第55話 それから (悪女がお姫さまになるとき 完)

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 水盤に未来を見たジュリア姫は、本当はただひとつ、シャディーンと結ばれる未来を探していたのではないか。どの未来でも、シャディーンが己の内に秘めた恋心を打ち明けたり行動を起こしたりすることはなかった。  結ばれる唯一の道が、藤崎樹里を、つまりわたしを引き寄せ、わたしがシャディーンを籠絡する方法だったのかもしれない。その時に、わたしと精神的につながっていたジュリアは、ジュリアだったら絶対にできないこと、シャディーンを愛することができるのだ。  シャディーンはジュリアの気配ごと、わたしを抱いた。  ジュリア姫の念願がかなったといえるのではないか。  だけど、そんなこと、グリーに説明できない。  このジュリア姫の身体の中には、ジュリアの思考はなく、そのかわり死んだはずの樹里がいる、だからわたしはジュリアでありながら樹里でもあるなんて、アリサにもシャディーンにも言っていない。  無意識にゆだねていれば、この身体は指の先まで美意識が行き届いた優雅な挙措をとるし、ナイフとフォークの捌き方は完璧だった。  ある意味、ジュリアとわたしのハイブリットな存在だといえるわけで。 「嫌みをいいにきたのですか?まだとどまるのですか?ロスフェルス帝国は皇子がいなくても問題ないようですね」 「彼女の葬儀が終わったからもうここにとどまる意味はなくなった。異世界で死んだのに誰も悲しんでやるものがいないとかわいそうだろう?」  くるりときびすを返してベランダから離れていく。 「それだけがいいたかったのですか?」  口から滑り出るのはなめらかな声。  わたしの声帯ではない。  星屑をちりばめたような美しい声に言葉に、わたしは慣れない。 「婚約者候補殿の意思の確認もするつもりだった。連れ帰るのは、あの娘で良かったのに、彼女がいなくなったために代わりにお前になってしまったのだからな」  グリーリッシュは足を止め、面倒そうに肩越しに振り返り、目を細めた。  異世界の娘の代わりと深窓の姫が言われて、プライドが傷つけられてショックを受ける姿をみたかったのだろう。だけど、わたしはジュリア姫ではない。  グリーが藤崎樹里に強い好意を持っていたこと、わたしの死を悼んでくれていることがわかった。それが涙があふれそうになるほど、うれしい。 「で、来るのか来ないのか。来るのならば面倒だが一国の姫を迎えいれるためのそれなりの準備をしないといけないからな、確認だけして先に戻らせてもらう。無理矢理掠ってまで連れて行こうとは思わないから安心しろ」 「ロスフェルス帝国での未来、アストリアにとどまる未来……」  どちらの未来も惨憺たる未来だった。  ジュリアはわたしに未来を託した。 「どちらか選ばなければならないのなら、わたしは広い世界を選ぶ」    そういうだけで心臓がどきどきした。  祭りの夜にわたしはもう決断した。  あの時は、ここを離れる決意をしただけで、わたしの身体を守るシャディーンのつながりが切断され、同時に治療魔術が消えてしまった。  今は、何も起こらない。  心臓の音だけが、うるさい。  決断の大きさに身体が熱くて息が上がるけれど、めまいも、咳も、悪寒もなかった。  グリーリッシュはじっとわたしの瞳の奥を見つめた。 「そうか、そう決心したのなら今度は帝国で会うことになるな。姫なら他国の姫やらなにやらがそこら中にいるし、その程度の美貌の女ならいくらでもいるからな。この国のように大事にされることはないとはじめから覚悟しておけ。俺の援助は期待するな。……せいぜい心が折れないように頑張れよ」  グリーリッシュはそう言い残して去って行く。  最後は期待するなといいながら、不器用ながらもこの檻のような空間から出ることを決断したアストリアの姫を励ましてくれたように思えた。  再び、部屋にはひとり残された。
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