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「昨夜、白銀さんに会ったそうだな」
「えっ? まあ、会ったというか……」
祖父の横に正座しながら、僕はまだ状況が理解できない。
どうやら祖父にも白銀さんの姿は見えているようだ。これは彼が人間に変化しているせいなのかもしれないが、その正体が恐れ多くも我が家でお祀りしている氏神様であることも知っているのだろうか。
「白銀さんは天星町の住人で、うちの借地人だ。おまえが来る少し前から、裏の神社の近くで喫茶店を経営されている」
「借地人って……」
祖父があの店の存在を知っていたことも驚きだが、それ以上に借地人という現実的な言葉に僕は慄いた。よりによって、その神社の神様に土地を貸している? どこから突っ込めばいいのだ。
しかし、その神様は祖父に向かって丁寧に頭を下げた。
「伊ノ森さんにはいろいろと便宜を計っていただき、感謝しています」
「とんでもない。もともと使い道のなかった土地を借りていただいて、感謝するのはこちらのほうです。大きな神社の境内に茶屋がある話はよく聞きますが、なかなか風流なものですな。喫茶店が流行れば天星稲荷や天星町の宣伝にもなる。ともに協力して町おこしを盛り上げていければと、町役場でも話していたのです」
「それはこちらとしてもありがたいお話です」
神様と町おこしの話をしている……。
神社の存続には必要不可欠な案件だろうけれども。田舎の神様はやることが多くて大変なんだな。
ふたりのやり取りを固唾をのんで見守る僕に、白銀さんが顔を向けた。
「ところで、恭也」
「は、はいっ!」
思わず背筋を正して返事をする。
「現在、君は仕事をしていないと聞きました。もしよければ、私の店で働きませんか?」
「…………はい?」
返事の語尾が思い切り上がる。勧誘された気がするが、空耳か。
「その話を伊ノ森さんにしていたところです。人を雇いたくても、営業時間が夜なのでなかなか条件の合う方がいなかったものですから」
「白銀さんがぜひおまえに頼みたいと仰っている。おまえもしばらくはこの町にいるわけだし、そろそろバイトを探そうかと言っていただろう?」
「言ったけど、いきなりすぎて心の準備が……。僕があま……じゃなくて、白銀さんのカフェで働くなんて、いいんですか? だってあそこは……」
あやかしの憩いの場なのでは?
心の中でそう問いながら白銀さんの顔を見た。
僕としては、あの店はもう二度と足を踏み入れることのない異界だと思い込んでいたのだ。それなのに、祖父も店のことを知っているとか、町おこしとか、話についていけない。
「ぜひ、あなたに来てもらいたいのです。『夜迷亭』には様々なお客様たちが、ひと時の憩いを求めていらっしゃいます。あなたなら、そんな彼らの気持ちに寄り添えるおもてなしができると思いますので」
「僕が……?」
褒められたようだが、嬉しいというより戸惑いのほうが大きかった。それは白銀さんのお世辞か、あるいは買い被りだと思う。
相手が人でもあやかしでも、誰かの気持ちに寄り添うなんて、人づきあいが苦手な僕には荷が重すぎる。
「君は、君が思っているよりも強くてやさしい人ですよ」
僕の戸惑いを見透かしたように白銀さんが言う。
「返事は急ぎませんので、考えておいてください」
祖父に一礼して暇を告げると、白銀さんはすっと立ち上がり居間を後にする。しばらく茫然としていた僕は、意を決して彼を追いかけた。
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