1 甘くない人生に一匙(ひとさじ)の蜂蜜を

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「白銀、ちょっと面倒なことになったんだけど。さっきそこでやつに出くわして、うっかり正体がバレちまった。おまえ、なんとかしてくれない?」  大きな声で話しながら、男が一人入店してくる。そちらに目を向けた僕は、思わず椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がっていた。 「さっきの……てっ、天狗っ!?」  そこにいたのは、この店へ来る前に遭遇したあの天狗だったのだ。  黒いシャツに黒いレザーパンツ姿で、服装はさっきとはまるで違う。おまけに羽根もない。けれど、そのワイルドなイケメンぶりとチャラそうな話し方はそのままだ。  どういうことだ? さっきのは幻覚じゃなかったのか? それとも、これも幻覚……? 「あーっ、おまえ、さっきの小僧じゃねーか! どうりで、あちこち探しても見つからないわけだわ。ここに逃げ込んでたってことは、やっぱ白銀となんか関係あんのか? この町で初めて見る顔だけど、おまえ本当に何者?」  天狗男がずかずかと近づいて来るので、僕は急いで店の奥へと逃げ込んだ。だけど、狭い店内ではどこにも逃げ場などなく、迫りくる天狗男を牽制するように睨みつける。 「く、来るなっ! 天狗だか何だか知らないけど、あんたが勝手にバラしたんだろ! なんで僕を追いかけるんだよ!」 「そりゃあ、俺の正体を口外されたらここで生活できないからに決まってんだろ。おまえの口を封じておかないと、こっちの身が危うくなるんだよ」 「口を封じるって……や、やっぱり僕を食うのか?」 「あ、それもいいな。おまえ、なんか美味そうだし」  これみよがしに舌なめずりして、天狗がさらに近づいてくる。  食われるっ!  恐怖のあまり、僕はぎゅっと目を瞑った。  バコンッ!  鈍い音が響いて、薄目を開けると天狗男が頭を押さえている。その背後には、銀のトレイを手にした白銀さんが立っていた。 「痛ってぇな! なにしやがる、白銀!」 「悪ふざけはそこまでにしておきなさい、黒羽(くろは)」  どうやら、今のはトレイで頭を殴った音らしい。  白銀さんにはさっきまでの穏やかさはなく、銀色の瞳を冷ややかに細める。 「なるほど、そういうことでしたか。彼が妙に怯えていたのは、ここへ来る前に君が脅かしたせいなんですね」 「俺はべつになにもしてないぜ? こいつが勝手に怯えて逃げただけだろ」 「今のやり取りで怯えないほうがおかしいでしょう」 「そうか? まあ、びくついてる人間をからかうのは楽しいよな。なにも本気で取って食うわけじゃねーし、冗談なんだから許せよ」 「時と場合によりますが、今回は明らかにやりすぎですよ」  突き放すように言って天狗を押しのけると、白銀さんは僕の前でわずかに身を屈めた。 「お客様、大丈夫ですか?」 「あ……はい」  僕はぽかんとして白銀さんを見つめ、なんとか問いかけに応じる。  でも、待てよ。  白銀さんはもとの穏やかなイケメン店主の顔に戻っているが、今の天狗との会話は聞き逃せないものがあった。  つまり、彼はこの天狗男と知り合いってことか?  気になったのはそれだけではない。  白銀さんだけでなく、子供従業員も店の客もまったく動じていないのだ。ここで天狗だなんだと騒いでいるのに、みんな素知らぬ顔で仕事をしたり、カウンターで寛いだりしている。  関わらないようにしているというよりも、いつものことだから慣れているという雰囲気で。 「君、頑張って立ってるけど、足がガクガクよ。小鹿ちゃんみたいで可愛いじゃない。黒羽がからかいたくなる気持ちもわかるわぁ」  女性客がそう言って、カウンター席からこちらに流し目を送ってきた。蠱惑的(こわくてき)な赤い唇から、艶めかしい舌がちろりと覗く。  初めて正面から顔を見たが、大きな瞳が印象的な驚くほどの美女だ。スタイルもモデル並みで、けばけばしく見える赤のスーツを着こなしている。 「麗巳(れみ)、今は口を挟まないほうがいい」  同じくカウンター席にいるもう一人の男性客が、小声で彼女を(いさ)めた。  こちらは真っ青な髪に、耳にはたくさんのピアス、首筋には鱗模様のような奇妙な入れ墨が入っている。ミュージシャンか芸術家といった派手な風貌だ。 「なによ、太郎ちゃん。あんたっていっつもノリが悪いんだから。あたし、つまらない男は嫌いよ」  青髪の男は太郎という名前らしい。外見に似合わず意外にも平凡な名前だった。  彼らの話から推察すると、現在この店にいる全員が知り合いということらしい。天狗男は黒羽と呼ばれていたが、彼の知り合いということはー―  まさか、ここにいるのはみんな人間ではない?  その考えに至り、僕は頭から冷水を浴びたようにゾッとした。  思えば、最初からこのカフェは様子がおかしかったのだ。  とても客が来そうにない森の中の夜カフェで、店主は美形すぎて、従業員は子供。客の雰囲気もなんだか普通じゃない。  昔の童話で、山奥のレストランに入ったらそこは化け物の店で、客のほうが食材になりかけた――なんていう話があった。  ここもそういう、人が足を踏み入れてはならない魔境だったに違いない。
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