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第7章 目覚める 第50話 最後の儀式①
娘は壊れはじめていた。
この世界に召喚したときから。
壊れるというのが適当でないのならば、ほどける、というのがより近いのかもしれない。
娘の身体を作り上げる小さな細胞一つ一つの結合が、少しずつ、崩れていく。
娘本来の世界に当たり前に存在していた何かが、この世界に欠けている。
娘の世界では命を構成する基幹部分に組み込まれしまっているがために、細胞の結合はほどけはじめ、次第に内臓器官の正常な働きを阻害し、やがて60兆超の細胞の集合体である娘の生体活動を不可能にしてしまう。
命をもったものの異世界からの召還はうまくいったようにみえて、うまくいったことはない。
それは偉大なる魔術師サラディンの手記で既に明確である。
娘がこの世界にとどまればとどまるほど、早すぎる死へと加速度的に進んでいく。
この幾千にも重なる世界の中で、燦然と輝く存在に気が付いた時から、シャディーンにとりこの娘は特別な存在だった。
愛しても望むだけの愛を与えることはないレソラ・ジュリア姫と、魂と形状も輝きの質も、一つだった魂が分離したのかと思えるほど同質なのに、外見も性格も腹が立つほど違っていた。
娘は突然の異世界でたった一人で、生きるためには手助けが必要だった。
肉体の直接の接触、さらにはお互いの魂がなじめば、魔術はより効果をあげる。
体調が悪くなり娘の不安は増幅していく。
その不安を、シャディーンは利用する。
娘の持てるものは身体しかなかった。
人身御供のように娘は持てるも全てを差し出した。
治療を効果的に施す大義の上に、シャディーンは娘を抱く。
それは、一生抱くことができないレソラ・ジュリアの代わりであり、娘が求めればシャディーンにはあらがいきれないことを、娘は本能的に察していた。
だけどいつからか変わってきていた。
ただの代替であるならば、祭りの夜にお忍び姿のロスフェルスの皇子が目の前で娘を樹里として掠っていった時、腹の底から煮えくりかえるような怒りを感じるはずがなかったし、不意に自分と娘をつなぐ魔術のつながりがたたれたと知ったときに身をもがれたかのような喪失感に打ちのめされるのはおかしかった。同時にそれは、娘の命の危機が差し迫っていることであり、一秒でも早く、つながりが切断された場所へ、転移魔術を使って駆けつけずにはいられなかった。
娘が生きている限り、元の世界に返してやりたいと思う。
なら、彼女が元の世界に戻らず、自分の元から離れたいと願うならば?
ロスフェルスの皇子が、祭りにではなく自国へ掠っていこうとするならば、それを見送ることができるのだろうか。
同じ、自分の手の届かないところへ行くにしてもこの世界の誰もが手のとどかないところへ行くのと、この世界の誰かが自分がそうしていたように彼女を庇護するのでは全く違う。
娘が激しい咳の後、吐き出した血の塊をこっそりと捨てていることを知っている。
この新月の儀式が娘にとって儀式を耐えられる限界ラインだった。
急に現れて、帝国の皇子の腕から吐しゃ物で真っ赤に染まる娘を、シャディーンは奪う。
「樹里をどうするつもりだ」
皇子の手は樹里の服をつかんで離さない。
樹里を樹里と正確に発音する娘と同年代の若者に、怒りが腹の底からうねり上がる。
その感情をなんと名付けていいのかわからない。
「帝国の魔術師に彼女の治療をさせる。僻地の国よりも優秀な者たちがそろっている。まずはシールスに治療させる。おいて行け」
「あなたが樹里と俺とのつながりを強引に断ち切ったのか。樹里はここでは魔術なしには生きられない。その理由をもう知らないわけではないのだろう?そのため俺の、魔力の治癒を失った身体が、内側から急激にほどけはじめている。もう一刻の猶予もならない」
部屋の外には異変を察知した皇子の護衛の男と、シールスという名の魔術師が立ちふさがるが、扉から出て行く間はない。
来たときと同様に、転移の魔術を使って王城に戻らなけらばならない。
「……樹里をなんとしても生かしてくれ」
皇子の手が樹里の服を放した。
美麗な顔は口惜しさに顔をゆがませ、蒼白だった。
樹里の意識を失った今、皇子はお忍びの若者のふりをする意味がない。
ふとくだらない質問が浮かぶ。
「姫とこの娘の一人を連れ帰れるというのならば、ロスフェルスの皇子はどちらを選ぶ?」
すぐさま皇子の口が開く。
ヒューヒューと苦しげな息をする娘に、彼の答えは届かない。
銀色の光が広りシャディーンと娘を包み込んだ。
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