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バレンタインの日も変わらず、いつも通り少し残業をしてから楢崎は会社を出た。
その後向かったのは自宅ではなく、とある街の二丁目にあるバー『フリーダム』。
女性禁制、男性のみ入店可のその店は、楢崎のような人が集まる飲み屋だ。
「よお、マスター」
「あっ、楢崎さんいらっしゃい」
10年近く通っているせいか、すっかり常連となってしまった。店に入ってすぐカウンター席に座ると、何も言っていないのにマスターがビールの入ったグラスと灰皿を出してくれた。キンキンに冷えた黄金のビールを流し込むと、アルコールが全身にまわって気持ちが良い。今日の疲れが半分ほど一気に飛んでいってしまった。
カウンター席が8席、テーブル席が2つしかない小さな店だが、いつも週末はそれなりに混んでいる。だが今日はそうでもないようで、楢崎の他に客は2人しからいない。しかもその2人も常連で、楢崎もよく知っている2人組だ。
「あれー、楢崎さんじゃん。バレンタインなのに、なにひとりで寂しく飲んでんのさ?」
「変な性癖のせいでフリー極めてんだろ」
絡まれるだろうな、と思っていたらさっそく絡まれた。
「いやいや、お前らもフリーだから人のこと言えないだろ……」
「違います〜! 僕はちゃんと狙ってる人いるから、変な性癖の楢崎さんとは違います〜!」
「俺も引っ掛けようと思えばイケるから、変な性癖の楢崎さんとは違う。まだ若いし」
「そうそう。僕らまだ若いもん」
一人称が『僕』で可愛こぶって喋る方が加賀美。そして、無愛想で生意気なことを言っている方が鎌田。2人とも楢崎とは違い、スーツではなく私服姿で一見学生に見えるが、たぶん学生ではない。
ここで2人に初めて会ってからもう5年は経っているはずなので、とてもな事情がなければ、ふたりとも立派に社会人をしているはずだ。
彼らはよく2人で来ているが、恋人同士ではない。彼ら曰く、腐れ縁らしい。
それに、いくら仲がよくても2人が付き合っていない理由は楢崎にも分かる。それは、ふたりとも"ネコ"だからだ。
「ってか楢崎さん、その紙袋なに? どっか行ったお土産?」
「ああ、これは……お土産じゃなくて、会社で貰ったチョコ」
「うわっ、めっちゃあるじゃん……楢崎さん、モテモテなんだね」
「……これ食いたい。食って良い?」
「いいよ、好きに食って」
これらをくれた女性社員には申し訳ないと思いつつ、チョコレートの入った紙袋を2人に渡した。
嬉しそうに紙袋の中をガサゴソと物色する2人を見て、こいつらモテるんだろうな、と楢崎は思った。
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