1 甘くない人生に一匙(ひとさじ)の蜂蜜を

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「今はまだ地域の人々に支えられていますが、氏子の平均年齢は年々上がる一方です。十年後、いえ五年後ですらどうなるかはわかりません。現に、君の父上などは物心ついてからは寄り付きもしませんでした。いずれ伊ノ森家の当主が交代するときに、社を廃止するようなことにならないとも限りません。ですから……」 「ですから……?」 「君にこの現状を訴えて、将来的に氏子の代表として天星稲荷神社を守ってもらえたらと……そう願っていました」  申し訳なさそうに、白銀さんは本音を打ち明けた。  つまり、白銀さんが僕の力を元に戻したかったのは、社の存続のためということなのか?  神様も路頭に迷うかもしれないほど、今の世が世知辛いとは知らなかった。そりゃあ誰だって家を失いたくはないけれど。わかるけど!  あやかしのせいで職を失った僕に、この現実をどう受け止めろと!? 「社がなくなったら、ただのあやかしに戻ればいいだけの話だろ?」  黒羽さんが淡々とした口調で口を挟んだ。  この天狗もたまにはまともなことを言うんだという意外性と、神様がただのあやかしに戻ることもあるんだ? という事実にも驚いた。 「白銀には白銀の事情があるのよ。部外者が口を挟むんじゃないわよ、バカ天狗」 「んだと? オカマの蛇男」 「あ? 今なんつった? やんのか、コラ!」 「やだ、こわーい! こっちに来ないで!」  一触即発の雰囲気かと思われた麗巳さんと黒羽さんは、なぜか二人でふざけ始める。  ……そうか。美人の麗巳さんは男だったのか。驚きが追いつかないからなんかもうどうでもいい。  茫然としている僕を見て、麗巳さんが肩をすくめた。 「ごめんなさいね。久しぶりにあやかしが見える人間に会えて、みんなテンション上がってるのよ」 「あ、いえべつに……」 「あやかしの世界って、昔から人の世界とは切っても切れない関係にあるの。だから、あやかしは人間に興味があるし、惹きつけられる。今の時代、人間にとってはあやかしなんていてもいなくても関係ないのはわかっているけど、それはやっぱり寂しいのよねぇ」  麗巳さんの話に、ふと思う。  人の気を引きたいあやかしたちの気持ちは、なんだか僕と似ていると。  僕という存在は、大勢の人の中で、特に誰かと深く繋がることなく、誰かに気に掛けられることもなく生きてきた。  一人でいることには慣れている。  だけど、そのことに心の底では虚しさも覚えていたのだ。  だってそれは、人間社会に存在してもしなくても同じということだから。 「恭也」  白銀さんに改まって名前を呼ばれ顔を上げた。 「はい?」 「君にまたあやかしが見えるようにと望んだのは、私の我が儘でもありました。ですから、もし君が望むのならもう一度かつてと同じ術をかけて、あやかしが見える君の力を封印します」 「十年前と同じ封印を?」 「ええ。今度は永久に。そうすれば、君はもう二度とあやかしを見ることも、あやかしの記憶を思い出すこともありません。それで君がこの先、楽に生きられるのなら、私は喜んでそうしましょう」  永久にあやかしを見なくなる。  こうしてあやかしと会ったことも、神様と話したことも忘れる。  かつて、天星稲荷神社での出会いをすっかり忘れてしまったのと同じように。  突然あやかしに出くわして狼狽えることはなくなり、人に見えないものが見えて苦労することも、それを誰にも言えずに悩むこともなくなる。社会復帰もすぐにできるかもしれない。  僕は平凡な人間として、平穏に生きていく。  それが僕の望みだったはずだ。  でも、それで……?  あやかしが見えなくなりさえすれば、僕は幸せになれるのか?  神様の力にすがって『普通の人間』になることで?  そもそも、僕が望む『普通』とはなんなのか。様々なあやかしが存在するように、人間だって皆それぞれ違うというのに。  本当はわかっている。  十年前、神様が力を封印してくれても、やっぱり僕は世間にも人生にも後ろ向きなままだった。学生時代も、一月ほどの社会人生活も、ずっと流されるままにただなんとなく生きて来て、充実感を覚えたこともない。  人づきあいが苦手なのは、小さくて弱い自分を隠したかったから。  あやかしに怯えていた幼い頃から、僕はなにも変わってはいないのだ。
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