第7話 異世界ライフ(満月と新月の夜 完)

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第7話 異世界ライフ(満月と新月の夜 完)

「レ・ジュリさま、御用の時はお呼びください……」    わたしはええとかうんとかぞんざいに返事をする。  見なくてもわかる。  侍女のアリサはきっちりと15度頭をさげ、音もなく出て行った。   貴族出身だという彼女はわたしの身の回りの一切合切を引き受ける。  眠り姫を目覚めさせるために異世界から呼び寄せられたというわたしの事情を知る、数少ないひとりである。    アリサと入れ違いに誰かが入ってくるなり、うわああっ、っと情けない悲鳴があがった。  こちらも振り返るまでもない。 「し、失礼いたします、少し、取り乱してしまいました。レ・ジュリ」  ようやく室内に目を向ける。  ベランダにいるわたしに気が付いた帷子の騎士は、腰の剣に片手を置き生真面目そうな顔を作った。  取り繕っても遅い。 「楽にしていいわよ。わたしに対してしゃちほこばらなくてもいいって何度いえばいいの」 「それもそうだよな。誰もいないし?」  かしこまった顔の筋肉がゆるみ、17歳の若者の顔にもどる。  剣の柄から手を離して、手首を押さえて手を振っている。  わたしの専属騎士を任じられたハリーはわたしから免罪符を毎回もらわないと気が済まない。  言わないと、腰の剣に手をあて背筋を伸ばし、感情を表にださないように我慢して作った渋面を一日中目にすることになるから、会えば早めに言うことにしている。  ハリーとわたしが同年代であり、また熟練の騎士をわたしにつけるほど、わたしはアストリア国では重要人物ではないということなのだろう。 「もう今日はレディは終わりかよ?」 「わたしはそもそもレディよ?」 「へえ?」  微妙な顔をして、ハリーは机の上に鎮座したものを見た。  わたしが乱雑に脱ぎ捨てた長い髪のかつらは、アリサによりご丁寧にも先ほどまでティーセットが置かれていたテーブルに置き直されていた。  ハリーじゃなくても突然視界に飛び込んでくれば、生首のようで悲鳴をあげそうだ。 「この暑い日にかつらをかぶり続けるのもしんどいのよ。頭が蒸れるし臭くなるじゃない。この国のレディの基準が厳しすぎて死にそうなのに、さらにそんなものをかぶる拷問を受けたくないわ」 「女性の長い髪はいいよ?」 「どうしてよ。洗って乾かすのも時間がかかるのよ」 「高く結い上げたものをほどく楽しみ、というか。まとめたものをほどいたときの色っぽさとか、かき上げるときのしぐさとか」 「じゃあ、長い髪のシャディーンはどうなのよ。彼は男でしょ」 「イマームは、シャディーンさまだけでなく、男も女も髪を伸ばすもんなんだ。髪を切ると魔力が流れでてしまうからという理由らしいよ?俺のような戦闘要員は短髪が標準で、伸ばしても、レ・ジュリぐらいかな」  戦闘要員という言葉で力が入る。  強い男というものにあこがれる年ごろかもしれない。  つまり、わたしの肩までの髪は男子だといいたいのだ。 「何度もいうように、わたしのいた世界の日本では長い髪よりも短い髪のほうが女子には人気なのよ。乾かすのも楽だし、セットするのも簡単だし。長い髪は落ちたら目に付くし。それで、アリサにもいわれたから作ってもらったんだけどねえ」 「髪は伸びるよ。もう少しの辛抱なんじゃないの?掃除も手入れもすべて侍女がやってくれるだろ?気にしなくてもいい、あこがれのご身分だ」 「そうなんだけどね……」  わたしの釈然としない口調をあっさりとハリーは無視した。 「俺は長い黒髪は好きだよ。レソラ・ジュリアさまだってそれはそれは射干玉の、黒くて長い、美しい御髪をされておられますし」  口調がかしこまっている。  レソラ、わたしの唯一の美しい姫。  この見習い騎士に毛の生えたぐらいのハリーもなのか。 「まさかあんたもジュリア姫にあこがれているんじゃないよね」 「あんな美しい人はおられませんよ。ジュリア姫の身辺も警護することがあるから俺は騎士の道を志したっていうのに」 「のに?」 「異世界からの姫を守るという大役を任されてしまった」 「ったく、違うでしょ。ちんちくりんの異世界人のおもりは職務外だといいたいんでしょ。