1 甘くない人生に一匙(ひとさじ)の蜂蜜を

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「恭ちゃん、ちょっといらっしゃい」  ある日の午後、祖母に呼ばれて台所に顔を出した。 「なに、お祖母ちゃん」 「お隣の木下さんから大福をいただいたの。お茶にしましょう」  紬の上に割烹着を着た祖母――伊ノ森馨子(かおるこ)は、二十二歳の孫がいるとは思えないほど若々しい。  七十歳はとうに超えているはずだけど、一見して年齢不詳。茶色に染めた髪をゆったりと結い上げ、いつも綺麗にお化粧をしている。天星町では美魔女として有名らしい。  お茶と大福を居間へと運ぶと、杖をついて祖父が入って来たので座椅子に座るのに手を貸した。腰痛はだいぶ良くなっているが、年齢も年齢だし、まだ普段通りというわけにはいかない。 「恭ちゃんが来てくれて助かるわ。私ひとりじゃお祖父さんを支えられないから」 「私はもう問題ない。手助けしてもらわなくても日常生活に支障は……うっ!」 「お祖父ちゃん、大丈夫!?」  強がってみせた祖父だったが、激痛が走ったのか急に呻いて顔をしかめる。しかし、気丈にもすぐに平静を装った。 「……だ、大丈夫だ! ……だが、恭也、おまえはしばらくここでのんびりするといい。むしろ、今はおまえの体のほうが心配だからな」 「ありがとう。でもお祖父ちゃんも無理しないで」  祖父の場合、僕と血が繋がっているのが信じられないくらい根性がありすぎる。手伝いに来たはずが、逆に心配させているのが心苦しかった。  祖母はもちろんのこと、一見厳しい祖父も孫には甘い。ふたりには昔から可愛がってもらった。ここ数年はなにかと忙しくて会いに来ていなかったこともあって、久々に会った僕にとても良くしてくれている。 「お祖父さんは恭ちゃんにいてほしいだけなのよ。素直じゃないの。それより恭ちゃん、ここの大福、昔から好きだったでしょう?」 「お祖母ちゃんも、ありがとう。でも、そんなに気を遣わなくていいよ。手伝いに来たのにあんまり役に立ってないから、申し訳なくて」 「なに言ってるの! 私もお祖父さんも恭ちゃんが来てくれて嬉しいんだから、あなたこそそんなこと気にしなくていいのよ。ほら、たくさん食べなさい。小豆は栄養があるのよ」 「うん、いただきます」  昔から、大福は好物だ。座卓に載っているのは祖母がいつも買っている天星町の和菓子屋の大福で、手に持つと切れてしまいそうなほどやわらかくて薄い餅の中に、少し塩気の利いた粒餡がたっぷり入っている。幼い頃から変わらない絶品だ。  大福をひとつたいらげて、濃いめの緑茶を飲みながらしみじみと余韻に浸っていると、祖父がこちらを見ていた。 「恭也、体調のほうはどうなんだ? まだ幻覚とやらが見えるのか?」 「ああ、うん。ときどきね。でも、家の中ではまったく見ないから、やっぱり精神的なものなんだと思う。それ以外はまったくなんの症状もないし」  家の中で幻覚を見ないということは、それだけ外での緊張感が強いということなのだろう。それもまた、自分の軟弱さを思い知らされているようで情けない。 「そうか。気のせいだと思うなら、そんなものは気合いで吹き飛ばしてしまえ。おまえは昔から気が小さいところがあるからな。もっと自分に自信を持って、堂々としていれば……」 「お祖父さん、そういう無神経なことを言わないでください! 恭ちゃんはあなたと違って繊細なんです! みんながご自分と同じように、自信過剰で生きているわけじゃないんですからね?」  お祖母ちゃん、強い……そして怖い!  祖母に詰られて、たった今まで自信満々に見えた祖父は、急に落ち着かない様子で視線を泳がせている。 「私はただ恭也を元気づけようとしただけで……」 「あなたが言うと逆効果です!」 「お祖母ちゃん、お祖父ちゃんの助言はその通りだと思うよ。こういうのは気持ちの問題が大きいから……」 「無理に合わせなくていいのよ! お祖父さんのまねなんかしたら、いずれ頑固で自己中心的で偏屈な老害になってしまうわ」  老害って……酷い言われようだな。言われた祖父も心なしか泣きそうな顔をしている。確かに祖父には頑固なところがあるが、病人なんだからもう少しやさしくしてあげてもいいのに。  居間の空気が悪くなった。それも僕が原因だと思うとたまらない。僕は焦ってなにか言わなければと考えをめぐらせた。 「あ、えーと、お祖父ちゃんの腰も少しずつ良くなっているみたいだし、僕はそろそろバイトでも探そうかな」  場を取り繕うために、心にもないことを口走ってしまった。  本音を言えば、今はバイトできる自信などない。もっとも、人口が少なく仕事も限られている天星町では、バイトの募集などそうそうないのだが。 「おお、それはいい! 気分転換にもなるだろうからな」 「お祖父さんは黙ってください! 急がなくていいのよ、恭ちゃん。あなたはゆっくり療養していれば」 「と、とにかく……探すだけ探してみるよ。大福もうひとついただこうかな! 本当にここの大福は美味しいよね~!」  大丈夫なのかこの二人。熟年離婚とかしないでくれよ、頼むから!  ハラハラしている僕をよそに、祖母は大福を手に取って、しみじみと思い出に浸るように眺めていた。 「幻覚っていえば……恭ちゃん、子供の頃もそんなこと言っていたわね。オバケが見えるって、よく泣いていたのよ」
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