1 甘くない人生に一匙(ひとさじ)の蜂蜜を

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「どうしますか? 恭也」  白銀さんが僕に尋ねた。  あやかしが見えるのは、僕が生まれたときから持っていた力だ。神社の存亡がかかっているのに、それを受け入れるべきだとは言わないんだな。あくまでも僕に決めさせようとしている。 『恭也、君の力はとても尊いものです。人にとっても、あやかしにとっても。この世界には人以外の生き物も存在していることを、いつか君が理解して受け入れてくれることを私は願っています』  あの日、白銀さんが言った言葉の意味が、少しだけわかる気がした。  この世界に住むのは人だけではない。人もそれ以外の動物も、あるいは目には見えないあやかしも神様も、実は関わり合って存在しているということ。  だって、そうでなければ、天星稲荷神社は千年も続いてはこなかった。 「……僕は、このままでいいです。どう言えばいいのかわかりませんが、そうするべきだという気がしたので。この力も、それとここでの記憶も消さないでください」  僕がそう告げると、白銀さんが目を見開いた。 「恭也……」 「あ、でも、ここで皆さんに会ったことは誰にも言わないほうがいいですよね。それは安心してください。もし話してもどうせ誰も信じないだろうし、冗談でもこんな話ができる友達もいないので」 「友達がいない……だと?」 「恭ちゃん……かわいそう」  黒羽さんと麗巳さんが切なげに顔を歪める。  言うんじゃなかった。ぼっちであることをあやかしに同情されてしまうとは。逆に傷ついた。  でも、たとえ話す相手がいたとしても、僕は誰にもこの話をしないだろう。  信じてもらえる、もらえないという以前に、自分だけの大切な記憶として守りたいと今は思うからだ。  不思議な力を持ったまま、これからどう生きていくかはまだわからないけれど。この決断が、これからの自分にとって吉となるのか凶となるのか。  きっと、それは自分しだいなんだろう。 「……そういうことなので、僕はもう帰ります。それじゃ」 「えーっ、帰っちゃうの? もっと遊んでいけばいいじゃない! 夜はまだこれからよ?」  麗巳さんが残念そうな声を上げたが、僕はぺこりと一礼して彼らの横を通り過ぎた。  言葉を交わせるあやかし、か。  最初は怖かったけど、彼らにも人間と似たようなところがあると知ったせいなのか、今はこのノリになんだか親近感さえ覚える。  今夜の奇妙な体験が「面白かった!」と笑えるほど、まだ肝は据わっていないけれど。 「お会計お願いします」  入口近くのカウンターにはレジが置いてあり、その前に立つ風斗くんに声を掛けた。  風斗くん、といっていいのか。あやかしなので、実際の年齢は見た目通りではないのかもしれない。なんといっても千年以上生きている白銀さんの仲間だし、案外僕より年上なのかも。 「今夜のお代は結構ですよ。君にはいろいろと迷惑を掛けましたから」  風斗くんに代わって白銀さんがそう答えた。 「え、でも……」 「君を脅かした罰として黒羽に支払わせます」 「なんで俺が!?」  黒羽さんが異を唱えかけたところ、白銀さんに一睨みされて観念したように両手を挙げる。僕は黒羽さんに向かって「ご馳走様です」と軽く頭を下げた。  まあ、あの人にはかなり怖い思いをさせられたから、これくらいいいだろう。そもそも、あやかしの店で人間の通貨が使えるのかもわからない。 「ところで、社のほうへはどう行けばいいんですか? ここに来る途中で道に迷ってしまって、方向がまるでわからないんですが」 「社までは一本道が続いていますから、迷わないと思いますよ」 「一本道?」  白銀さんが扉を開けると、すぐそこに灯篭に照らされた小道が見えた。  黒羽さんに遭遇する前に歩いていた、あの歩道だ。ということは、参道から伸びていた脇道はこの店へ続いていたということか。 「この小道が、君をもとの場所へと連れて行ってくれます」  もとの場所。  あの幻想的な小道は、現世と異世界を繋ぐ通路なんだ。それを辿れば人のいる世界に戻ることができる。  人間みたいなあやかしたちが集う、不思議なカフェ『夜迷亭』。  僕はたまたま迷い込んでしまっただけで、きっと朝になったら、この店もあの小道も跡形もなく消える。  そしてたぶん、僕はもうここへ来ることはないのだろう。  僕にはこれからもあやかしを見る力がある。だから、天星様にも、人間に化けるあやかしたちにも、またどこかで会えることもあるかもしれない。  だけど、それがいつかはわからない。明日か、明後日か、もしかするとまた十年後。あやかしの時は長く、人の時は短い。  でも、たとえもう会えないとしても、あの社にはちゃんと神様がいて見守ってくれている。そう思うだけで、僕は心強くいられる気がした。  きっと、神様というのはそういう存在なのだ。 「恭ちゃん、おやすみなさい。いい夢を見てね」  麗巳さんが笑顔で手を振り、あやかしたちがこちらを見ている。僕はもう一度会釈をした。 「白銀さん……いえ天星様、また稲荷寿司を持ってお参りに伺います」 「お待ちしています。今夜はご来店ありがとうございました。どうぞお気をつけて」  見送りに出て来てくれた白銀さんに、僕は深く頭を下げた。  さようなら、天星様。  また会えて嬉しかったです。ありがとうございました。  そして、『夜迷亭』を振り返ることなく、赤い灯篭の光の中を社へ向かって歩いて行った。                ☆
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