確かにジュリア姫はお美しいと思うけど」  昨夜、一回目の儀式を終えてまずまずの成功だったというシャディーンの言葉を確かめに姫の温室に訪れた。  呼吸が以前より格段に力強くなり、頬にかすかに赤味がさしていて、陶器の人形のような美貌に温かみが生まれていた。  ジュリア姫は17歳、ハリーと同じ年だ。  王城からほとんどでることはなかったそうだが、ジュリア姫の美しさはアストリアだけでなく他国にも広く伝わっているようで、姫の現在の状況は厳重に秘匿されている。  遠方から来訪した親密な友人という設定のわたしは、魔術師により異世界から呼び寄せられた『光り輝く者』だということも、姫の現状並みに極秘である。   「お姫さまドレスもはじめの三日間はとっかえひっかえ試して楽しかったんだけど。今じゃ、足の周りにまとわりつく感覚がうっとおしくてたまらない」 そういって裾を引き上げた。  ハリーはぎょっとして顔を赤くして視線を外す。  ふくらはぎを見たぐらいで見たらいけないものをみてしまった、的な反応をされると、ここに来た時の膝上丈のスカートは、刺激的すぎだったのだと理解する。  王様も、羞恥の基準が違うところが異世界人だ、とかなんとか言っていたし。   「ちょっとこんな程度で顔を赤らめてそむけないでよ。こっちが恥ずかしくなるから。へ、コイツ?の脚なら宿に迎えにきたときに、膝上までみたでしょ」 「あの時は男だと思ったし……」  ごほんとハリーは咳ばらいをする。 「それより、今日の賑やかなお茶会はもう終わりか?」 「わたしの体調がすぐれないからとアリサが切り上げさせたのよ。わたしは大丈夫だと言ったのに」 「いや、昨夜のアレは俺も驚いた。あの男があんたを抱きかかえてこの部屋まで運んできたんだからな。あんなにくたくたになって、儀式って何をするんだよ」  「シャディーンが呪文をつぶやき、わたしは姫と手をつないで寝ていただけなんだけど」 「姫と手をつないで、寝て、くたくたに……」  17歳の若者はどんな様子を妄想したのか、再び赤面している。   「と、とにかく友人たちのと楽しい時間は終わったんだな。どこにも行く予定がないのなら、扉の外にいようか?」 「ここにいて、あんたのことを話して頂戴」  時間が空いたとき、ハリーの家族の話を聞くことにしている。  ハリーはベランダの椅子に腰をすえた。  わたしも、港の船を数えるのをやめて、ハリーの向かいに座る。  父と母が出会ったこと、作物を育てる家業のこと、学校のこと、兄弟のこと、次男だから家を継げないので、騎士養成の全寮制の学校へ入れられたこと。  そんな、異世界で普通に生きる人の生活を聞くと、同じだな、と思うところもあれば想像もつかないこともある。  この世界がどういう世界かみえてくるような気がする。  この世界に来て、今日で16日目。   王城に与えられた部屋は姫の部屋と同じ階の、豪奢な部屋。  クローゼットには、姫が着ていたというドレスがぎっしりと詰まっている。  王城初日、身内だけの歓迎パーティで、わたしはいろいろ恥ずかしい失態をしでかしたらしい。  それ以来、お茶会を中心に、暇をもてあますジュリア姫の侍女たちと、おしゃべりの花を咲かせる。  彼女たちは、何も知らないわたしにいろ教えてくれることになった。  レディとはなんぞやというところを知った。  挙措動作、教養、言葉遣い。  それらすべてを兼ね備え下々にもあまねく気遣いができ、気高くて美しい女性が、レソラ・ジュリアであり、理想のレディだそうだ。  ジュリアのドレスをわたしに着せ替えて、わたしは着せ替え人形である。  かつらを嬉々として用意したのも彼女たちだ。  レ・ジュリとレソラ・ジュリアは似ているのにその差は天文学的に大きそうだ。    昨夜、一度の儀式だけでジュリアが目覚めることはないと知ってしまった。  次の新月は28日後。  これからあと何回、儀式をしたらジュリアは目を覚ますのだろう?  彼女が目覚めた時、わたしはかつらがいらなくなっているだろうか。  同時に、わたし異世界ライフは終わりを告げる。    貴文や美奈のことを考えると気が重いのだけれど。
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