ヤケ酒

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 出勤前ゴミ出しに行く湊。途中で会う近所の人に愛想良く挨拶する。ゴミ収集場でゴミ出ししかやることがないような自身家のお荷物か粗大ゴミのような爺さんにも儀礼的に愛想良く挨拶が出来る。  ゴミ収集場に男ばかり屯する光景が日常化しても何とも思わない。  湊の住む住宅街は比較的裕福な家庭が多く子育てが終わった専業主婦を妻に持つ男でも出勤前ゴミ出しをするし、ゆとりのある年金暮らしをする老夫婦でも決まって夫の方がゴミ出しをする。  育児休暇中とか子育てが大変で共働きの妻を持つ男なら仕方がないにしても早い話が妻の尻に敷かれた夫が多いのだ。  湊は裕福といかないまでもマイホームを持つ働き盛りのサラリーマン。妻は専業主婦の結菜。彼もまた妻の尻に敷かれた夫で沈香も焚かず屁もひらずといった具合に特にいいこともしなければ悪いこともしない当たり障りのない人畜無害な平凡な男。IT化情報化社会に於いて画一化され、こんな男が一般化した現代日本。情けなや…日本男児たる者はこんなことではいかんなぞと言うのはとっくの昔にアナクロなのであってこう嘆く男を当世の女は頭が古いと見做して詰るのだ。当世の男はと言えば、当世の女が気に入るようにすることを至善と心得ているのだ。  湊もまた時流に乗っていると言えるが、浮気もしない、女から見て何も魅力がない男で但、従順で妻にとってはそれがまた好都合なのだ。  結菜に都合良く出来た湊。しかし、彼女の機嫌を損ねることがこの頃、多くなった。原因は湊の給料が一向に上がらないどころか下がり始めたところへ持ってきて日銀が利上げした所為で住宅変動金利ローンも上がってしまうことだった。  で、到頭、晩酌中に盃を投げつけられた湊は、普段、安月給を責められている手前、平身低頭といった態度で冗談の積もりでこう言った。 「うわあ、北朝鮮のミサイルだ!僕も政府みたいに防衛力強化しないといけないな」  すると、結菜は火に油で更に機嫌を悪くして激昂した。「アホ!アホな政府の真似したら余計アホになるわ!ほんとにその平和ボケした顔やめてくれる。胸クソ悪くなるから!」 「ごめん。元々こういう顔だから」 「冗談は顔だけにして!」 「はいはい」 「しかしさあ、ほんと、アホだよね」 「悪かったね」 「今はあなたのことを言ってるんじやなくて政府のことを言ってるの」 「ああ、よかった」 「よくないわよ。ほんとにさあ、タカ派的発言ばかりして北朝鮮を挑発して日本海に向けて頻繁にミサイル発射されるようになったのは第二次安倍政権になってからだし、日本にとって最大の貿易相手国でありインバウンド国である中国を敵視してさあ、バッカじゃないの」 「でも台湾有事は日本有事であり日米同盟の有事でもあるって安倍さんが言ってたじゃないか」 「あれはねえ、オフショアバランシング戦略を推し進めるジャパンハンドラーズに安倍が踊らされてさあ、煽ってただけの話で中国がウクライナ侵攻に失敗したロシアの二の舞を踏むみたいなことする訳ないでしょ。況して海を渡って征圧するなんて陸続きでも困難なのにそんなこと出来っこないのよ。だけど台湾海峡で中国とアメリカとの間に何らかのトラブルかハプニングが起きて武力衝突に及んだら日本は集団的自衛権を行使してアメリカに加勢して中国に攻撃を加え、それが先制攻撃となって中国と全面戦争に突入!なんてことにならないとも限らないわね」 「だから中国はそういう有事に備えて軍事力強化してるんだね」 「それはね、アメリカとかインドといった軍事大国に対する抑止力になるからやってるだけで日本なんか相手にしてる訳ないでしょ。だって軍事費が日本なんか中国の5分の1しかないのよ。何でそんな国に対して軍事力強化しなきゃいけないのよ」 「でも日本は防衛費を倍にする気だよ」 「倍にしたって中国の半分にもならないわよ。