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「アッハハハハハハハハ!」
目の前にいる親友が、大口を開け、腹を抱え、涙を流して笑っている。それを見ながら、わたしは深い深いため息を吐いた。
「さすがに笑い過ぎじゃない?」
アイスコーヒーの氷をストローでカラカラと回す。
「いやいや、笑うでしょ! 前職の後輩になんて言われたんだっけ?」
「先輩のおかげで別れることができました! って」
「アーッハハハハハハハハ!」
テーブルをバシバシ叩いて笑う親友。他のカフェの利用者の視線が気になるからやめて欲しい。
「笑いすぎだよ、全く」
「ごめんごめん」
親友は目の端に浮かんだ涙を指で拭った。
「でも、まあ、笑うでしょ。あんたに向かって、あのあまりにも悲劇な一日を思い出させるようなことをわざわざ言うなんてさ!」
それにはわたしも同感だ。いくら感謝を伝えたかったとはいえ、傷口に塩を塗り込むような行為だ。わたしは笑う気には到底なれない。
わたしが不満そうな顔をしていると、親友はわたしの頭を優しく撫でた。
「そんな顔しないの。その後輩の行動はどうかとは思うけど、あんたは一人、人を救ったんだよ。だから、少しだけでも喜ぶようにしな」
人を救った、ね。
わたしはアイスコーヒーをストローでちびちび飲む。口の中に広がる苦味なんて感じない程の苦い苦い記憶を思い出す。
わたしは半年前に映画のクライマックスみたいな出来事を目撃した。
結婚式の最中に、それも、指輪の交換をしている真っ只中に、花嫁以外の女性が扉を開け放ち、バージンロードに現れた。
血だらけの足。乱れまくった髪。くずれた化粧。飛び散る汗。涙でぐしゃぐしゃになった顔。
色んなものをかなぐり捨てて、必死にここまで走ってきたのはすぐにわかった。
その女性は、何が起きたのか理解できず、思考が完全停止した参列者を無視して、花婿に向かってとんでもないことを言い放った。
「わたし、あなたのことが忘れられない!」
何が起きたのかわからなかった。だが、衝撃は続く。花婿は花嫁が伸ばした左手の薬指に指輪を付けることなく、それを放り出したのだ。さらに、その女性に向かって駆け出した。少しも躊躇せずに。
「僕も、君を忘れられない!」
二人はバージンロードの真ん中で抱擁。そして、あろうことか口づけまでしてみせた。
「行こう、共に」
「生きましょう、共に」
二人はがっちりと手を繋ぎ、チャペルをあまりにも軽やかな足取りで去って行ってしまった。
花嫁はあんぐりと口を開けたまま、ただただ呆然とするしかなく、伸ばした手は宙に浮いたままだった。
まあ、この花嫁がわたしだったわけなんだけど。
「それにしても、よくもまあ、わたしの悲劇を、会うたびにそんな風に笑えるよね。逆だったら嫌だとか考えないの?」
「だから、笑ってるんじゃない」
「どういうこと?」
「こんな悲劇、笑う以外にやり過ごせないわよ。少なくともわたしには無理。だから、笑ってる」
なるほど。たしかにそれは一理ある。笑い話にでも転化しなければ、こんな話、思い出したくもない。
「それに、笑ってくれる人が一人ぐらいいた方がいいと思わない? 思わないなら、やめるけど」
「まあ、笑ってくれる人が一人ぐらいいた方が、いいかも。誰でもいいわけじゃないけどね」
「でしょ?」
親友は歯を見せて笑う。
目の前にいる親友とは付き合いが長い。高校入学の頃からずっと仲良くしている。だから、親友に笑われても怒りといった感情は浮かんでこない。性格的にも笑い飛ばしている方が、親友らしいっていうのもあるけど。
最も、親友以外の人間に笑われたとしたら、その人のことを一生恨むだろう。
わたしは親友を眺めて思う。悲劇を経て、改めて親友が親友であって良かったと思う。
「それに、悪いことだけってわけじゃないでしょ?」
「そう?」
「さっきの後輩の話だってそうよ。後輩はずっとろくでもない彼に依存していて、ダメだとわかっていても、別れる決心がつかなかった。でも、あんたの悲劇を見て、それでは自分が悲劇に見舞われる可能性が高いことに気が付いた。あんたが気付きを与えたのよ」
「わたしの身を持ってね」
苦笑が勝手に漏れてくる。
