第9話 シンデレラ

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第9話 シンデレラ

「帝国の皇子はどういう人だったの?同じ学校に在籍していたこともあるのでしょう?」 「グリーリッシュ皇子のことをおっしゃられておられますか?」 「ジュリア姫を婚約者候補として求めてきたのはその皇子でしょう?気にならないはずがありませんよ」 「それもそうですね。皇子はまだまだ精神的に幼く、周囲が適切に導いてやらないといけないでしょうね」 「前評判とずいぶん違いますね。次期皇帝になる器の立派な若者だとわたくしはうかがっていたのですが」 「皇子だからそうあしざまに言えないのではないですか?評判と実物には乖離があるものです。ジュリアが目覚めたら、帝国へ顔合わせする必要もないと思いますが」 「顔合わせではなくて、皇子妃候補として一足早く花嫁修業に行くのですよ」 「ですが、皇子妃候補にあげられたために襲われたのですから。丁重にお断りをするようにいたしましょう」 「まあ、昔からあなたはジュリア姫を過保護に扱いすぎなのではないですか?帝国とのつながりは辺境の小国であるわたくしたちには喉から手がでるほど欲しいものですのに」 「かわいい妹たちは、自分を犠牲にしてまで苦労はしてほしくないですから」  ルシルス王子はセシリア姫の視線を捕まえてウインクする。  アイリス王妃とルシルス王子の会話が表向きにこやかに進んでいく。  ジュリア姫の今後を本人不在で決めるよりも、まずは心が元通りに癒され目を覚ますことが先決なのではないかと思う。    会話の矛先がわたしに向かわないで安堵する。  そのままひとことも発する機会も与えられず、いたたまれない食事会がようやく終わる。  侍女のアリサはアイリス王妃の侍女と隣にたち、わたしの置かれた状況を十分理解していて、顔をこわばらせていた。彼女の目からみても、わたしは哀れだったのだろう。   「部屋に戻るわよ」  一番に退場するのが礼儀に反しているかどうか、おもんぱかる余裕はない。  王妃にも彼女の侍女にも、一言だって言葉をかけられたくなかった。  あたりの柔らかい言葉であったとしても、わたしを馬鹿にし嘲る本心が織り込まれている。  いまでも、王妃の侍女たちの視線がべったりとわたしに貼り付き、粗を数え上げているのだから。  会場を出る前に先手を打たれた。  アリサが王妃の侍女に呼び止められてしまい、わたしの味方は足止めを食らう。  わたしは一人で会場を後にしたのである。    ドレスの裾をたくし上げ、小走りで廊下を行く。  次第に速度も速くなる。早く部屋に戻りたい。  わたしのヒールの足音に、すぐ後ろから固い革靴の足音が追いかけてきた。  アリサではない。アリサは足音を立てないから。  王城の使用人たちがあわてて道を空けた。 「ちょっと待ってください、レ・ジュリ……」  わたしの部屋はもうすぐそこである。   だけど、慣れないヒールのパンプスとドレスの裾がわたしを裏切った。  裾を踏んで前へ、顔面から転んだのだ。  わあ、とかぎゃあ、とか。  およそレディらしからぬ悲鳴を上げてしまう。  ドレスが絡んで手が顔面を床に激突させることを防げなかった。  こんな間抜けな転び方をしたのは、生まれて初めてで情けない。  そもそも、こんなドレスを着ているからで。  ヒールを履いているからで。  レディであることを女子に強要する貴族たちの異世界にいるからで。  わたしはレディでは決してない。  毎晩パーティを開いてもいい、城で賓客としてすごせるという条件に喜んだのは間違いだった。  至らないところ、わたしがここにはふさわしくないことを常に思い知らせ、みじめな気分にさせるだけの、拷問ではないか。  この世界とわたしとの相性は最悪。  イケてる女だったはずが、ここではイケてない女になってしまった。  泣きたくなった。 「盛大にころんだね。大丈夫?起きれる?」  陽光を思わせるような穏やかな声。  シャジャーンじゃなく、ルシルス王子。  痛みと恥ずかしさに硬直していると、王子はわたしの腰に手を指しこみ抱き起こす。涙があふれそうになる。 