それにアメリカの退役した兵器をアメリカの言い値でしこたま買わされる訳だから大損する上に量だけじゃなくて質も無茶苦茶劣っててさあ、トマホークっつう巡航ミサイル500発買うっつうんだけどさあ、あれさあ、笑っちゃうんだけど1970年代の設計でさあ、マッハ1しか出ないんだってさ。これじゃあ、いとも簡単に迎撃されるし、これで中国の極超音速弾道ミサイルに対抗するってバッカじゃないの。而もよ、AIドローン兵器とかも迎撃不可能なのに他にも役立たずなミサイルや戦闘機をいっぱい買わされてさあ、どんだけ我々の税金無駄にしてドブに捨てるっつうねん。防衛費に予算充てるくらいなら教育費や社会保障費に充てろっつうの。ところがだ、充てるどころか防衛費倍増に伴い教育費と社会保障費を削ってだ、おまけに増税に次ぐ増税で賄おうってんだから、この国終わるぞ!」 「いくら何でも終わりはしないよ」 「アホ抜かせ!この骨なしのボンクラが!あのなあ、少子高齢化対策として子供を産む世帯に50万支給するっつうんだけどさあ、出産費用にしかなんねえっつうの。教育費も育児費用も出さねえんだから対症療法にしかなんねえっつうの。子供育てれねえのに子供産む訳ねえっつうの。こんなことじゃ少子高齢化に歯止めがかかるどころか拍車がかかるっつうの」 「巧いこと言うねえ」 「たわけ!感心してる場合か!我々は滅亡に向けて驀進してるっつうのによお。うちなんかも子供育てるの無理ゲーだから子供なんてとても作れねえっつうの。家のローン払うだけで精一杯っつうか、それも無理ゲーかもしんねえっつうの」 「ねえ、ゆいちゃん、ちょっとお酒が入り過ぎて悲観的になってないかい?」 「バカ!馬鹿も休み休みに言え!酒が入ったら普通陽気になるっつうの。お前の所為で真逆になるっつうの。っつうか、ヤケ酒になるっつうの。お前、前にも話したけど聞いてなかったのか、日銀が利上げしたんだっつうの。そんで住宅ローンが上がるっつうの」 「えっ、それ、ほんと?」 「ほんとっだっつうの」 「ど、どうしよう」 「給料上げろや」 「それは無理!」 「こんな時に限って即答すんな!このボケ!」と結菜は叫んだ勢いで徳利を湊の顔面目掛けて投げつけた。それがオデコに命中したものだからたまらない。湊は額にたん瘤をこさえながら胡座を掻いていた体勢から上体が後ろに仰け反り、倒れそうになるのを両手で辛うじて支えた。 「おお、いて、ひ、酷い、酷すぎる」と言いつつ額を擦る泣きっ面の湊。「こ、こうなったら僕も政府の言う反撃能力を身につけないといけないなあ」 「何~反撃能力だと~てめえ、あたしと全面戦争する気か?」 「い、いや…」 「だって、そうだろう。政府の言う反撃能力を身につけ実践するっつうことは、詰まるところ中国と全面戦争するっつうことじゃねえか!」 「い、いや、実践するとは言ってないよ」 「言ってるようなものじゃねえか!ったく、日本国民はお前みたいなアホばっかでさ、反撃能力を保有することは国際法違反の先制攻撃を犯すことになるっつう真っ当な意見に対して何かのアンケートによると95%が国際法違反にはならないと反発して反撃能力を身につけるべきだとほざいてやがんだ。大体さあ反撃能力って敵基地攻撃能力を政府が都合良く言い換えただけで専守防衛に反するのであって中国が先制攻撃する訳ねえのにこっちから先制攻撃仕掛けてどうするっつうの。藪蛇になって日本全土が焦土と化すっつうの。そんなことくらいちょっと考えたら分かりそうなもんだが、ほんと呆れるぜ、ったく。ま、それは今に始まったことじゃないからうだうだ言っててもしょうがない。我々の当面の問題はだ、金利と物価だよ。物価も物すげえ上がってるし、こうなったら、あたしが働きに出るしかねえか…コロナはやってんのになあ…あーあ、金持ちになりてえ」とぼやく結菜であった。   
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