「さっきも言ったけど、あんたは一人、人を救ったのよ」
人を救った、か。実感はないけど、たしかにそうなのかもしれない。後輩からは彼氏についてよく相談をされていたが、本当にろくでもなかった。後輩の稼ぎを使ってギャンブルをしていたり、浮気も一度や二度ではなくしていたような輩だ。
その後輩を救えたのなら、あの悲劇にも意味があったのかもしれない。
「それに、わたしだってその一人よ?」
「わたし、救った覚えないけど」
「あんたの悲劇は非情だけど、相当なものだった。ちょっとやそっとの悲劇じゃ、比較対象にもならない程に残酷なものだった。わたしもね、メンタルは強い方じゃない。だから、人の悪口や仕事でのミスを引きずったりもする。だけど、あんたが受けた仕打ちに比べれば、そんなもの路傍の石なのよ。ないのと同じ。あんたがその悲劇を抱えながら、歯を食いしばって前に進んでいるのに、わたしがその程度のことで悩んでどうするんだって、前を向く力になってるのよ」
「メンタルが弱いとは思えないけど」
「そう取り繕ってるのよ。そうでもしてないと、心なんて簡単に挫けてしまうから。わたしは強いんだって虚勢を張っているだけ。でも、あんたの悲劇はわたしを強くしてくれた。今までだったら、挫けていただろうことも、乗り越えられるようになった。それも一つや二つじゃない。だから、わたしはあんたに救われてるのよ」
親友はわたしの額にデコピンをかましてくる。
「それに、あんたもあの悲劇のおかげで、進めた部分もあるでしょ?」
「まあ、そうだね」
わたしは今、会社を経営している。ありがたいことに、業績も右肩上がりだ。
あの悲劇の当時は会社員で、結婚式にも会社の同僚なども呼んでいた。でも、あの悲劇の後、わたしは会社内で腫れものを扱うような扱いを受けるようになった。まあ、それは仕方ない。あんな悲劇を目の当たりにして、その主人公が近くにいれば、やすやすと言葉一つかけられたものではない。
だから、わたしは退社した。そういった扱いを受けるのもストレスだったからだ。そして、起業した。再就職も考えたが、起業はいつかしたいと思っていたので、思い切ることにした。
多分、その判断をできたのは悲劇があったから。
あの悲劇がなかったら、わたしは再就職を選んでいただろう。いや、それすらしなかったかもしれない。いつか起業したいという思いを抱えながらも、前の会社に身を置き続けただろう。
「あんたの悲劇は、たしかに悲劇だった。あんな目には、正直、わたしはあいたくない」
「それはわたしだってそうだよ。あれは地獄だった」
もう二度とごめんだ。
「でも、その悲劇があんたを強くし、わたしや周囲の人間を強くした。悲劇も悪いことばかりでもないってことよ。そう思わないとやってられない部分もあるだろうけど、それは事実。物の見方を変える、変えようとする努力をするだけで、その物はあんたの味方になってくれる。あんたは、そのあまりにも特別な一日を、もっと味方につけなさい」
「簡単に言ってくれるなあ」
「難しく言ったって、結論なんてそう変わりはしないわよ」
わたしはアイスコーヒーを口に含む。苦味が広がっていく。けれど、その苦味がクセになって、刺激になって、また飲んでしまう。
「事実は事実と受け入れて、それを糧として、前に進むしかないのよ。くよくよ悩んだり、思考を堂々巡りさせたところで、やることは変わらないんだから」
親友はそれだけ言うと、立ち上がり、大きく背を伸ばした。
「さあ、立ち上がって。やることはたくさんあるわよ! あんたの会社をもっともっとみんなに知ってもらわないと!」
先日、最初の社員になってくれた親友が、わたしに手を伸ばす。
あまりにも特別な一日は、残酷すぎる悲劇だった。その事実は揺るがない。誰がどう見ても、間違いない。
けれど、悲劇を悲劇として眠らせたままでは、もったいない。物は使いようだ。悲劇だって笑い話にできる。悲劇だって誰かの力になる。悲劇だって自分の力にできる。
「じゃあ、午後も頑張りますか」
わたしは親友の手を取り、気合を入れながら立ち上がった。
~FIN~
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