味なのはこの家に関する過去の事件が見当たらないことです」 「……事故物件じゃ、ないんですか? じゃああの、焼け焦げアパートみたいに、場所が悪い、とか?」 「そういうわけでもないはずです。お隣もお向かいも、普通に一般の方が暮らしています。ですがこの家だけが、とにかくおかしい。幽霊が出る。障りがある。そういう噂と実体験だけは山ほど出てくる。……実は今回、急遽この家の穢れ払いを執り行うことになったのは、市役所の移転が原因のようで」  市役所の移転が、どうして心霊屋敷の除霊に関係するのだろう。  私の疑問は首を傾げただけで伝わったらしく、シノミツさんは紙の下で少し困ったように息を吐いた。 「どうも、新しい市役所に向かう際に、国道から曲がりこの家の前の道を通るルートが一番利便性が高いようで。要するに、人の目に触れやすくなった、ということでしょう」 「はぁ。……えっと、そんなことで、除霊を?」 「そんなことで除霊をしていただくことになりました。本来は急ぐ案件ではなかった、さらに荊禍さんに振る案件でもなかった。先ほども言いましたが、この家の除霊の条件は『女性同伴、または女性の穢饌』なのです」 「それは――」  一体どういうことなのだろう。  私のいつものなぜなにを拾ったのは、恐縮しきっているシノミツさんではなく、二階から降りてきたばかりのスウェットの男性――栖さんだった。 「心霊現象ってやつは案外こだわりがあったりするもんだからねぇ。ルールっての? ほら、さゆりんちゃんの、えーとなんだっけ? 棒の家の女、だっけ? あいつもなんかルールあったじゃないの」 「……家のものを、持って帰る?」 「そうそう、それ。そういうやつ。あるでしょ、ほら、怪談とかでもさぁ、何時に何をすると出るとか、この場所で何をしたらいけないとか。要するにああいうものは幽霊さん側の好みと拘りとルールだね。だからきっとこの家にもそういうのがあるんでしょうよ、例えばー……女の子にしか見えない幽霊、だとか」 「えええ……私にしか見えなくても困りますよ。私、栖さんみたいに強くないんで……」 「言っとくけどぼくだってもやしだっつの。強いのはぼくのペットさん。あ、みっちゃん上になんかお札バシバシ貼ってある部屋あったけどアレたぶん無意味だから後で取っちゃって。なんか宗教バラバラだし、素人さんが描いた感じだったから、肝試しの子たちがネタで貼ったりしたのかもなぁ。あとは結構きれいだねぇ。ぼくはちょっと、うーん、浴室がなぁ、好きじゃない感じだけど。こまどちゃんも後でぐるーっと一周するといいよ。そんで部屋割決めようぜ」  くあ、と眠そうに欠伸をするさまは、まったくもって新しい心霊屋敷(詳細不明)に足を踏み入れたばかりの霊能者とは思えない。どう見ても寝不足の休日のダメな大人だ。  まあ、栖さんが眠そうなのもダルそうなのも、あんまりやる気がなさそうなのも、いつものことだ。  いつものことだと分かっている私とシノミツさんは、やれやれ感を出しつつ二人だけで気合を入れなおした。
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