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「どうしたの明日実。のぼせちゃった? 冷水、氷嚢、冷えピタならあるけど」 「ありがとう。相変わらず修人くんは用意周到だね」  薄暗い広縁に置かれた椅子に座っている浴衣姿の明日実は笑みを浮かべた。だがやはりどこか影が差している。  あれから僕たちは山道を抜けて警察に犯人を引き渡したり事情を説明したりと色々あったものの、なんとか旅館に辿り着き豪華な夕食と広い露天風呂を堪能した。  その間特に未曽有の大事件は起きず、あと数分で交際三年記念日を迎える。 「まだ何かありそうな感じ?」 「ううん、さすがにもう何も起こらないと思う。でも漠然と、不安でさ」  それはそうだろう。彼女はこれまで何度も三年記念日を邪魔されてきたのだ。  これで終わり、と安心なんてできるはずがない。  僕は彼女の向かいの椅子に腰かけて窓の外を眺めた。夜空には丸い月といくつかの明るい星がちらついている。 「大丈夫。僕は初めて三年続く彼氏だよ」  暗い窓ガラスに映る明日美に僕は笑ってみせる。 「うん、ありがとう。でももしかしたらまた三年後の記念日も今日みたいな事件に巻き込まれるかもよ?」 「そのときはそのときだよ」 「修人くんがそんな風に言うの珍しいね」  窓ガラスの中の彼女は可笑しそうに笑った。  時計の針はまだ重なっていない。  だから、もう少し待てばよかったのだ。そうすれば明日実と一緒に念願の三年記念日を迎えられる。  それなのに僕は気付けば立ち上がり、彼女の目を見つめていた。 「君がいれば、そんな風に思えるんだ」  窓から差し込む白銀の光に照らされた彼女を見て、僕は思わず小箱を差し出している。元々記念日に渡そうと用意していた物だ。  もうどうしようもなかった。三年記念日なんか頭の片隅にもなかった。それほどに自分で自分を止められなかった。  まるで不思議な力に、心が引きずり出されるかのように。 「――良かったら、僕と結婚してくれませんか」  明日実は目を見開いて、ダイヤがあしらわれた指輪を見つめて固まる。  果たして彼女の呪いは婚約相手にも有効なのだろうか。 「なんで……今日もあんなに迷惑かけたのに」 「モテモテの彼女を他の誰にも()られたくないから」  短く答えると明日実は何も言わなかった。何も言えないのかもしれない。 「僕は明日実と付き合って後悔なんかしたことないよ」  僕は彼女の前に跪いて、指輪をケースから外す。 「これから未曽有の大事件が起こっても、些細な諍いが起こってもさ」  彼女の左手を取って、指輪を薬指に通した。  指先が少し震えている。それは僕も同じだった。 「できる限りの用意をして、最後は一緒に笑って乗り越えていけたらって思うんだ」  ダイヤモンドが月光を反射する。  細い指先を通ったシルバーの指輪は滑るように奥へ奥へと進んでいく。そのまま指の根元まで差し込もうとして――。  第二関節でひっかかった。
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