「周囲を気にしないであなたと話をしたかったんだけど、急に走り出したからつい追いかけてしまった。怖がらせて申し訳ない」  わたしの額に懐からとりだしたハンカチを当て、頬をぬぐう。  わたしの苦境は自分のせいだと言わんばかりの言い方で、わたしの気まずさを和らげようとしてくれていた。  ルシルス王子はひどくぶつけた顔だけでなく、全身の様子を確認する。  申し訳なさそうな顔は、作った仮面で、レディらしからぬわたしを馬鹿にする本心を隠しているのか。  すくなくともアイリス王妃よりも、その顔は嫌な気持ちにさせない。   「ひとまず宮廷医師に診せよう。歩けそう?歩けそうにないなら誰かに来てもらうから」 「いえ、お気遣いなく。大丈夫ですから。このまま部屋に戻ります」 「すぐに適切に治療してもらわないと。レディの顔に傷など残せないから。わたしが追いかけて驚かせしまったから、責任はわたしにある」  王子が人を呼びつける前に、王子との間に割り込んだのはシャジャーン。  わたしの顔を見ると険しく眉を寄せ、悪態をつく。  額にひんやりとした手をかざしてぶつぶつと呪文をつぶやくいた。  ふわっと目の前にシャジャーンの髪色のような、銀に輝く筆で一筆書きをしたような紋様が現れ、ほどなくして消えた。  がんがんする頭の痛みは指輪のはまった掌に吸い取られていく。  まな裏に焼き付いた残像をたどる。  涙が涙腺の奥にひっこんだ。 「この銀の紋様は何?」 「クルアーン、魔術紋様(クルアーン)だ。見たことがなかったか?」 「初めて見たわ」  目覚めているときにシャジャーンの魔術を目の当たりにしたのは初めてだった。  シャジャーンの魔術は怪我だけでなく、わだかまっていたこころの痛みも取ってくれる。ルシルスだけでなくシャジャーンもわたしを追いかけてきてくれていた。 「おいおい、俺の存在を忘れないでくれ。お前がこんな些細なことに魔術を使うなんて」 「レディの顔に傷など残せないだろ?これの方が跡が残ることはない」  王子はじっとわたしの目の奥を覗き見た。  王子の鮮やかな青い目の奥にきらめく銀の星が光芒している。 「確かに強い命の光はあるな。だから治療魔術の効果が早いんだな。それともお前が魔術の腕前をあげたか」  王子の言葉が砕けている。  食事の時も感じたが、王子とシャディーンは気のおけない友人のようだった。  体が軽くなる。  感慨深げに眺める王子の視線から引きはがされた。  シャディーンがわたしを抱き上げたのだ。  あわててしがみついた。   「膝もすりむいていないか診てやる。君は走っては転んでばかりだからな」  焦ったのはわたしだけではない。 「シャディーン、この娘を特別扱いしすぎじゃないか?」 「この娘の安全の全責任を負っているから当然のことだ」 「おいちょっと待て、コレはどうするんだ……」  王子は困惑して何かを言いかけていたが、シャジャーンは無視し、わたしを抱きかかえたまま部屋に運んだのである。   「失礼する」  裾が膝までまくられ、怪我がないか検分される。  シャディーンはハリーのようにわたしの素脚をみても顔を赤らめることはない。  わたしは彼にとって女として魅力の足りず、恋愛対象ではないということなのだろう。  素敵なレディの脚やらキスなら、堅物なシャディーンだってどきどきするはずだと思うのだ。 「他に痛みを感じるところはないか?」  わたしは顔を手にやった。 「なさそうだけど……」  わたしはその場で固まった。  首肩頭がやけに軽い理由は治療魔術の効果だけではなかったことに気が付いてしまった。  かろうじてひとつに結んでいた髪が、むき出しになっていた。  王子が明確に言葉にしなかった、コレとはわたしのかつらだった。  パンプスも片方脱げてしまっている。  これだとまるで、12時の魔法がとけた灰かぶり姫(シンデレラ)ではないか。  ルシルス王子は置き忘れられたかつらとパンプスを前にして、さぞかし困惑しただろう。   ひっこんでいた涙が再び盛り上がりそうになった。  甘いフェイスの異世界一推しの王子の前で、これ以上ないほどの醜態をさらしてしまったのだった。    
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