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3月末の金曜日。
楢崎は久々に『フリーダム』に来た。
「いらっしゃい、楢崎さん。お久しぶりですね」
「こんばんは、マスター。いやー……最近忙しくてさ」
今日のフリーダムは、それなりに賑わっていた。いつもの席に座ると、マスターがビールと灰皿をくれた。さっそくビールを半分ほど飲んで、煙草に火をつけた。
今日もあの2人組は来ていて、楢崎に気付いてさっそく声を掛けてきた。
「あ、楢崎さん久しぶりじゃん。なんかやつれてるね」
「どうした、意中のあの子にフラれたか?」
「いやいや縁起悪いこと言うなよ……フラれてねーし、まずそういう展開にすらなってない」
失礼なことを言われているはずなのに、飾らないこの2人とのやりとりは、楢崎を安心させてくれる。職場以外の人間に、久しぶりに会ったからだろうか。
「じゃあなに、どうしたの?」
「普通に仕事が忙しすぎ……ってのと、最近あの子に会えてない……」
「あーはいはいはい、やっぱりあの子関連の話ね」
仕事が忙しいのは本当だ。年度末で決算があるのと、客先とのトラブルが何件も発生してその対応に追われていたのだ。部下の尻拭いは課長である楢崎がしなくてはならず、客先を走り回り、オフィスでは事務作業に追われる毎日。ここ2週間は、日付けが変わる前に家に帰れたことがない。
疲れが溜まっているのか、今日はどうしても仕事に身が入らず、明日休日出勤することにして早めに切り上げてきたのだ。
休日出勤だったが先週の土曜日は少し時間が出来た。せめて顔だけでも拝みたいと思いジムに寄ったが、そこに平良の姿はなかった。どうしたのだろうかと連絡してみると、帰省中だと返ってきた。
楢崎の生活において、唯一の癒しである彼の顔すら見れない。楢崎は身も心も崩壊寸前だった。
「あー会いたい……顔が見たい……」
「うわあ……おっさんのそういうのキツいわあ……」
他人になんと言われようが、会いたいものは会いたい。
「でもさあ、今こんなに会えないってことは、この先もっと会えなくなるんじゃないの?」
「……えっ、なんで?」
加賀美の言葉の意味が分からず、首を傾げた。楢崎の仕事が落ち着けば、会えるようになるものだとばかり思っていた。会えないのは今だけだと、この忙しい時期が終われば会えるようになる思って頑張っていたので、加賀美の言うことが本当なら、もう頑張れなくなってしまう。
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