1 甘くない人生に一匙(ひとさじ)の蜂蜜を

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「白銀さん、誘ってもらえるのはありがたいですが、僕には無理です。お店のお客さんがあやかしでも人間でも、接客業なんてまったく自信がありません」  就職はしたいが、サービス業なんて考えたこともなかった。いくらあやかしが見える特別な力があっても、それはなんの役にも立ちそうにない。白銀さんに迷惑を掛けることになるだろう。 「僕には意気地も体力もないし、陰キャでコミュ障で、人づきあいが超苦手なので」  自分で言っていてヘコんだ。今朝は生まれ変わったような清々しい気持ちでいたのに、人間そう簡単には変われないものである。 「なにやらいろいろとこじらせていますね」 「そういう面倒くさい性分なんです」  開き直って僕は言った。心の声を聞かれた神様に取り繕う必要はない。  考え直してくれるかと思ったら、白銀さんは黙って僕をじっと見下ろしている。この銀色の瞳は綺麗だが、心を読まれそうでなんか怖い。 「言ったはずです。君は自分で思っているよりも強くてやさしい人だと。これでも私は神ですから、人を見る目は確かです。君ならうちのスタッフが務まります。というより、君以外にはいません」  こちらが恥ずかしくなるくらい熱烈に誘ってくれる。  この人の場合は本当に神なので、「神ですから」と言われると説得力があるな。他の人だったら100%信用を失うセリフだけど。  白銀さんにそう言ってもらっても、僕にはまだ決心がつかなかった。  あやかしが見える力の封印を選ばなかったけれど、この先それを後悔することだってあるかもしれない。僕に見える世界をありのままに受け入れるなんて、本当はそんなたいそうな覚悟があるわけじゃないんだ。 「それから、君に伝えておかなければ。君が自分の力を受け入れてくれたことで、私はまた少し天星稲荷の祭神として生きながらえることができそうです。言わば君は私の命の恩人です。ありがとう、恭也」 「いえ、そんな……」  白銀さんにお礼を言われ、僕は面映ゆくなって下を向いた。  人は神がいなくても存在できるが、人が祈らなければ神が存在する理由はなくなる。神様という存在は強く揺るぎないようでありながら、ときには人より儚くもあるのだ。  長い間、人に祈られてきたから、この神様はここにいる。  そんな神様に必要とされるのは、とても光栄で恐れ多いことだ。  そう思う反面、やっぱりまだ不安もあった。神様の期待に応えられるのか、僕には自信がないのだ。  引き受けるべきか断るべきか、僕の気持ちはぐらぐらと揺れ動く。  人間は、とりわけ僕みたいな優柔不断な人間は、常に迷いを抱えて生きている。  だけど、気楽に見えるあやかしたちも、完璧に見える神様も、案外みんなそういうものかもしれないと今は思う。  忙しないこの時代は、人もあやかしも神様さえも悩ましい。 「『夜迷亭』は天星稲荷神社の森に今もあります。もし君がうちで働いてくれる気になったら、いつでも来てください。今夜も、日暮れから明け方まで開いていますから」  星の光を集めたような銀色の瞳をやんわりと細めて、白銀さんは門扉から出て行った。  どうしよう。行ってしまう。今度は本当にまた会えるとわかっていても、僕は焦った。  正直、まだ迷っている。だけど僕のことだ。この勢いを逃したらもっと悩むことになる。 「あま……じゃなくて、白銀さん!」  僕は勇気を出して、ふたたびその名前を口にする。  イケメン店主の神様は、まるでそれを待っていたみたいに振り返り、微笑んだ。                end
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