重陽の節句

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重陽の節句

うーん……何だか今日は、一日中身体が重い。視界も霧が掛かったみたいにぼんやりしている。感覚がより鋭くなっているというか、いつもより人でない変なモノが頻繁に視界に飛び込んで来る。佐和商店での仕事中もそんな感じで、倉庫の音も、今夜は嫌に響いて聞こえてふわふわしていた。声がいつもよりたくさん聞こえる。無事仕事が終わってホッとした。 「すみちゃん、ちょっと家寄れよ。つか、泊まってけ」 「え?良いですけど」 晃さんにそう言われ、私は直ぐ頷いていた。 帰り道、調子が悪いことを晃さんに話しながら、彼に手を引かれて、最後の方はほとんど支えてもらって部屋にお邪魔した。 「すみません。ありがとうございます」 「座ってろ。良いもの用意してるから」 「良いもの?」 晃さんが持って来たのは、徳利にお猪口。お猪口にはもうお酒が入っていて、黄色い花びらが浮いている。これってーー 「菊酒?」 「そ。今日は重陽の節句だろ。菊酒仕込んでおいたんだ。ーー菫の調子がおかしいのも、多少関係してるんじゃないか?」 「あ、」 そうかも、しれない。更に、小鉢が置かれた。中は鮮やかな黄色一色。 「これも菊、ですか?」 「菊の酢の物。いけるぜ」 晃さんはにやっと笑う。私の隣に座って、優しく肩を抱いてくれる。片手で、自分のお猪口を持ち上げた。 「お疲れ」 「お疲れ様です」 晃さんにもたれて、菊酒に口を付ける。菊の香りが、心地良く身体に染みる。不思議と、頭と視界がすっきりしてくるような気がした。 「……何となく、良くなるような気がします」 「そうか。そりゃ良かった」 晃さんを見上げたら、嬉しそうに笑っている。照れてしまうな。 「ありがとうございます」 「菫も大変だよなあ」 ぽんぽんと頭を撫でてくれる手は、暖かい。 「今はもう、あまり大変でもないですよ」 「ん?」 口をついて出た言葉に、晃さんが私を見る。えっと。続きを言うのは、恥ずかしい。 「何で?」 声音は優しいのに、目はにやにや、というか、絶対分かってて聞いてるのが分かる。お猪口の菊の花びらを見ながら言うことにした。 「晃さんがいてくれるので。私の話をちゃんと聞いて、分ろうとしてくれる気持ちが、嬉しいです。私には」 肩を、今度は強く抱き寄せられた。思わず見上げた晃さんの深い緑色の目は、どこまでも優しい。 「当たり前だろ。菫は生涯側に置きたいパートナーなんだから」 額に優しく口付けされ、身体が熱くなる。 菊の香りがより強く、私を包み込んだ気がした。
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